Show Your Hand!! 本、映画、音楽の感想/レビューなど。 2023-09-17T14:22:23+09:00 hayamonogurai Hatena::Blog hatenablog://blog/17680117126983581240 『フライデー・ブラック』/ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー hatenablog://entry/820878482968177848 2023-09-17T14:22:23+09:00 2023-09-17T14:22:23+09:00 1991年生まれ、ガーナ出身の両親を持つ、アフリカ系アメリカ人作家のデビュー短編集。各作品に通底しているのは、黒人差別や人間の醜さに対する怒りと、ブラックユーモア、暴力性、シュールさ、デフォルメ感といったもので、そういった各要素に真新しさがあるわけではない。けれど、それらがこの作家独自の、ドライでキレのよい、スピード感溢れる文体で書かれていくことで、ヘヴィでダークでパンチの効いた一冊に仕上がっている。 何と言っても、冒頭の「ファンケルスティーン5」のインパクトが圧倒的だ。図書館の外にいた5人の黒人の子供たちが、白人男性にチェーンソーで殺害される。「自分の子供に危害を加えられそうな気がした」という白人男性は、裁判の結果、「自衛の範囲内」ということで無罪になる。主人公の青年は、理不尽すぎる事件に憤りを感じつつも、自らの「ブラックネス」をコントロールしながら日々の生活を送っていこうとするのだが、ふとしたきっかけからそのたがが外れ、それまで押さえつけられていた怒りのエナジーが爆発してしまう…!という話。黒人が日常的に受けている差別的な振る舞いと、それがまったく正しく裁かれることがないし、それに対して正しく怒りを表明することすらできない、ということへのフラストレーションと怒りと悲しみとがなんとも生々しくリアルに描かれており、読者は主人公の姿を通して、その感情を擬似的に体験させられることになる。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4909646272?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/416LTlatAwL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="フライデー・ブラック" title="フライデー・ブラック"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4909646272?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">フライデー・ブラック</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%CA%A5%CA%A1%A6%A5%AF%A5%EF%A5%E1%A1%A6%A5%A2%A5%B8%A5%A7%A5%A4%3D%A5%D6%A5%EC%A5%CB%A5%E4%A1%BC" class="keyword">ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー</a></li><li>駒草出版</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4909646272?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>1991年生まれ、ガーナ出身の両親を持つ、アフリカ系アメリカ人作家のデビュー短編集。各作品に通底しているのは、黒人差別や人間の醜さに対する怒りと、ブラックユーモア、暴力性、シュールさ、デフォルメ感といったもので、そういった各要素に真新しさがあるわけではない。けれど、それらがこの作家独自の、ドライでキレのよい、スピード感溢れる文体で書かれていくことで、ヘヴィでダークでパンチの効いた一冊に仕上がっている。</p> <p>何と言っても、冒頭の「ファンケルスティーン5」のインパクトが圧倒的だ。図書館の外にいた5人の黒人の子供たちが、白人男性にチェーンソーで殺害される。「自分の子供に危害を加えられそうな気がした」という白人男性は、裁判の結果、「自衛の範囲内」ということで無罪になる。主人公の青年は、理不尽すぎる事件に憤りを感じつつも、自らの「ブラックネス」をコントロールしながら日々の生活を送っていこうとするのだが、ふとしたきっかけからそのたがが外れ、それまで押さえつけられていた怒りのエナジーが爆発してしまう…!という話。黒人が日常的に受けている差別的な振る舞いと、それがまったく正しく裁かれることがないし、それに対して正しく怒りを表明することすらできない、ということへのフラストレーションと怒りと悲しみとがなんとも生々しくリアルに描かれており、読者は主人公の姿を通して、その感情を擬似的に体験させられることになる。</p> <p>(この短編は、2012年2月にフロリダで起こった「トレイボン・マーティン射殺事件」ーー地元の自警団を名乗る男ジョージ・ジマーマンが17歳の黒人高校生男子、トレイボン・マーティンを射殺したが、男は十分な取り調べを受けることもなく、後に無罪判決が出されたーーを下敷きにしているとのこと。過激でブラックジョーク的な物語ではあるけれども、しかし、それはジョークでもなんでもなく、まさに現実そのものである、というわけなのだ。)</p> <p>他の短編については、ややシュールレアリスティックというかSF的とも言えるようなディストピアを舞台にしているもの、そんな世界における家族の愛情を扱っているものが多い。アメリカの現在をあの手この手でデフォルメして描きながらも、物語の登場人物たちが感じる感情は、現実のアメリカに暮らす人たちのそれと相似形を成しているのであろう、というような作品たちになっている。</p> <blockquote/> 「お前には、無事でいて欲しい。だから行動をわきまえるんだ」と、ごく幼い頃から父に言われてきた。彼は、筆算を覚えるよりもはるか前に、黒人が取るべき行動を学んだ。「腹が立ったら微笑む。叫びたい時には囁く」これがブラックネスの基本だ。中学生の頃、動物園のギフト・ショップでパンダのぬいぐるみを盗んだと濡れ衣を着せられると、彼は自宅の私道でバギー・ジーンズを燃やした。(p.12 「フィンケルスティーン5<ファイヴ>」) </blockquote> <blockquote/> いつもこの調子ってわけじゃない。今週は、ブラック・フライデーの週末なのだ。平常時なら、誰かが死んだら、少なくとも清掃クルーがシートを持ってくる。去年のブラック・フライデーでは、百二十九人が犠牲になった。<br> 「ブラック・フライデーは、特殊なケースです。顧客サービスと人間どうしの結びつきを大切にする当モールの姿勢に、変わりはありません」<br> モールの経営陣は、モール全体に向けた覚書の中でそう綴った。スイッチをつけたり消したりするみたいに、人を思いやる心を自在に操作できるかのような言い草だった。(p.175「フライデー・ブラック」) </blockquote> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318754550864/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/5d52120ed23f3640806daa319e974493d3e0137f/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Fcircle%2Fofficial-circle-icon%2Fhobbies.gif" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">読書</div></div></a></div></p> hayamonogurai 『シンプルな情熱』/アニー・エルノー hatenablog://entry/820878482967764763 2023-09-15T21:04:07+09:00 2023-09-15T21:04:07+09:00 アニー・エルノーの自伝的な作品。若くして離婚し、パリでひとり暮らす「私」は、かつて東欧の若い外交官A(妻子持ち)と不倫の関係にあった。その当時に感じていた情熱(パッション)について振り返る、という物語。 自身の不倫が題材ではあるけれど、それをまったくセンセーショナルに扱っていないところが特徴的だ。むしろ、多くの人が経験したことがあるであろう感情の揺れ動きを、衒いなく率直に語っているという意味において、非常にストレートで誠実な作品だと言えるだろう。そもそも、全編通して、不倫というか、倫理にもとることをしているという感じがまったくないのだ。欲望や情熱は倫理の問題ではない、ということは、エルノーにとっては自明の前提であるようだ。 「私」はパッションに溺れているとも言えるような状態ではありつつも、しかし、それを書き記す筆致はあくまでも冷静で安定しており、ヒステリックなところ、感傷的になって流されるようなところは少しもない。「情熱(パッション)を生きる」という状態ーー訳者曰く、「自我の昂揚でありながら同時に自律性の喪失であり、尊厳からの失墜」であるような状態ーーを扱いながら、その手つきはどこまでも冷静で淡々としており、自分を突き放したようなところさえある。不倫ものにありがちなどろっとした雰囲気は皆無で、どちらかと言うと洗練とかクリーンとかクールといった言葉の方が似合うくらいなのだ。 だからこそ、本作は、極めてパーソナルな内容を語っているのにも関わらず、というか、そうであるからこそ、読者にとって開かれており、ある種の普遍性を獲得し得ているのだろうとおもう。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4151200207?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41Y5AA0DPRL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="シンプルな情熱 (ハヤカワepi文庫)" title="シンプルな情熱 (ハヤカワepi文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4151200207?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">シンプルな情熱 (ハヤカワepi文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%CB%A1%BC%20%A5%A8%A5%EB%A5%CE%A1%BC" class="keyword">アニー エルノー</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4151200207?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>アニー・エルノーの自伝的な作品。若くして離婚し、パリでひとり暮らす「私」は、かつて東欧の若い外交官A(妻子持ち)と不倫の関係にあった。その当時に感じていた情熱(パッション)について振り返る、という物語。</p> <p>自身の不倫が題材ではあるけれど、それをまったくセンセーショナルに扱っていないところが特徴的だ。むしろ、多くの人が経験したことがあるであろう感情の揺れ動きを、衒いなく率直に語っているという意味において、非常にストレートで誠実な作品だと言えるだろう。そもそも全編通して、不倫というか倫理にもとることをしているという感じがまったくないのだ。欲望や情熱は倫理の問題ではない、ということは、エルノーにとっては自明の前提であるようだ。</p> <p>「私」はパッションに溺れているとも言えるような状態ではありつつも、しかし、それを書き記す筆致はあくまでも冷静で安定しており、ヒステリックなところ、感傷的になって流されるようなところは少しもない。「情熱(パッション)を生きる」という状態ーー訳者曰く、「自我の昂揚でありながら同時に自律性の喪失であり、尊厳からの失墜」であるような状態ーーを扱いながら、その手つきはどこまでも冷静で淡々としており、自分を突き放したようなところさえある。不倫ものにありがちなどろっとした雰囲気は皆無で、どちらかと言うと洗練とかクリーンとかクールといった言葉の方が似合うくらいなのだ。</p> <p>だからこそ、本作は極めてパーソナルな内容を語っているのにも関わらず、というかそうであるからこそ、読者にとって開かれており、ある種の普遍性を獲得し得ているのだろうとおもう。</p> <p>たとえば、こんな箇所。</p> <blockquote/> この時期、私は一度としてクラシック音楽を聴かなかった。シャンソンのほうがよかったのだ。そのうちでもとりわけ感傷的ないくつかの曲、以前は一顧だにしなかった類の曲に、心を揺さぶられた。それらのシャンソンは、端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性を、またその普遍性を証言していた。シルヴィ・バルタンがその頃「どうしようもないの、動物だもの」と歌っているのを耳にして、私は、それを痛感しているのが自分一人ではないことを得心したのだった。シャンソンが、進行中だった私の体験に寄り添って、それを正当化してくれた。(p.31-32) </blockquote> <p>この箇所を読んだとき、ふいに自分が18歳だったか19歳だったかの頃のことをおもい出した。俺も、そのときに嵌まっていた「パッション」のおかげで、急にaikoの曲がめちゃくちゃ刺さるようになっていたのだった。よく晴れた夏の日、イヤホンをつけて自転車に乗って近所の公園に向かいながら、「気が付くのがいつも遅いんだ」と声を張るaikoの声が無性にぐっときて、何かがわかったような気にすらなった、その瞬間の光景や感覚が、妙にリアルによみがえってくるようにおもえたのだった。(そういえば、aikoの曲こそまさしく端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性と普遍性とを証言しているものだと言えそうだ。)</p> <p>あるいは、こんなところ。</p> <blockquote/> 日常生活上のめんどうなことには、いらいらしなかった。郵便配達のストライキが二ヶ月間続いたが、Aが私に手紙をくれることはなかった(たぶん結婚している男としての慎重さからだろう)から、私は気に留めなかった。交通渋滞に巻き込まれたときも、銀行の窓口に並ぶときも、落ち着いて待っていたし、係員や店員に無愛想な応対をされても苛立たなかった。どんなことにも、じりじりしなかった。私は、人々に対して、同情と、痛みと、友愛のないまぜになった感情を抱いていた。ベンチに横たわっている浮浪者たちや、街娼の客のこと、あるいはまた、列車の中でハーレクイン・ロマンスを読みふけっている女性のことが理解できた(もっとも、自分の中のいったい何が彼らと共通しているのかを明言することはできなかったと思う)。(p.34-35) </blockquote> <p>もはやいまとなっては自分のなかからまったく失われてしまったようにもおもえる「パッション」ではあるけれど、本書はそれがかつてあったということを、たしかな手応えをもって感じさせてくれる一冊だった。</p> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318754550864/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/5d52120ed23f3640806daa319e974493d3e0137f/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Fcircle%2Fofficial-circle-icon%2Fhobbies.gif" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">読書</div></div></a></div></p> hayamonogurai 『実演!バグ/ダイナソーJR』 hatenablog://entry/820878482967451509 2023-09-14T20:08:12+09:00 2023-09-14T20:08:12+09:00 ダイナソーJr.がオリジナルメンバー3人で復活した後、2011年6月にワシントンDCで行われた、3rdアルバム『BUG』全曲再現ライブの映像。抽選で選ばれたファンたちの手によって撮影された素材が用いられている。だから映像自体はだいぶ粗いのだけれど、それだけに臨場感は十分だし、バンドのインディーな雰囲気にはこのざらっとしてチープな感じがよく似合う。 演奏はアルバムに忠実な感じで、クオリティは文句なし。マーシャルアンプ6台を背にしたJはジャズマスターをかき鳴らしまくり、よれよれの声で歌い叫ぶ。ルー・バーロウは独特なアクションが激し過ぎて、もはやどう弾いているのかもよくわからない。マーフは全編に渡ってスネアをキンキンと打ち鳴らし続ける。見ていて疲れてしまうくらい、ひたすらテンションの高いライブが続いていく。『フリークシーン』の直後に見たものだから、いやーよかったよ3人がちゃんと仲直りしてくれて…とおもわずにはいられなかった。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B073HJ8HJR?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/61BCa8i9cfL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="実演!バグ/ダイナソーJR(字幕版)" title="実演!バグ/ダイナソーJR(字幕版)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B073HJ8HJR?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">実演!バグ/ダイナソーJR(字幕版)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>J・マスシス</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B073HJ8HJR?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>ダイナソーJr.がオリジナルメンバー3人で復活した後、2011年6月にワシントンDCで行われた、3rdアルバム『BUG』全曲再現ライブの映像。抽選で選ばれたファンたちの手によって撮影された素材が用いられている。だから映像自体はだいぶ粗いのだけれど、それだけに臨場感は十分だし、バンドのインディーな雰囲気にはこのざらっとしてチープな感じがよく似合う。</p> <p>演奏はアルバムに忠実な感じで、クオリティは文句なし。マーシャルアンプ6台を背にしたJはジャズマスターをかき鳴らしまくり、よれよれの声で歌い叫ぶ。ルー・バーロウは独特なアクションが激し過ぎて、もはやどう弾いているのかもよくわからない。マーフは全編に渡ってスネアをキンキンと打ち鳴らし続ける。見ていて疲れてしまうくらい、ひたすらテンションの高いライブが続いていく。<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/2023/09/13/200633">『フリークシーン』</a>の直後に見たものだから、いやーよかったよ3人がちゃんと仲直りしてくれて…とおもわずにはいられなかった。</p> <p>また、本作は全曲の歌詞の和訳が字幕で表示される、【完全日本語字幕】なるスタイルになっていて、この字幕もテンションが凄かった。機械翻訳ともまた違った、独特の直訳風なおもしろ翻訳になっていて、なんだかいちいち笑えてしまうのだ。ただ、この字幕のおかげで、大体の曲の歌詞がちょっとひねくれた内向的な「僕」を主人公にしたラブソング的な内容であるということが把握できたのはよかった。(正直な話、俺はいままでダイナソーJr.の歌詞の内容をちゃんと気にして聴いたたことがなかった…。)</p> <p>ライブ本編の最後に演奏された"Don't"は、激しくノイジーなギターと共に、'Why Why don't you like me'というフレーズを延々と繰り返すだけの曲なのだけれど、とくにこの字幕が圧巻で。「どうしてえええぇぇ 僕のことがぁぁぁ 嫌いなのおおぉぉぁぁぁいぇぁぁ」って具合に、ちゃんと1フレーズごとのボーカルの歌い方に合わせて、「おぉぉぉぅ」とか「あああえぇぇいいぃぃ」とか毎回微妙に違う字幕を当ててくるのだ。ダークでシリアスな雰囲気の曲ではあるのだけれど、字幕とのマッチングが面白すぎて――明らかにふざけているのだけど、この字幕がまたなんとも合っているのだ――何度も爆笑してしまった。</p> <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0009H9Z50?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/61zNOwq-ZxL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="バグ" title="バグ"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0009H9Z50?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">バグ</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">アーティスト:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C0%A5%A4%A5%CA%A5%BD%A1%BCJr." class="keyword">ダイナソーJr.</a></li><li>インペリアルレコード</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0009H9Z50?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318754550823/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/a74566f09f0f17667d2bef2963421c6c752d851b/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Fcircle%2Fofficial-circle-icon%2Fentertainment.gif" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">映画</div></div></a></div></p> hayamonogurai 『ダイナソーJr./フリークシーン』 hatenablog://entry/820878482967156308 2023-09-13T20:06:33+09:00 2023-09-13T20:06:33+09:00 ダイナソーJr.のドキュメンタリー映画。バンドにがっつりと密着して作成したというよりは、軽く関係者にインタビューしながらいままでの流れを追ってみた、というような作りになっており、とにかく全体的に淡々とした作りになっている。好意的な見方をすれば、観客におもねるようなところがぜんぜんない映画だ、と言うこともできるだろう。 作中では、彼らの音楽性であるとか、バンドサウンドの特徴といったことについては大して触れられていない。では何が語られているのかというと、それはもっぱらメンバー3人の関係性についてである。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B8M867Y9?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41DM7C-fdKL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ダイナソーJr./フリークシーン(字幕版)" title="ダイナソーJr./フリークシーン(字幕版)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B8M867Y9?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ダイナソーJr./フリークシーン(字幕版)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>J・マスキス</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B8M867Y9?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>Dinosaur Jr.のドキュメンタリー映画。バンドにがっつりと密着して作成したというよりは、軽く関係者にインタビューしながらいままでの流れを追ってみた、というような作りになっており<a href="#f-ae450783" name="fn-ae450783" title="もっとも、以下のようなバンドの歴史がひと通りわかるようになってはいる。 80年代USパンク/ハードコアに感化されたJとルー、マーフが出会い、バンド結成 →85年、『Dinosaur Jr.』でデビュー →88年、3rd『Bugs』でそこそこのヒットを飛ばすも、ツアー中にJとルーが大喧嘩し、そのままルーがバンドを脱退 →91年、『Grenn Mind』でメジャーデビュー →93年、マーフもメンタルを崩して脱退 →JはダイナソーJr.を継続するも、ハードコアやグランジのシーンは消失、バンドも売れなくなってしまい、97年に解散 →2005年、年齢を重ねて多少丸くなった3人が集い、オリジナルメンバーで再結成 ">*1</a>、内容的にはさほど濃密なものではない。とにかく全体的に淡々としているのだ。とくにJとルーは本当に淡白な感じで、予想外なことなど一言も喋らないくらいだと言っていい(というか、バンドのドキュメンタリーのくせに、彼らの台詞そのものがめちゃくちゃ少ない)。が、まあ、好意的な見方をすれば、観客におもねるようなところがぜんぜんない映画だ、と言うこともできるだろう。</p> <p>作中では、彼らの音楽性(ノイジーなサウンドとポップなメロディーの融合、アングラ感とユーモラスな雰囲気の共存、etc.)であるとか、バンドサウンドの特徴(ジャズマスター+ビッグマフのノイジーな歪みの爆音ギター、疾走感ある中音域のベースと安定したドラミング、絶妙にやる気の感じられないボーカル、etc.)といったことについては大して触れられていない。では何が語られているのかというと、それはもっぱらメンバー3人の関係性についてである。</p> <p>彼らに近しいバンドのメンバー――Sonic Youthのキム・ゴードンやサーストン・ムーア、Black Flagのヘンリー・ロリンズなど――は口々に、「ダイナソーJr.の3人はバンドとしては完璧なのに、演奏中を除けば到底仲がよさそうには見えない」と言う。それはどうやら実際その通りであったようで、メンバー3人がたのしそうに談笑したりじゃれ合ったりしているようなシーンというのは、ただの一度も映し出されることがない。ちゃんとコミュニケーション取れてるの?って、見ているこっちが心配になってしまうくらいなのだ。</p> <p>おまけに、J自身も3人の関係性について、「友達というより家族だな。それも機能不全の」などと語っている。これはつまり、コミュニケーションがいまいち取れていない程度ではもう離れようがないというか、過去の怒りや恨みがあっても一緒にやっていくしかないというかやっていけてしまうというか、彼らはもはやそういう抜き差しならぬ関係になってしまっているという意味なのだろう。音楽だけで結び付けられた、機能不全の家族。そんな関係性が奇跡的なバランス<a href="#f-e4758a0a" name="fn-e4758a0a" title="作中、Pixiesのフランク・ブラックはこんなことを語っていた。「バンドっていうのは大きな怪獣みたいなものだ。ダイナソーJr.なら、モーフが両脚、Jが右腕、ルーが左腕、頭はふたつあって大きな頭がJ、小さな頭がルーだな。でも、バンドで重要なのは頭じゃない、両腕と身体のバランスなんだ。それが良ければ、ぐおーって突き進んでいける」…わかるようなわからないような、でもダイナソーJr.のことをたしかによく表しているようにも感じられる、妙な納得感のある説明だ。">*2</a>で整ったときにだけ、ダイナソーJr.というバンドが成立し、あの素晴らしい轟音を鳴り響かせることができる、ということであるようだ。</p> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318754550823/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/a74566f09f0f17667d2bef2963421c6c752d851b/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Fcircle%2Fofficial-circle-icon%2Fentertainment.gif" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">映画</div></div></a></div></p> <div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-ae450783" name="f-ae450783" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">もっとも、以下のようなバンドの歴史がひと通りわかるようになってはいる。<br> 80年代USパンク/ハードコアに感化されたJとルー、マーフが出会い、バンド結成<br> →85年、『Dinosaur Jr.』でデビュー<br> →88年、3rd『Bugs』でそこそこのヒットを飛ばすも、ツアー中にJとルーが大喧嘩し、そのままルーがバンドを脱退<br> →91年、『Grenn Mind』でメジャーデビュー<br> →93年、マーフもメンタルを崩して脱退<br> →JはダイナソーJr.を継続するも、ハードコアやグランジのシーンは消失、バンドも売れなくなってしまい、97年に解散<br> →2005年、年齢を重ねて多少丸くなった3人が集い、オリジナルメンバーで再結成 </span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-e4758a0a" name="f-e4758a0a" class="footnote-number">*2</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">作中、Pixiesのフランク・ブラックはこんなことを語っていた。「バンドっていうのは大きな怪獣みたいなものだ。ダイナソーJr.なら、モーフが両脚、Jが右腕、ルーが左腕、頭はふたつあって大きな頭がJ、小さな頭がルーだな。でも、バンドで重要なのは頭じゃない、両腕と身体のバランスなんだ。それが良ければ、ぐおーって突き進んでいける」…わかるようなわからないような、でもダイナソーJr.のことをたしかによく表しているようにも感じられる、妙な納得感のある説明だ。</span></p> </div> hayamonogurai 『女神の見えざる手』 hatenablog://entry/820878482966922968 2023-09-12T21:30:09+09:00 2023-09-12T21:30:09+09:00 ロビイストの主人公(ジェシカ・チャステイン)の姿がとにかくやたらと格好いい、社会派サスペンス。大手ロビー会社で、目的のためなら手段を選ばない敏腕として知られていたエリザベス・スローンは、ある日、新たな銃規制法案を廃案にするよう依頼される。しかし、信念に反する仕事はやらない主義だという彼女は、部下を引き連れて小さなロビー会社に移籍、全米ライフル協会とかつての同僚たちを相手取って、銃規制派としての活動を繰り広げていくことに。エリザベスの読みは恐ろしく鋭く、取る手段は常に緻密だが、非常に計算高い上にどこまでも冷徹、倫理観などといったものはまるで持ち合わせていないように見える。彼女は誰もがおもいもかけないような手段で勝利に近づいていくのだったが…! アメリカの銃規制とロビー活動を扱った政治ものという要素はあれど、本作はあくまでもミス・スローンという一人の女の、己の信念を貫くための孤独な戦いの物語だと言っていいだろう。もっとも、彼女の内面そのものについて明確に語られるようなシーンがあるわけではないので、彼女の信念が具体的にどういったものであるのかは、作中の他の登場人物たちと同様に、観客にも最期までよくわからない。 まあとにかく一貫して、よくわからないけれど異様なまでに強い意思力とタフネス、心の闇と勝利への執着心とを持ち続けている、恐ろしく強い女であり続けるのだ。かなりハードボイルドな作風だと言っていいだろう。それだけに、彼女の信ずるものや弱さといったものが一瞬だけ垣間見えるようにおもえたとき、観客は心揺さぶられることになる。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07B42W49V?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51DPLAIwzUL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="女神の見えざる手(字幕版)" title="女神の見えざる手(字幕版)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07B42W49V?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">女神の見えざる手(字幕版)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>ジェシカ・チャステイン</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07B42W49V?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>ロビイストの主人公(ジェシカ・チャステイン)の姿がとにかくやたらと格好いい、社会派サスペンス。大手ロビー会社で、目的のためなら手段を選ばない敏腕として知られていたエリザベス・スローンは、ある日、新たな銃規制法案を廃案にするよう依頼される。しかし、信念に反する仕事はやらない主義だという彼女は、部下を引き連れて小さなロビー会社に移籍、全米ライフル協会とかつての同僚たちを相手取って、銃規制派としての活動を繰り広げていくことに。エリザベスの読みは恐ろしく鋭く、取る手段は常に緻密だが、非常に計算高い上にどこまでも冷徹、倫理観などといったものはまるで持ち合わせていないように見える。彼女は誰もがおもいもかけないような手段で勝利に近づいていくのだったが…!</p> <p>アメリカの銃規制とロビー活動を扱った政治ものという要素はあれど、本作はあくまでもミス・スローンという一人の女の、己の信念を貫くための孤独な戦いの物語だと言っていいだろう。もっとも、彼女の内面そのものについて明確に語られるようなシーンがあるわけではないので、彼女の信念が具体的にどういったものであるのかは、作中の他の登場人物たちと同様に、観客にも最期までよくわからない。</p> <p>ミス・スローンには家族も恋人もおらず、私生活はまったくのゼロ。完全なワーカホリックで、睡眠はとらず(向精神薬をのむだけ)、食事はいつも同じ中華料理店でとる。そのくせスタイル抜群で、どんなときでも黒のスーツにハイヒール、真紅のルージュでメイクもばっちり決めている。性欲は高級エスコートサービスで満たすが、心の渇きを満たそうとすることは滅多にない。味方にも決して手の内を明かすことはなく、ただ勝つためだけにすべてを捧げているように見える。</p> <p>まあとにかく一貫して、よくわからないけれど異様なまでに強い意思力とタフネス、心の闇と勝利への執着心とを持ち続けている、恐ろしく強い女であり続けるのだ。かなりハードボイルドな作風だと言っていいだろう。それだけに、彼女の信ずるものや弱さといったものが一瞬だけ垣間見えるようにおもえたとき、観客は心揺さぶられることになる。</p> <p>物語のテンポは小気味よく、演出は程よくスタイリッシュで、無駄な描写がないところも良かった。全編通してクールでシャープで、切り詰められている映画だった。</p> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318754550823/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/a74566f09f0f17667d2bef2963421c6c752d851b/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Fcircle%2Fofficial-circle-icon%2Fentertainment.gif" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">映画</div></div></a></div></p> hayamonogurai 『遅読のすすめ』/山村修 hatenablog://entry/820878482966655919 2023-09-11T22:44:40+09:00 2023-09-12T23:11:33+09:00 立花隆や福田和也が提唱する、速読・多読といったものに対して、ほとんどの人は(彼らのような職業上の必要性に駆られているのではないのだから)そういった読書法は必要ではないだろう、と主張する一冊。 たとえば立花の言う、「本を沢山読むために何より大切なのは、読む必要がない本の見きわめをなるべく早くつけて、読まないとなったら、その本は断固として読まないことである」といった主張に対し、山村は反対するわけではないが、どうしてもどこかに違和感を覚える、と言う。 立花や福田の言う「読む」といわゆる世間一般で言う「読む」とではそもそも基準が違うだろう、ということだ。これはまったくそのとおりで、立花/福田と山村とでは、そもそも読書とは何か、というかんがえ方も違えば、読書に求めるもの、期待するものだってぜんぜん違っているのだから仕方ない、というところではあるのだけれど、それでも文章を書きながらテンションが上がってきてイラついている感じが出ているのがおもしろい。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4104562017?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51Go9JF4WNL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="遅読のすすめ" title="遅読のすすめ"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4104562017?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">遅読のすすめ</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B3%C2%BC%20%BD%A4" class="keyword">山村 修</a></li><li>新潮社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4104562017?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>立花隆の<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/2019/05/30/213817">『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』</a>や福田和也の<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/2020/02/11/210606">『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』</a>に代表される、速読・多読といったものに対して、ほとんどの人は(彼らのような職業上の必要性に駆られているのではないのだから)そういった読書法は必要ではないだろう、と主張する一冊。</p> <p>たとえば立花の言う、「本を沢山読むために何より大切なのは、読む必要がない本の見きわめをなるべく早くつけて、読まないとなったら、その本は断固として読まないことである」といった主張に対し、山村は反対するわけではないが、どうしてもどこかに違和感を覚える、と言う。そして、その理由についてこう述べている。</p> <blockquote/> 必要があって本を読むとき、私はそれを読書とは思っていないのだ。それは「読む」というのではなくて、「調べる」というのではないか。あるいは「参照する」というのではないか。 たとえ一冊を読み、企画書なりレポートなりに役立てることがあっても、私にはそれをもって読書とする感覚がない。もちろん必要があってのことだから、拾い読みもするし、飛ばし読みもする。しかし、一括を拾い読みしたあと、私はそれを読書の冊数としてカウントなどしない。私だけではないだろう。世間一般ではそれを読書とみなさない。 まちがっていたら申し訳ないが、ひと月に最低百冊読むと福田和也がいうとき、その百冊には、仕事のために本の一部分を調べたり、参照したりするものまで、すべてカウントされていると思う。そんなものまで読書のうちに数えるか、ふつう。(p.45-46) </blockquote> <blockquote/> 氏(←立花隆)の主張は明快で、よほどのヒマ人でないかぎり、「タイムコンシューミングな(時間ばかりくってしょうがない)本」は読むべきでないというのである。しかし私などにとっては、氏のいう「タイムコンシューミングな本」こそたいせつな本だ。 私には、自分の読みたい本で、なおかつタイムコンシューミングでない(速読できる)本というのは、どう考えてもただの一冊も思い浮かばない。どうやら私が読みたいと思うあらゆる本が「時間ばかりくう本」なのである。(p.63) </blockquote> <blockquote/> 読書について、もっぱら物理的な大量消費をあおるような人たちの強迫的な文章が私はきらいである。(p.93) </blockquote> <p>立花や福田の言う「読む」といわゆる世間一般で言う「読む」とではそもそも基準が違うだろう、ということだ。これはまったくそのとおりで、立花/福田と山村とでは、そもそも読書とは何か、というかんがえ方も違えば、読書に求めるもの、期待するものだってぜんぜん違っているのだから仕方ない、というところではあるのだけれど、それでも文章を書きながらテンションが上がってきてイラついている感じが出ているのがおもしろい。</p> <p>そういうわけで、本書は速読本にあてられて疲れてしまったりうんざりしてしまった人にぴったりの一冊だと言えるだろう。</p> <blockquote/> 社会に出ると、もはやしあわせな読書生活などというものはない。そもそも本を読めるにせよ、一日の全体からすれば、ごくわずかな時間のことである。本に中毒などしている暇はない。もしもそういうことへのあこがれがあるとすれば、それを断ち切ってからでないと生活人の日常がはじまらない。(p.162) </blockquote> <p>このあたりも、学生の頃から本好きだった人には身に染みるようにわかるだろう。自分としても、社会に出てから十数年というもの、「しあわせな読書生活」へのあこがれを胸の内にしまっておいたり、投げ捨ててみたり、いややっぱりあれは大事なものだったのかもとまた手を伸ばしてみたり…というのを何度となく繰り返しながら「生活人の日常」を送っているわけだけれど、山村の主張としては、上記のような前提があるとしてもなお読書が人間の生活に幸福をもたらすものとしてあり得るためには、やはり遅読がよいだろう、ということになる。</p> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318754550864/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/5d52120ed23f3640806daa319e974493d3e0137f/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Fcircle%2Fofficial-circle-icon%2Fhobbies.gif" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">読書</div></div></a></div></p> hayamonogurai 『皆のあらばしり』/乗代雄介 hatenablog://entry/820878482966365922 2023-09-10T21:35:57+09:00 2023-09-10T22:39:31+09:00 歴史研究部に所属する高校2年生の「ぼく」は、部活の研究で皆川城址を訪れた際、怪しげな中年の男に出会う。こてこての大阪弁がいかにも胡散臭い男だったが、その異様な博識は「ぼく」を否応なしに惹きつけていくのだった。男は、「ぼく」が入手した旧家の蔵書目録を眺め、そこに載っている「皆のあらばしり」という本はこれまでどこにも記録されていないものだ、と言う。もしそれが本当であれば、これはなかなかの大発見ということになる。ふたりは同書を手に入れようと計画を練るのだが…! ほとんど全編が「ぼく」と男の会話のみで成り立っている本作は、会話劇のような性格を持っている。基本的に、ふたりの会話のおもしろさのみによって物語が牽引されていくのだ。古文書や郷土史が主題になっているだけあって、なかなかややこしい内容を語っていたりもするのだけれど、男の怪しげな饒舌と「ぼく」の冷静なツッコミはどこか漫談のような雰囲気を醸しており、良いグルーヴ感が生み出されているので、ぐんぐん読み進んでいける。 男に不信感を抱いていた「ぼく」が、やがて男に憧れるようになり、認められたい、対等になりたいとおもうようになる、という展開は、爽やかな王道の青春文学のようでもある。それを、地方の旧家に眠る古文書の真贋や郷土史を巡るちょっとしたミステリ、というかなり渋い要素と混ぜ込んでいるあたり、うまいな、と感じた。「皆のあらばしり」探求のなかで、男は「ぼく」をからかったりおちょくったりしつつも、近代史の蘊蓄やら人生訓やらを語ったりもするのだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09MT4XSYY?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41M95qHCHmL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="皆のあらばしり" title="皆のあらばしり"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09MT4XSYY?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">皆のあらばしり</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%E8%C2%E5%CD%BA%B2%F0" class="keyword">乗代雄介</a></li><li>新潮社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09MT4XSYY?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>歴史研究部に所属する高校2年生の「ぼく」は、部活の研究で皆川城址を訪れた際、怪しげな中年の男に出会う。こてこての大阪弁がいかにも胡散臭い男だったが、その異様な博識は「ぼく」を否応なしに惹きつけていくのだった。男は、「ぼく」が入手した旧家の蔵書目録を眺め、そこに載っている「皆のあらばしり」という本はこれまでどこにも記録されていないものだ、と言う。もしそれが本当であれば、これはなかなかの大発見ということになる。ふたりは同書を手に入れようと計画を練るのだが…!</p> <p>ほとんど全編が「ぼく」と男の会話のみで成り立っている本作は、会話劇のような性格を持っている。基本的に、ふたりの会話のおもしろさのみによって物語が牽引されていくのだ。古文書や郷土史が主題になっているだけあって、なかなかややこしい内容を語っていたりもするのだけれど、男の怪しげな饒舌と「ぼく」の冷静なツッコミはどこか漫談のような雰囲気を醸しており、良いグルーヴ感が生み出されているので、ぐんぐん読み進んでいける。</p> <p>男に不信感を抱いていた「ぼく」が、やがて男に憧れるようになり、認められたい、対等になりたいとおもうようになる、という展開は、爽やかな王道の青春文学のようでもある。それを、地方の旧家に眠る古文書の真贋や郷土史を巡るちょっとしたミステリ、というかなり渋い要素と混ぜ込んでいるあたり、うまいな、と感じた。「皆のあらばしり」探求のなかで、男は「ぼく」をからかったりおちょくったりしつつも、近代史の蘊蓄やら人生訓やらを語ったりもするのだ。</p> <blockquote/> 「確かに、そんなことはみな打算的に始めるのかも知らんわ。でもな、今回はたまたま運が良かったけれども、打算っちゅうのは十中八九、空振るもんや。大半の人間はそこでやめてまうから打算に留まるんやで。それを空振りしてなお続けてみんかい。打算でやっとったら割に合わんことばっかりなんやから、そんな考えはすぐに消え失せるわ。積み重なる行為の前には、思考や論理なんてやわなもんやで。損得勘定しかできん初手でやめてまうアホは、そんなことも理解できんと、死ぬまで打算の苦しみの中で生き続けるんやけどなー」(p.60) </blockquote> <blockquote/> 「書いたもんはすぐに読んでもらわなもったいないと思うんが大勢の世の中や。ひょろひょろ育った似たり寄ったりの軟弱な花が、自分を切り花にして見せ回って、誰にも貰われんと嘆きながら、いとも簡単に枯れて種も残さんのや。アホやのー。そんな態度で書かれとる時点であかんこともわからず、そんな態度を隠そうっちゅう頭もないわけや。そんな杜撰な自意識とは対極にある『皆のあらばしり』みたいなほんまもんを引っ張り出すんがわしの仕事やねん」(p.112) </blockquote> <p>ただ、以前に『旅する練習』を読んだときにもおもったのだけれど、小説の最後に「予想外の逆転」みたいなものを持ってくる必要ってあるのだろうか?という疑問は残った。まあ、本作の場合、『旅する練習』と違って元々の物語にミステリ的な要素が強いので、「予想外」みたいなものが出てきても違和感はあまりないのだけれど。こういうトリック的なものが最後に置かれて悪目立ちしてしまうことで、作品全体の印象が変わってしまうというのは、なんだか勿体ないような気もしたのだった。(とくに本作において、このトリックはあまり効果を上げていないように感じられたので、余計にそうおもったのだった。)</p> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318754550864/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/5d52120ed23f3640806daa319e974493d3e0137f/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Fcircle%2Fofficial-circle-icon%2Fhobbies.gif" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">読書</div></div></a></div></p> hayamonogurai 『1000冊読む!読書術』/轡田隆史 hatenablog://entry/820878482965773332 2023-09-08T19:54:13+09:00 2023-09-08T19:54:13+09:00 読書はいいですよ、たくさん本を読むことはあなたの人生に絶対に有益ですよ、というシンプルな主張のもと、いろいろなエピソードを語っている一冊。まあよくあるタイプの本で、取り立てて斬新なところはないのだけれど、新聞の論説委員だった轡田の文章は軽妙で嫌味なところがまったくなく、たのしく読める。タイトルには「1000冊読む」とあるが、具体的に1000冊読むための技術や方法論が扱われているわけではなく、まあたくさん読もうぜ、くらいの意味だと言えそうだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/483792347X?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41hSjW0nO4L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="1000冊読む!読書術" title="1000冊読む!読書術"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/483792347X?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">1000冊読む!読書術</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A5%C5%C4%20%CE%B4%BB%CB" class="keyword">轡田 隆史</a></li><li>三笠書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/483792347X?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>読書はいいですよ、たくさん本を読むことはあなたの人生に絶対に有益ですよ、というシンプルな主張のもと、いろいろなエピソードを語っている一冊。まあよくあるタイプの本で、取り立てて斬新なところはないのだけれど、新聞の論説委員だった轡田の文章は軽妙で嫌味なところがまったくなく、たのしく読める。タイトルには「1000冊読む」とあるが、具体的に1000冊読むための技術や方法論が扱われているわけではなく、まあたくさん読もうぜ、くらいの意味だと言えそうだ。</p> <p>轡田は早稲田大学でサッカーをやっていた自身の経験と照らしつつ、読み書きについてもサッカーと同じような「筋肉労働」であり、使わないでいるとなまってしまうものだ、と語る。</p> <blockquote/> ほんのしばらくでも本を読まないでいると、「読む力」がてきめんに低下する(p.80) </blockquote> <blockquote/> 期末試験やシーズン・オフでしばらく練習を休んだあとの練習は、とてもきつい。すぐに息切れるし、筋肉痛になるし、ボールは足についてこない。<br> 肉体も頭のなかも、つまり、なまってしまっている。(p.81) </blockquote> <blockquote/> この「なまる」という状態はなかなか深刻な問題で、読書(文章を書くのも!)もまったく同じ。一日でも読まない(書かない)日があると、てきめんに「力」が「なまる」のだ。まずスピード。そして集中力。(p.81) </blockquote> <p>これは本当にそのとおりというか、いまの自分にとっては激しく同意できる指摘だった。いや、このこと自体はずっと前からわかっていたことではあるのだけれど、ちょっとしたことで読み書きの継続が途切れてしまうと、そこからのバウンスバックはなかなかに大変だよね、ということが最近身に染みていたところだったので、ついつい頷きまくってしまったのだった。</p> <p>そういうときは、もっとうまく読みたい、書きたいといくら願ったりかんがえたりしてもだめで、轡田が語っているとおり、とにかく読む/書く行為を継続していく以外に有効な手立てはない。読書の「筋肉」をなまらせず、鍛えていくためには、とにかく日々続けていくしかないのだ。</p> hayamonogurai 『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』/丸山俊一+NHK「欲望の時代哲学」制作班 hatenablog://entry/820878482965508893 2023-09-07T20:13:38+09:00 2023-09-07T20:13:38+09:00 NHKの番組の内容を新書化した一冊。1,2章には、マルクス・ガブリエル訪日時の発言や講義(哲学史の概説と、その流れのなかに位置づけられる新実在論の解説)を文字起こししたものが、3章には、ロボット工学科学者の石黒浩との対談が収められている。元がテレビ番組というだけあって、1,2章の内容的はかなり薄めで退屈だったけれど、3章の対談にはそれなりに盛り上がりが感じられた。 石黒が、「日本人は同質性が高く、表現に細心の注意を払わなくてもすぐにアイデアを共有できるという特長があるとおもうが、ドイツ人はどうか?」と尋ねると、ガブリエルは、「ドイツの場合、1871年にはじめてひとつの『ドイツ』という国家になったのであって、それまで『ドイツ人』は存在していなかった、だからドイツ社会というのは実際のところまったく同質性が高くないわけだが、まさにそういった環境こそが、ドイツ人に厳格な論理構造を求めさせることになった」…といったことを語る。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4140885696?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/512eilEQN8L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書 569)" title="マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書 569)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4140885696?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書 569)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B4%DD%BB%B3%20%BD%D3%B0%EC" class="keyword">丸山 俊一</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/NHK%A1%D6%CD%DF%CB%BE%A4%CE%BB%FE%C2%E5%A4%CE%C5%AF%B3%D8%A1%D7%C0%A9%BA%EE%C8%C9" class="keyword">NHK「欲望の時代の哲学」制作班</a></li><li>NHK出版</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4140885696?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>NHKの番組の内容を新書化した一冊。1,2章には、マルクス・ガブリエル訪日時の発言や講義(哲学史の概説と、その流れのなかに位置づけられる新実在論の解説)を文字起こししたものが、3章には、ロボット工学科学者の石黒浩との対談が収められている。元がテレビ番組というだけあって、1,2章の内容的はかなり薄めで退屈だったけれど、3章の対談にはそれなりに盛り上がりが感じられた。</p> <p>石黒が、「日本人は同質性が高く、表現に細心の注意を払わなくてもすぐにアイデアを共有できるという特長があるとおもうが、ドイツ人はどうか?」と尋ねると、ガブリエルは、「ドイツの場合、1871年にはじめてひとつの『ドイツ』という国家になったのであって、それまで『ドイツ人』は存在していなかった、だからドイツ社会というのは実際のところまったく同質性が高くないわけだが、まさにそういった環境こそが、ドイツ人に厳格な論理構造を求めさせることになった」…といったことを語る。</p> <blockquote/> ドイツは概念レベルのみで統一されているのです。(p.184) </blockquote> <blockquote/> 日本には天皇が存在していて会うことも可能ですよね。皇居もある。でもドイツには皇帝がいないので、ドイツ観念論主義者は「目に見えない教会」が必要だと言います。ですから私たちには「目に見えない皇帝」があります。その「目に見えない皇帝」こそが哲学なのです。(p.185) </blockquote> <p>「空気」で何でも伝わる(というか、むしろ同質性をベースにした「空気」でないと何も伝わらない)日本と対比してみることで、ドイツでなぜ論理や哲学や確固とした概念が希求されてきたのか、ということがよくわかるような気がする。</p> <blockquote/> ドイツには第一次世界大戦、第二次世界大戦という大きな失敗があります。歴史を振り返るとき、ドイツ社会では全体として、失敗は「非人間化」のせいだったという見方が定着しています。収容所は非人間化の結果だとね。<br> ですから、人間とは何かという確固とした概念が必要とされているのです。なぜなら、人間の概念が揺らげば、次に待っているのは、収容所だからです。このような見方が一般的に受け入れられています。(p.174) </blockquote> <p>このあたりについても、ドイツと日本でははっきりと異なっている。日本では「人間とは何かという確固とした概念」なんてまるで意識されることはないし、第二次大戦の失敗の原因がきちんと突き詰められて一般に共有されることだってないだろう。もともとの同質性の高さゆえに論理や議論が求められないこと、それによって簡単に思考停止の状態に陥ってしまい得るということがいかに危険であるのか、かんがえさせられる。</p> hayamonogurai 『若き商人への手紙』/ベンジャミン・フランクリン hatenablog://entry/820878482965133565 2023-09-06T13:00:35+09:00 2023-09-06T13:00:35+09:00 資本主義が生の全体を覆い尽くしているこの世界、金こそが人の生きる尺度であり、商品価値によって人が選別されるこの世界で賢く生き、成功するための知恵や行動規範について書かれた一冊。世に数多存在する大富豪本や人生の成功法則本、ビジネス書の原型とも言われる本書は、資本主義の優秀な奴隷になるためにはいかなる意識を持つ必要があるか、について語っている本だと言ってもいいだろう。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4893468294?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51JTVDJGEEL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="若き商人への手紙" title="若き商人への手紙"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4893468294?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">若き商人への手紙</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D9%A5%F3%A5%B8%A5%E3%A5%DF%A5%F3%20%A5%D5%A5%E9%A5%F3%A5%AF%A5%EA%A5%F3" class="keyword">ベンジャミン フランクリン</a></li><li>総合法令出版</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4893468294?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>資本主義が生の全体を覆い尽くしているこの世界、金こそが人の生きる尺度であり、商品価値によって人が選別されるこの世界で賢く生き、成功するための知恵や行動規範について書かれた一冊。世に数多存在する大富豪本や人生の成功法則本、ビジネス書の原型とも言われる本書は、資本主義の優秀な奴隷になるためにはいかなる意識を持つ必要があるか、について語っている本だと言ってもいいだろう。</p> <blockquote/> 私たち自身の「怠惰」は、私たちにとって実際にはるかに重い税金と言えるのです。完全な怠け者、すなわち、何もしないでいるために浪費する時間や、つまらないこと、何の役にも立たない遊びに使う時間を考えれば、よくおわかりになるでしょう。<br> 「怠惰」は病気を招き、確実にあなた方の寿命を縮めてしまうのです。(p.22) </blockquote> <blockquote/> 勤勉であれば、決して飢える心配はありません。<br> プア・リチャードが言うように、<br> 『働き者の家には、飢えが家の中をのぞこうにも、入ることは決してない』<br> からです。(p.26) </blockquote> <blockquote/> 余暇というのは、何か有用なことに使う時間をいうのです。<br> したがって余暇というのは、勤勉な人であってはじめて得られるものなのです。<br> 怠け者には決して得ることができないのです。(p.29) </blockquote> <p>勤勉に働き、従順な奴隷になれ、さもなければ金を稼ぐことができずに死ぬぞ。時間には利子がつくのだから、時間を無駄にすることはすなわち機会損失であり、何も生み出していない時間は罪である、未来のために今を生きよ。といった脅しが全編通して繰り返されているわけだが、このような内容は私たちにとってはいまさら言われるでもないことだろう。本書が書かれた当時ーー資本主義経済の黎明期ーーであればともかく、現在はフランクリンの主張はもはや完全にコモンセンスと同一化してしまっているからだ。</p> <p>現在の資本主義社会の生きづらさというのは、このような脅し、プレッシャー、恐怖心を植え付けることによって社会を駆動しようとしているところにあるのではないだろうか、という気がする。フランクリンの言っているようなことだけが本当なのか?他のかんがえ方はあり得ないのか?ということは常に疑い続けていくべきだろう。</p> hayamonogurai 『パリのすてきなおじさん』/金井真紀、広岡裕児 hatenablog://entry/820878482964543160 2023-09-04T10:12:28+09:00 2023-09-04T10:12:28+09:00 作家/イラストレーターの著者が、パリの道ばたで出会ったすてきなおじさんを集めた一冊。おじさんのキュートなイラストと、おじさん自身の語りを中心とした軽めのエッセイが掲載されている。おしゃれなおじさん、アートなおじさん、おいしいおじさん、移民のおじさん、難民のおじさん、戦争世代のおじさんなど、さまざまな独自の軸とスタイルを持ち、独自の生き方をしているおじさんたちが登場するのだけれど、彼らのバリエーションの豊かさは、そのままパリという街の多様性を映し出しているかのようだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B082WSM6SG?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/510DIpFb2aL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="パリのすてきなおじさん" title="パリのすてきなおじさん"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B082WSM6SG?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">パリのすてきなおじさん</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B6%E2%B0%E6%BF%BF%B5%AA" class="keyword">金井真紀</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B9%AD%B2%AC%CD%B5%BB%F9" class="keyword">広岡裕児</a></li><li>柏書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B082WSM6SG?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>作家/イラストレーターの著者が、パリの道ばたで出会ったすてきなおじさんを集めた一冊。おじさんのキュートなイラストと、おじさん自身の語りを中心とした軽めのエッセイが掲載されている。おしゃれなおじさん、アートなおじさん、おいしいおじさん、移民のおじさん、難民のおじさん、戦争世代のおじさんなど、さまざまな独自の軸とスタイルを持ち、独自の生き方をしているおじさんたちが登場するのだけれど、彼らのバリエーションの豊かさは、そのままパリという街の多様性を映し出しているかのようだ。</p> <p>ほとんどのおじさんについては、さらっと短時間のインタビューをしているだけなので、そこまで深い話は出てこない。ただ、さすがは芸術の都パリ、芸術家や職人のおじさんの話は興味深かった。なかでも強く印象に残ったのは、モンマルトルに暮らす82歳の画家――かつてはラクリエール工房で働いており、ミロ、スーラ、ブラック、藤田嗣治、ダリらとも関わりがあったという――の話。商人の思惑に左右されることなく自由に絵を描きたいとかんがえるようになり、いまは画商を通さずに自分のアトリエで絵を販売しているのだという彼は、こんな風に語っている。</p> <blockquote/> 芸術は経済に蹂躙されてしまいました。百万ユーロで売れれば傑作だということになる。こんなことをはじめたのはピカソなんです。ピカソとはラクリエール工房で一緒でした。出世欲の強い、まったく嫌なやつでした。だから成功したんでしょう。(p.66) </blockquote> <p>ピカソは、自身の名の売り方やその換金方法についても熟知していたことで有名ではあるけれど、この画家のおじさんにとっては、そんなのは経済に魂を売ったやつのやり方だということになるのだろう。絵の世界では、「絵の価格=画家の格付け」ということになるが、そんなばかばかしいシステムに組み込まれるのはごめんだね、というわけだ。</p> <blockquote/> 最近ぼくが絵のテーマにしているのは「ラ・ヴィ(人生、生命)」です。人生の神秘を描きたい。どうしてわたしたちはここにいるのか?なぜ人は生きるのか?哲学的な問いです。それを絵で表現したい。<br> ルイ・アラゴンの詩に「人生を学んでいるあいだに手遅れになる」という美しいフレーズがあります。ぼくはときどきそのことを考える。アラゴンとは親交がありました。ぼくよりずいぶん年上でしたが、とても落ち着いた人でした。肖像画を二回描かせてもらいました。<br> 人生を学んでいるあいだに手遅れになる。だから大事なことは後回しにしてはいけない。人生とはそういうものなんだと思います。(p.67) </blockquote> <p>どうしてここにいるのか、どうして人は生きるのか。そんなことを本気でかんがえている人が、資本主義経済のシステムの基準に同意し、そのなかで働き続けるというのは難しいことだろう。だからこそ、このおじさんはシステム内での「成功」とは違うところに大切なものを見出し、自分の人生のために独自の選択をしているのだ。学んでいるあいだに手遅れになる、そういったものが人生であるからこそ、何が自分にとって大事なことであるのかについては見誤らないようにしなくては、と改めておもわされたのだった。</p> hayamonogurai 『Mトレイン』/パティ・スミス hatenablog://entry/820878482961635979 2023-08-25T22:51:02+09:00 2023-08-25T22:51:02+09:00 パティ・スミスによる回顧録的なエッセイ。自身の内面深くに潜り込んでいくような文体で、自由連想的な文章が紡がれている。彼女自身の年齢もあってか、全体のムードは静謐、瞑想的で、粒子の粗いモノクロームのような美しさを感じさせる一冊になっている。 音楽の話はほとんど出てこない。主な話題は彼女のルーティン――朝起きていつものカフェに向かい、いつもの席に座り、ブラウントーストとコーヒーを注文し、ノートに文章を書きつける――と旅、彼女が愛する本たちと作家たち、失われた場所や物たち、そして何より死者たちに関するものだ。だから本書にはパンクの女王としてのパティ・スミスの姿というのはほとんど感じられない。これは、あくまでのひとりの文学少女(の大ベテラン)の手による随想集なのだ。 あらゆる瞬間は過ぎ去っていき、後には何も残らない。どんなものも人も、消えていかないものなどない。だからこそ、物書きは文字としてそれらを留め、なんとか形あるものとして焼きつけようと足掻くのかもしれない。訳者の菅は「訳者あとがき」で、パティ・スミスを「墓守」と呼んでいたけれど、彼女にとって、書くこととは失われゆくことへの哀歌であり、失われたものへの鎮魂歌でもあるようだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4309208118?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41lgAmV6SAL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="Мトレイン" title="Мトレイン"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4309208118?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">Мトレイン</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D1%A5%C6%A5%A3%A1%A6%A5%B9%A5%DF%A5%B9" class="keyword">パティ・スミス</a></li><li>河出書房新社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4309208118?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>パティ・スミスによる回顧録的なエッセイ。自身の内面深くに潜り込んでいくような文体で、自由連想的な文章が紡がれている。彼女自身の年齢もあってか、全体のムードは静謐、瞑想的で、粒子の粗いモノクロームのような美しさを感じさせる一冊になっている。</p> <p>音楽の話はほとんど出てこない。主な話題は彼女のルーティン――朝起きていつものカフェに向かい、いつもの席に座り、ブラウントーストとコーヒーを注文し、ノートに文章を書きつける――と旅、彼女が愛する本たちと作家たち、失われた場所や物たち、そして何より死者たちに関するものだ。だから本書にはパンクの女王としてのパティ・スミスの姿というのはほとんど感じられない。これは、あくまでのひとりの文学少女(の大ベテラン)の手による随想集なのだ。</p> <p>「たくさんの本を読み終え、魂を奪われながら本を閉じたのだが、家に帰り着く頃には内容をまったく覚えていない」、「何冊かの本は愛し、それとともに生きたといっていいくらいなのに、それでも思い出せない」ことがある、と彼女は言う。これは誰しも身に覚えがあることだろう。俺がこうして文章を書いているのだってまさにこれが理由であって、本を読んだ時間やその際の心の動きを、なんとか一部だけでも記録や記憶に留めようと試みているわけだ。</p> <p>もっとも、本ばかりではなく、人の生にしたって、終わった後にはまるでその内容が思い出せない、そんなものだと言うこともできるだろう。どんなに夢中になって生きても、どんなに誰かを愛しても、人は必ず死ぬ。死んでしまえば、その人は他の生者の記憶のなかに微かに残るだけで、それもやがてかき消えていってしまう。</p> <p>あらゆる瞬間は過ぎ去っていき、後には何も残らない。どんなものも人も、消えていかないものなどない。だからこそ、物書きは文字としてそれらを留め、なんとか形あるものとして焼きつけようと足掻くのかもしれない。訳者の菅は「訳者あとがき」で、パティ・スミスを「墓守」と呼んでいたけれど、彼女にとって、書くこととは失われゆくことへの哀歌であり、失われたものへの鎮魂歌でもあるようだ。</p> <blockquote/> 私は私自身の本の中で生きた。時を行ったり来たりして記録しながら書いた、書くつもりもなかった本。私は海に降る雪を見つめ、ずっと以前に立ち去ってしまった旅人の足跡をたどった。完璧な確実さをもったいくつもの瞬間を、私は生き直していた。(p.253-254) </blockquote> <blockquote/> 私たちは所有することのできない事物を求める。ある瞬間、音、感覚を取り戻そうとする。私は母の声を聞きたいと思う。子供たちを、子供時代のままの姿で見たい。小さな手、すばやい足。すべては変化する。息子は大きくなり、その父親は死に、娘は私よりも背が高く、悪い夢を見て泣いている。ずっといてね、と私は自分が知っている事物にむかっていう。行かないで。大きくならないで。(p.254) </blockquote> hayamonogurai 『親の家を片づけながら』/リディア・フレム hatenablog://entry/820878482960416564 2023-08-21T21:25:46+09:00 2023-08-21T21:25:46+09:00 精神分析学者の著者による一冊。 親の死後、子が親に対して抱く感情というのはなかなか複雑なものだ。自分を愛してくれる人を失ったことの悲しみや、こんなことあり得ないという非現実感があるのはもちろんだろうけれど、決してそれだけに留まるものではない。そこには、自分の心を掻き乱されたという怒りや恨み、罪悪感や劣等感、解放感のようなものだって、同時に存在し得る。 本書で取り扱われているのは、そんな感情のグラデーションの複雑な様相であり、そんなややこしいものと向き合わなければならないことの困難さである。物で溢れた実家を何年もかけて片づけていく「私」が、親との関係について自分のなかでなんとか「片をつけ」ようとしていくさまが丁寧に語られているのだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4864911835?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51GK3L3w88L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="親の家を片づけながら (ヴィレッジブックス)" title="親の家を片づけながら (ヴィレッジブックス)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4864911835?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">親の家を片づけながら (ヴィレッジブックス)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%C7%A5%A3%A5%A2%A1%A6%A5%D5%A5%EC%A5%E0" class="keyword">リディア・フレム</a></li><li>ヴィレッジブックス</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4864911835?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>精神分析学者の著者による一冊。両親が相次いで他界したため、「私」は親の家の片づけに取りかかることにする。両親は青年期を第二次世界大戦のまっただなかで過ごしたユダヤ人であり、彼らの人生は戦争と収容所によって決定的に損なわれていたはずなのだけれど、生前、「私」には決してその詳細を語ろうとしなかった。ただ、両親は「無から救い出せるものは何でも」取っておき、家のなかに「人生のあらゆる物を保存していた」のだった。「私」はそんな彼らの遺した大量の物たちをなんとかしようと苦闘するのだが…!</p> <p>親の死後、子が親に対して抱く感情というのはなかなか複雑なものだ。自分を愛してくれる人を失ったことの悲しみや、こんなことあり得ないという非現実感があるのはもちろんだろうけれど、決してそれだけに留まるものではない。そこには、自分の心を掻き乱されたという怒りや恨み、罪悪感や劣等感、解放感のようなものだって、同時に存在し得る。</p> <p>本書で取り扱われているのは、そんな感情のグラデーションの複雑な様相であり、そんなややこしいものと向き合わなければならないことの困難さである。物で溢れた実家を何年もかけて片づけていく「私」が、親との関係について自分のなかでなんとか「片をつけ」ようとしていくさまが丁寧に語られているのだ。親が大切にしていたのであろうものを自分の判断で処分すること、親が生前に自分に語ることのなかった秘密を見つけてしまうこと、そういったことひとつひとつによって引き起こされる感情の揺れ動きを、フレムは精神分析学者らしく冷静に見つめ、文章に落とし込んでいる。</p> <blockquote/> ふたり目の親を失った直後から、人生の中で想像しうる最もつらい務めが待ち受けている。遺された家を空にするという作業だ。ひとつの場所でひとつの片づけをするあいだ、あらゆる感情が自分の中でせめぎ合うだろう。痛みや幸せ、苦痛や喜びなど、心の奥底で鬱積していた感情や感じていた矛盾があふれ出てくるはずだ。けれども、たとえつらくてもこの悲劇を無理にでも味わうことが、心を浄化し、親とのしこりを消すことになる。(p.15) </blockquote> <blockquote/> 「喪に服す」という体験は、孤独の中にある。痛みや悲しみを味わうだけではなく、攻撃的になり、激しい怒りすら呼び寄せたりもする。そのことを自分で認めるのはなかなかむずかしい。世間では、死者や赤子という存在に対して、人は愛情や敬意という尊い感情しか抱かない物と思われている。度を越した感情をぶつけるなどありえないと。でも、そんなのはでたらめだ!(p.130-131) </blockquote> hayamonogurai 『猫を棄てる 父親について語るとき』/村上春樹 hatenablog://entry/820878482959306517 2023-08-17T21:07:36+09:00 2023-08-17T21:07:36+09:00 村上春樹がはじめて自身の父親について率直に書いたというエッセイ。全編通して、村上の小説や普段のエッセイの文体とはまた異なる、ごく淡々とした文章が連ねられているところが特徴的で、彼の文章からいつも感じられる、過剰なくらいの読者へのサービス感というのはほとんどないと言ってもいい。村上は、戦争によって大きく人生を変えられてしまったひとりの若者としての父親の姿を追っていくことで、彼の物語を、ある意味では心ならずも引き継ぎ、ある意味では自ら率先して受け継いでいこうとする。 もっとも、村上と父親のあいだにはかなりきっぱりとした断絶ーー「二十年以上まったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡もとらないという状態」ーーがあり、ようやく顔を合わせて話をし、和解のようなものができたのは、村上が60歳近く、父が90歳の頃だったという。そのため、本作のなかにも、父親自身によって語られた内容というのはほとんどない。あくまでも、父親の死後に村上が調べたり周囲の人から聞いたりした情報を元にしたもの、ということだ。父と子との関係というものの、なんと難しいものよ…とおもわされる。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4167919524?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41+E1RLyz2L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="猫を棄てる 父親について語るとき (文春文庫 む 5-16)" title="猫を棄てる 父親について語るとき (文春文庫 む 5-16)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4167919524?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">猫を棄てる 父親について語るとき (文春文庫 む 5-16)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%BC%BE%E5%20%BD%D5%BC%F9" class="keyword">村上 春樹</a></li><li>文藝春秋</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4167919524?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>村上春樹がはじめて自身の父親について率直に書いたというエッセイ。全編通して、村上の小説や普段のエッセイの文体とはまた異なる、ごく淡々とした文章が連ねられているところが特徴的で、彼の文章からいつも感じられる、過剰なくらいの読者へのサービス感というのはほとんどないと言ってもいい。村上は、戦争によって大きく人生を変えられてしまったひとりの若者としての父親の姿を追っていくことで、彼の物語を、ある意味では心ならずも引き継ぎ、ある意味では自ら率先して受け継いでいこうとする。</p> <p>もっとも、村上と父親のあいだにはかなりきっぱりとした断絶――「二十年以上まったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡もとらないという状態」――があり、ようやく顔を合わせて話をし、和解のようなものができたのは、村上が60歳近く、父が90歳の頃だったという。そのため、本作のなかにも、父親自身によって語られた内容というのはほとんどない。あくまでも、父親の死後に村上が調べたり周囲の人から聞いたりした情報を元にしたもの、ということだ。父と子との関係というものの、なんと難しいものよ…とおもわされる。</p> <p>昔は頑なに父親について書かなかった村上がこういうストレートな本を出すのはなかなかインパクトが強く、親との関係について自分のなかでなんとか整理する(片をつける、清算する、腹落ちするところまで持って行く…)、というのはやはりどうしたって人生のなかで必要になってくることなのだろう、と感じさせられる一冊だった。それにしても、20年以上も絶交している親のことなんて、そりゃそうそう簡単には書けないよね、とおもう。</p> <blockquote/> そこで父と僕は――彼の人生の最後の、ほんの短い期間ではあったけれど――ぎこちない会話を交わし、和解のようなことをおこなった。考え方や、世界の見方は違っても、僕らのあいだを繋ぐ縁のようなものが、ひとつの力を持って僕の中で作用してきたことは間違いのないところだった。父の痩せた姿を前にして、そのことを否応なく感じさせられた。<br> たとえば僕らはある夏の日、香櫨園の海岸まで一緒に自転車に乗って、一匹の縞柄の雌猫を棄てに行ったのだ。そして僕らは共に、その猫にあっさりと出し抜かれてしまったのだ。何はともあれ、それはひとつの素晴らしい、そして謎めいた共有体験ではないか。そのときの海岸の海鳴りの音を、松の防風林を吹き抜ける風の香りを、僕は今でもはっきり思い出せる。そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が、僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ。(p.88-89) </blockquote> hayamonogurai 『恋する惑星』 hatenablog://entry/820878482959023731 2023-08-16T20:55:19+09:00 2023-08-16T20:55:19+09:00 高校生の頃にミニシアター系の映画を見始めたころから、そのうち見ようーとおもっているうちに気がつけば20年あまり経ってしまっていたのだが(そういうことって、結構ありますよね?)、ようやく見れた。ウォン・カーウァイというと、個人的に『花様年華』のイメージが強く、もっと官能的でシリアスな作風かと勝手に想像していたのだけれど、もっとずっとポップでソフトで猥雑、90年代らしいごちゃごちゃ感のある映画だった。 作品の主な舞台となる返還前の香港の街並みやマンションの様子は、とにかく狭くて小汚くて構造もおかしくて、いかにもアジア的な雑駁さに溢れているのだけれど、それを撮影や編集の力でおもいきり幻想的でファンタジックに見せているのがさすがという感じだ。カラーパレットはサイケデリックでありつつもどこかシックだし、構図はいちいち絵画的に決まっているしで、とにかくぱっと見がわかりやすく格好いいというところがよい。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWU23U?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/517ixKFmRoL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="恋する惑星 (字幕版)" title="恋する惑星 (字幕版)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWU23U?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">恋する惑星 (字幕版)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>トニー・レオン</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWU23U?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>ザ・シネマメンバーズにて。高校生の頃にミニシアター系の映画を見始めたころから、そのうち見ようーとおもっているうちに気がつけば20年あまり経ってしまっていたのだが(そういうことって、結構ありますよね?)、ようやく見れた。ウォン・カーウァイというと、個人的に『<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/archives/1685">花様年華</a>』のイメージが強く、もっと官能的でシリアスな作風かと勝手に想像していたのだけれど、もっとずっとポップでソフトで猥雑、90年代らしいごちゃごちゃ感のある映画だった。</p> <p>作品の主な舞台となる返還前の香港の街並みやマンションの様子は、とにかく狭くて小汚くて構造もおかしくて、いかにもアジア的な雑駁さに溢れているのだけれど、それを撮影や編集の力でおもいきり幻想的でファンタジックに見せているのがさすがという感じだ。カラーパレットはサイケデリックでありつつもどこかシックだし、構図はいちいち絵画的に決まっているしで、とにかくぱっと見がわかりやすく格好いいというところがよい。</p> <p>物語は前半と後半とでばっさりと分かれている。舞台となる街や扱われるモチーフ、登場人物たちの属性といった点では共通する要素があるものの、前後半でかなり違った雰囲気の作品になっているのだ。前半のクライムサスペンス的なノリはタランティーノっぽい感じだし、後半の不思議ちゃんをヒロインにしたファンタジックな雰囲気は『アメリ』を彷彿とさせられるしで、やはり本作はその後のいわゆるサブカルっぽい映画たちの源流的な作品だったんだろうなー、と感じたりした。</p> <p>本作でいちばん素晴らしかったのは、フェイ・ウォンが、自身の歌う"Dreams"のカバーにのせて、恋する男の部屋に勝手に侵入し、模様替えをしまくるシーン。この映画でいつまでもおもい出すことになる場面というと、やはりこれしかないだろう。</p> hayamonogurai 『誰も知らない』 hatenablog://entry/820878482958731983 2023-08-15T20:36:10+09:00 2023-08-16T20:49:52+09:00 事件のニュースや物語の筋書きだけでは、これは単にものすごくやるせない酷い話、未来の見通しのまるでない辛い話でしかない。けれど、彼らのじっさいの生活のなかには、そういう括り方では捉えきれないようなたくさんの豊かさがあったはずで、そのなかには、きらきらとした美しい瞬間や、シンプルな生の歓びを感じさせるような瞬間といったものだって、たしかに無数に存在していたはずなのだということを、本作の映像は訴えているようにおもえる。「誰も知らない」かもしれないけれど、それはきっとそうだったはずなのだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01EVWWTQU?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/410sgKV6DrL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="誰も知らない" title="誰も知らない"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01EVWWTQU?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">誰も知らない</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>柳楽優弥</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01EVWWTQU?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>Amazon primeにて。是枝監督の2004年作。『そして父になる』や『万引き家族』に連なる、家族もの映画の初期作品だ。未成熟でどこか少女のような雰囲気を残した母親が、わずかなお金を残し、4人の子供を放って男と暮らすようになってしまう。学校にも通っていない無国籍児童である子供たちは、彼らなりにたくましく生きていくが、お金を稼ぐ手段があるわけでもなく、生活は少しずつ確実に困窮していき、やがて…!</p> <p>「巣鴨子供置き去り事件」という実際の事件をベースにしており、社会問題を扱っているわけだけれど、基本的には観客を泣かせにくるシンプルなヒューマンドラマだと言っていいだろう。物語のプロットはごく単純で、設定から想像できる範囲の展開に留まっているものの、本作の魅力は別にあって、それは、登場人物たちが過ごす日常の描写、そのひとつひとつのディテールの繊細さにある。柳楽優弥のひとりごとや、街をうろついたりボール遊びしたりする姿、YOUのまるで悪気のなさそうなしゃべり方、子供たちがカップラーメンにご飯を入れて美味そうに食べる様子、荒れた家の床に放置された洋服やお菓子の散らかり具合…といったものたちが、淡々と、しかし極めて丁寧に映し出され続けていくのだ。</p> <p>それらの細やかなディテールによって喚起されるのは、妙に生々しいリアリティであり、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような情感、ポエジーや幸福感とでも言うべきものでもある。事件のニュースや物語の筋書きだけでは、これは単にものすごくやるせない酷い話、未来の見通しのまるでない辛い話でしかない。けれど、彼らのじっさいの生活のなかには、そういう括り方では捉えきれないようなたくさんの豊かさがあったはずで、そのなかには、きらきらとした美しい瞬間や、シンプルな生の歓びを感じさせるような瞬間といったものだって、たしかに無数に存在していたはずなのだということを、本作の映像は訴えているようにおもえる。「誰も知らない」かもしれないけれど、それはきっとそうだったはずなのだ。</p> hayamonogurai 『ある一生』/ローベルト・ゼーターラー hatenablog://entry/820878482958072655 2023-08-14T20:28:46+09:00 2023-08-14T20:28:46+09:00 しんと静かな、あるひとりの男の人生の物語。文体も内容に見合った朴訥としてシンプルなもので、派手さはまったくないが、深く沁みいるようなところがある作品だった。 あっと驚くような展開や胸がすく逆転劇といったものもない。ただ、さまざまな形で訪れる試練に耐え、捨て鉢にならず、ひたすら愚直なまでに淡々と生き抜いていく男の姿を描いているのだ。舞台こそ20世紀ではあるものの、ひたすら故郷のアルプスの山に暮らし続けるエッガーはもはや山の精霊のようでもあり、その姿にはどこか神話的な美しさすら感じられる。 自己実現とか目標達成とかいった、現代の資本主義社会を駆動する諸々からはまったくかけ離れた、ある意味修行僧のようにストイックな、しかし本人的にはそんなつもりなどまったくなく、ごく自然に、そういうものとして生涯を生ききる、という人生。何かを得たり、誰かと優劣を比較したりしなくても、死の訪れるそのときまでただおもいきり生きるということ、人生というのはそれで十分だし、そういう生き方にもたしかに人の幸福というのはあり得るのだ、そんなことを感じさせてくれる一冊だった。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105901583?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51+bEbZs3rL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ある一生 (新潮クレスト・ブックス)" title="ある一生 (新潮クレスト・ブックス)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105901583?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ある一生 (新潮クレスト・ブックス)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BC%A1%BC%A5%BF%A1%BC%A5%E9%A1%BC%2C%A5%ED%A1%BC%A5%D9%A5%EB%A5%C8" class="keyword">ゼーターラー,ローベルト</a></li><li>新潮社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105901583?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> しんと静かな、あるひとりの男の人生の物語。文体も内容に見合った朴訥としてシンプルなもので、派手さはまったくないが、深く沁みいるようなところがある作品だった。</p> <p>私生児として生まれたエッガーは、アルプスの農場主のもとに引き取られる。幼少時から労働力として酷使され、お仕置として鞭で打たれたために片足を引き摺るようになってしまうが、その肉体は頑強に成長していく。やがて農場を出たエッガーは、干し草小屋付きの小さな土地を借りる。山のロープウェイ工事の会社に就職し、ひたすらに肉体労働を続ける日々のなか、宿屋で働くマリーを愛するようになり、結ばれる。しかしそのわずか数年後、突然の雪崩によって、一夜にして妻と家を失ってしまう。第二次大戦時には東部戦線で捕虜となり、ロシアの収容所で8年間を過ごすことになる。それでも解放後は再び故郷に戻り、観光客向けの山歩きの案内人としてひとり孤独に暮らし、晩年を迎える…。</p> <p>ほとんど不条理なくらいに過酷な人生だし、あっと驚くような展開や胸がすく逆転劇といったものもない。ただ、さまざまな形で訪れる試練に耐え、捨て鉢にならず、ひたすら愚直なまでに淡々と生き抜いていく男の姿を描いているのだ。舞台こそ20世紀ではあるものの、ひたすら故郷のアルプスの山に暮らし続けるエッガーはもはや山の精霊のようでもあり、その姿にはどこか神話的な美しさすら感じられる。</p> <p>自己実現とか目標達成とかいった、現代の資本主義社会を駆動する諸々からはまったくかけ離れた、ある意味修行僧のようにストイックな、しかし本人的にはそんなつもりなどまったくなく、ごく自然に、そういうものとして生涯を生ききる、という人生。何かを得たり、誰かと優劣を比較したりしなくても、死の訪れるそのときまでただおもいきり生きるということ、人生というのはそれで十分だし、そういう生き方にもたしかに人の幸福というのはあり得るのだ、そんなことを感じさせてくれる一冊だった。</p> <blockquote/> すべての人間と同じように、エッガーもまた、さまざまな希望や夢を胸に抱いて生きてきた。そのうちのいくらかは自分の手でかなえ、いくらかは天に与えられた。手が届かないままのものも多かったし、手が届いたと思った瞬間、再び奪われたものもあった。だが、エッガーはいまだに生きていた。そして、雪解けが始まるころ、小屋の前の朝霧に濡れた野原を歩き、あちこちに点在する平らな岩の上に寝転んで、背中に石の冷たさを、顔にはその年最初の暖かな陽光を感じるとき、エッガーは、自分の人生はだいたいにおいて決して悪くなかったと感じるのだった。(p.134) </blockquote> hayamonogurai 『サマーフィーリング』 hatenablog://entry/820878482957399923 2023-08-12T22:00:00+09:00 2023-08-16T20:49:21+09:00 ある夏の日、ベルリンに暮らす30歳のサシャは突然倒れ、そのままこの世を去ってしまう。あまりにも唐突な彼女の死は、恋人のローレンスにとっても、サシャの妹ゾエをはじめとする家族にとっても、そう簡単に受け止められるものではない。傷を抱えたもの同士としての彼らの心の交流と、時間の経過が少しずつその傷を癒やしていく様子が静かに描かれていく。 ストーリー性は非常に薄く、サシャの死→ローレンスとゾエそれぞれの回復、という以外には、展開らしい展開もない。あくまでも淡々と彼らの姿を映し出していくだけなのだ。彼らの台詞にしても、物語を駆動させるような印象深い台詞などというものはほとんどないし、もっと言ってしまうと、あまり内容らしい内容もない。ただ、それでも観客によくわかる(ように感じられる)のは、彼らが互いをおもい合い、いたわり合っている、ということだ。それははっきりとした台詞や明快なアクションで示されるものではないのだけれど、画面に映し出される彼らの視線やふるまいからは、たしかに互いへのおもいやりが感じられるのだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0834W3MZW?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51SpMJLt95L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="サマーフィーリング(字幕版)" title="サマーフィーリング(字幕版)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0834W3MZW?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">サマーフィーリング(字幕版)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>アンデルシュ・ダニエルセン・リー</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0834W3MZW?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>ザ・シネマメンバーズにて。数年ぶりに見直したけれど、やはり本当に好きな作品。ある夏の日、ベルリンに暮らす30歳のサシャは突然倒れ、そのままこの世を去ってしまう。あまりにも唐突な彼女の死は、恋人のローレンスにとっても、サシャの妹ゾエをはじめとする家族にとっても、そう簡単に受け止められるものではない。傷を抱えたもの同士としての彼らの心の交流と、時間の経過が少しずつその傷を癒やしていく様子が静かに描かれていく。</p> <p>物語は3部構成になっており、第1部はベルリン、2部はパリ、3部はニューヨークを舞台にしている。各部のあいだには1年の間があり、つまり、本作は3年間の夏の季節だけを切り取った映画になっている。夏が来るたびにサシャのことをおもい出さずにはいられない、ということと、それでも時が経つにつれ、少しずつ前に進んでいけるようになっていく、という感覚とが、主人公たちの表情やふるまいから、ほんの微かに感じ取れるようになっている。</p> <p>ストーリー性は非常に薄く、サシャの死→ローレンスとゾエそれぞれの回復、という以外には、展開らしい展開もない。あくまでも淡々と彼らの姿を映し出していくだけなのだ。彼らの台詞にしても、物語を駆動させるような印象深い台詞などというものはほとんどないし、もっと言ってしまうと、あまり内容らしい内容もない。ただ、それでも観客によくわかる(ように感じられる)のは、彼らが互いをおもい合い、いたわり合っている、ということだ。それははっきりとした台詞や明快なアクションで示されるものではないのだけれど、画面に映し出される彼らの視線やふるまいからは、たしかに互いへのおもいやりが感じられるのだ。</p> <p>そんなしんとした優しさとともに、夏の日の光、もわっと生温い空気、黄緑色に透ける木の葉、きらきらと輝く海、といったサマーフィーリングを感じさせるものたちが、主人公たちをふんわりと包み込む、本作はそんな作品になっている。とにかく説明的なところがまったくなく、物語の展開や台詞の格好よさ、おもしろさで観客の感情を揺さぶってやろう、といった企みもまるで感じられないところが素晴らしい。静かな音楽と16mmフィルムで撮られたノルタルジックな映像も相まって、どの場面もどこかリリカルで、ずっと見ていたくなるような心地よさのある映画になっている。</p> hayamonogurai 『面白いとは何か? 面白く生きるには?』/森博嗣 hatenablog://entry/820878482957264926 2023-08-11T00:00:00+09:00 2023-08-11T00:13:32+09:00 本書で扱われているのは、自分なりの面白さとはどんなものであるのか、それを見つけて面白く生きていくにはどうしたらいいのか、といったテーマだ。そしてその結論はというと、アウトプットする面白さこそが本物だ、ということに尽きる。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07X42LMND?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41VhlKiP11L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="面白いとは何か? 面白く生きるには? (ワニブックスPLUS新書)" title="面白いとは何か? 面白く生きるには? (ワニブックスPLUS新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07X42LMND?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">面白いとは何か? 面白く生きるには? (ワニブックスPLUS新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%B9%20%C7%EE%BB%CC" class="keyword">森 博嗣</a></li><li>ワニブックス</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07X42LMND?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p><a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/2020/05/18/205356">以前のエントリ</a>に書いたような、10代の頃の気持ち――本と映画と音楽さえあれば幸せだし、こんなにもたのしいものたちが一生かかっても堀り尽くせないほどたくさん世のなかにはあって、しかもそれらについて自分にはどうやっても叶わないほど深くおもしろく語っている人がいる、ということに言い知れないほどのわくわく感を感じていた、そんな気持ち――というのは、30代後半にもなってしまったいまとなっては、到底感じることのできないものだ。10代の頃の感覚というのは、まだ多くのことを知らない、という状態によってこそ生じるものであって、年齢を重ね、それなりに多くの物事を知ってしまった(知ってしまったような気分に、ついなってしまう)おっさんには、そうした感覚など求めるべくもない。いまの俺で言えば、本にのめり込むようにして読むことなんて滅多にないし、映画だってAmazon Primeで1時間くらい見たらまあ続きは翌日でいいかという気持ちになってきてしまうし、音楽なんてSpotifyでながら聴きしかしていない。</p> <p>10代の頃はどんなものにも簡単に夢中になれたけれど、いまはそうはならない。まあ当然といえば当然なのかもしれない。歳を取り、世のなかに慣れ、大人になる、ということはつまり、新しさ、新鮮さを感じにくくなり、物事に簡単に魅力を感じなくなる、ということでもあるからだ。だから大人がやるべきは、かつていくらでもその辺のものから感じられた面白さの代わりに、自分ならではの面白さ、自分なりの面白がり方といったものを見つけ、自分なりにそれを育てていく、ということになるだろう。</p> <p> *</p> <p>本書で扱われているのは、そんな、自分なりの面白さとはどんなものであるのか、それを見つけて面白く生きていくにはどうしたらいいのか、といったテーマだ。そしてその結論はというと、アウトプットする面白さこそが本物だ、ということに尽きる。</p> <blockquote/> アウトプットする「面白さ」はインプットする「面白さ」の何十倍も大きい。両方の経験がある人には、理屈抜きで納得できる感覚だろう。 </blockquote> <blockquote/> 「面白い」とは、本来アウトプットすることで感じられるものであり、それが本物の「面白さ」なのだ。「何十倍」と強調したが、それは、本質とダミィの差だといっても良い。 小説を読むことはインプットである。ただ文字を読むだけでは「面白く」はない。その物語に入る、いわゆる「感情移入」ができると、頭の中でイメージが作られる。これはアウトプットだ。感情が誘発されるのもアウトプットである。結局は、「面白さ」の本質はここにある。 </blockquote> <p>大事なのは、自分でかんがえて作り出すこと、自己完結していることであって、他者によって提供されたものや、他者の目線が必要なものは、真に自分にとって「面白いこと」ではあり得ない、と森は主張する。極端な意見にもおもえるけれど、ここで重要なのは、人生の面白さに繋がるような本当の面白さとは、他者との間にあるものではなく、あくまでも自分ひとりで得られるものであるはずだ、ということだ。他者が関わってくると、途端にその面白さは他者に依存するものになってしまう。他者の評価や他者のやる気や、他者の能力や他者の思考によって面白さが左右されてしまう。そんなのは人生を支えるに足るような真の面白さとは言えないだろう、というわけだ。</p> <p>まあこれは、いまの世のなかが共感による面白さに比重を置きすぎていることに対する警告というか苦言というか、そんな意味合いもあって少し強めに言っているようではあるのだけれど――だいたい、森自身が例として挙げている「小説を読むこと」だって、他者によって小説が提供されて初めてできることなのだし――それなりに納得できるところではある。本や文章を読むということにしたって、文字を読むことそれ自体が面白いというよりも、そこから様々な思考や感情が誘発されて、ああだこうだと自分なりにかんがえたり感じたりするところにこそ、面白みがあるものなのだ。</p> <blockquote/> 「面白さ」は、最初は小さい。しかし、育てることで大きくなる。「面白い」と思えるものを大事にして、磨きをかけることが、これまた「面白い」のである。 </blockquote> <blockquote/> 「面白さ」は、探しても、ずばり見つかるようなものではなく、自分で作るようなものである。どこかに落ちているのは「面白そうな」種でしかない。それを拾って、自分の畑にまいて世話をしよう。幾つか種を蒔いた方が良い。全部がものになるとはかぎらないからだ。 </blockquote> <p>本当に自分が「面白い」ものというのは、自分でおもいついて自分で実行したもの、自分で作り出したものに限られる。既にどこかに存在しているものというのは、あくまでもヒントにしかならず、それを自分なりの形で育てていかなくてはならないのだが、そのプロセスそのものがまた「面白い」ものであるはずだ、と森は語っている。</p> hayamonogurai ウィーン少年合唱団@東京オペラシティコンサートホール hatenablog://entry/820878482966272476 2023-06-17T22:00:00+09:00 2023-09-10T22:44:59+09:00 東京オペラシティにて。「天使の歌声」でおなじみウィーン少年合唱団の、超絶ハイクオリティな歌声を堪能させてもらった。 今回来日していたのはハイドン組((ウィーン少年合唱団には、全体で100名ほどのメンバーがいるが、シューベルト、ハイドン、モーツァルト、ブルックナーという合唱団ゆかりの作曲家名を冠した4グループに分かれて活動している。))。20数名のメンバーは、10〜14歳の男子たちで、国籍も体格もさまざま。かなり堂々とした体格の子から、ものすごくひょろっとしてちっこい子もいる。なので、さすがに個々の声量の違いなんかは結構あるようだったけれど、とにかく全体としての音色の美しさや立体感、音程やリズムの安定感が素晴らしく、いつまでも聴いていたくなるような圧巻のパフォーマンスだった。 また、合唱のクオリティとは裏腹に、舞台上にはまあまあゆるい雰囲気もあったりして、そんなところはキュートでもあった。明らかに制服がうまく着れていない子や、ときおり欠伸をしたり鼻をこすったりしている子、ふたりで顔を見合わせてにやにやしている子たちなんかもいたりして、なんとものびのびとした自由な空気を感があって。今年で創立525周年だという合唱団のそんな雰囲気はちょっと意外でもあったけれど、音楽の素晴らしいクオリティと相まって、とてもよかった。そんな彼らをまとめ上げ、ピアノの弾き振りをするカペルマイスターのジミー・チャンも、どこか引率の先生のようなのんびりとした雰囲気を醸しつつも、でもピアノの音はとても明瞭で精密、まさにクリスプという感じで、格好よかった。 <p>6/17、東京オペラシティにて。「天使の歌声」でおなじみウィーン少年合唱団の、超絶ハイクオリティな歌声を堪能させてもらった。</p> <p>今回来日していたのはハイドン組<a href="#f-fb92ecab" name="fn-fb92ecab" title="ウィーン少年合唱団には、全体で100名ほどのメンバーがいるが、シューベルト、ハイドン、モーツァルト、ブルックナーという合唱団ゆかりの作曲家名を冠した4グループに分かれて活動している。">*1</a>。20数名のメンバーは、10〜14歳の男子たちで、国籍も体格もさまざま。かなり堂々とした体格の子から、ものすごくひょろっとしてちっこい子もいる。なので、さすがに個々の声量の違いなんかは結構あるようだったけれど、とにかく全体としての音色の美しさや立体感、音程やリズムの安定感が素晴らしく、いつまでも聴いていたくなるような圧巻のパフォーマンスだった。</p> <p>また、合唱のクオリティとは裏腹に、舞台上にはまあまあゆるい雰囲気もあったりして、そんなところはキュートでもあった。明らかに制服がうまく着れていない子や、ときおり欠伸をしたり鼻をこすったりしている子、ふたりで顔を見合わせてにやにやしている子たちなんかもいたりして、なんとものびのびとした自由な空気を感があって。今年で創立525周年だという合唱団のそんな雰囲気はちょっと意外でもあったけれど、音楽の素晴らしいクオリティと相まって、とてもよかった。そんな彼らをまとめ上げ、ピアノの弾き振りをするカペルマイスターのジミー・チャンも、どこか引率の先生のようなのんびりとした雰囲気を醸しつつも、でもピアノの音はとても明瞭で精密、まさにクリスプという感じで、格好よかった。</p> <p>とにかくソプラノもアルトも美しすぎ、クオリティが高すぎて、年齢とか性別とかも関係なく、ただひとつの天上的な音楽として完成している感じが素晴らしかった。世俗にまみれ汚れきった自分には眩しすぎる、っていうくらい。もう全曲良かったのだけれど、とくに印象深かったのは、フォーメーションを組んでスキャットで歌われた"アイネ・クライネ・ナハトムジーク"(←創立525周年とK.525をかけている、ということらしい)、インドの献身歌、"美しき青きドナウ"、アンコールの"ラデツキー行進曲"あたり。</p> <p>曲目は以下のとおり。</p> <blockquote/> モーツァルト:カンタータ《汝、宇宙の魂に》、アイネ・クライネ・ナハトムジーク<br> クープラン:歓喜せよ<br> ハイドン:アニマ・ノストラ<br> シューベルト:反抗<br> ロッシーニ:3つの聖歌より《愛》<br> ビーブル:アヴェ・マリア<br> シューベルト:鱒<br> オーストリア民謡:森のハンス<br> J. シュトラウスⅡ世:《ウィーンの森の物語》<br> ニュージーランドの労働歌(シー・シャンティ):ウェラーマン<br> イラディエル:ラ・パロマ<br> オードウェイ:家と母を夢見て、旅愁、送別<br> 滝廉太郎:荒城の月<br> 岡野貞一:ふるさと<br> ラヴランド:ユー・レイズ・ミー・アップ<br> インドの献身歌(バジャン):ラーマ卿よ、ラグーの子孫よ<br> ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ《上機嫌》、ポルカ・シュネル《永遠に》<br> J. シュトラウスⅡ世:《美しく青きドナウ》<br> J. シュトラウスⅠ世:《ラデツキー行進曲》<br> </blockquote> <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09RR56HJN?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51MF7gGpRlL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="トゥゲザー (SHM-CD)(特典:なし)" title="トゥゲザー (SHM-CD)(特典:なし)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09RR56HJN?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">トゥゲザー (SHM-CD)(特典:なし)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">アーティスト:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A6%A5%A3%A1%BC%A5%F3%BE%AF%C7%AF%B9%E7%BE%A7%C3%C4" class="keyword">ウィーン少年合唱団</a></li><li>Universal Music</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09RR56HJN?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p><div class="embed-group"><a href="https://blog.hatena.ne.jp/-/group/11696248318757388924/redirect" class="embed-group-link js-embed-group-link"><div class="embed-group-icon"><img src="https://cdn.image.st-hatena.com/image/square/229e9b0a9fe9e5203c3b3eaf03a8c66270c11cab/backend=imagemagick;height=80;version=1;width=80/https%3A%2F%2Fcdn.user.blog.st-hatena.com%2Fcircle_image%2F7849538%2F1514353043700269" alt="" width="40" height="40"></div><div class="embed-group-content"><span class="embed-group-title-label">ランキング参加中</span><div class="embed-group-title">クラシック音楽</div></div></a></div></p> <div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-fb92ecab" name="f-fb92ecab" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">ウィーン少年合唱団には、全体で100名ほどのメンバーがいるが、シューベルト、ハイドン、モーツァルト、ブルックナーという合唱団ゆかりの作曲家名を冠した4グループに分かれて活動している。</span></p> </div> hayamonogurai 『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く」/北村紗衣 hatenablog://entry/820878482934030666 2023-05-20T21:00:00+09:00 2023-08-13T21:16:18+09:00 イギリス文学者、批評家の北村による、批評の入門書。楽しむための方法としての批評、に焦点を当てて、その方法や理論について、具体的に例を挙げながら語っている。精読→分析→アウトプット、の順で実際に批評を行うにあたってのヒントが書かれているわけだけれど、全体的に、批評ってそもそもどういうもの?というような初心者向けの内容という感じで、内容は浅め。ある程度批評や批評に関する文章を読んだことがある人にとっては、新味は少なく、まあ簡潔にまとめてある一冊だな、というくらいの感想になってしまうかもしれない。 とはいえ、ちょっと冷静にかんがえてみれば、自分自身が本書で挙げられているような批評の方法をじゅうぶんに使いこなして様々な作品を味わっているのかというとぜんぜんそんなことはない、ということに気づかされるわけで、たとえばこんな文章が俺には刺さった。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4480074252?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41tL3mY5eBL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く (ちくま新書)" title="批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く (ちくま新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4480074252?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く (ちくま新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%CB%CC%C2%BC%20%BC%D3%B0%E1" class="keyword">北村 紗衣</a></li><li>筑摩書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4480074252?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>イギリス文学者、批評家の北村による、批評の入門書。楽しむための方法としての批評、に焦点を当てて、その方法や理論について具体的に例を挙げながら語っている。精読→分析→アウトプット、の順で実際に批評を行うにあたってのヒントが書かれているわけだけれど、全体的に、批評ってそもそもどういうもの?というような初心者向けの内容という感じで、内容は浅め。ある程度批評や批評に関する文章を読んだことがある人にとっては、新味は少なく、まあ簡潔にまとめてある一冊だな、というくらいの感想になってしまうかもしれない。</p> <p>とはいえ、ちょっと冷静にかんがえてみれば、自分自身が本書で挙げられているような批評の方法をじゅうぶんに使いこなして様々な作品を味わっているのかというとぜんぜんそんなことはない、ということに気づかされるわけで、たとえばこんな文章が俺には刺さった。</p> <blockquote/> 学校で読書感想文や絵について「自由にのびのび」やれと言われたことのある人はわりといると思います。しかしながら、少なくとも初心者に対しては「自由にのびのび」は単なる指導の放棄に過ぎません。たまには自由に書くだけでいいものができてくる才人もいますが、ほとんどの人はそうではありません。なんの訓練もせずに文を書いたり、絵を描いたりすると、今まで自分が身につけた思考の型から抜け出せないわりに技術が伴っていないので、他の人と似たり寄ったりの凡庸なものができてしまうのが普通です。(p.157-158) </blockquote> <blockquote/> 自分の声を見つけるためには、これまで自分が外の世界にさらされることで無意識に培ってきた思い込みや偏見を一度意識的に剥ぎ取って、知らないものや聞いたこともなかったようなものに触れることで世界を広げる必要があります。これまでに身につけた偏見の檻の中でいくら「自由にのびのび」やっていても、檻から出て自分の個性を発揮する方法は学べません。訓練を伴わない「自由にのびのび」は個性を伸ばす敵なのです。<br> 自分は自由に考えられる人間だという思い込みを捨てるところから楽しい批評が始まります。スポーツでも音楽でも、技術向上のためにはとりあえず既存の型を学び、たくさん練習する必要があります。巨人の肩に乗れるくらいの訓練を積んで初めて、新しいものが生まれます。(p.158) </blockquote> <p>思い込みを捨てること、世界を広げること、既存の型を学んでたくさん練習すること、本当に大事なのってまさにこれだよな、とおもう。どうも歳を取るにつれて、こういうことへの意識が薄れてくるというか、何でもすぐに既視感があるとか新味がないとかおもってしまうようになってきている自分の思考停止状態について、少しく反省したのだった。</p> hayamonogurai 『AI分析でわかった トップ5%の社員の習慣』/越川慎司 hatenablog://entry/4207575160646860596 2023-05-16T21:00:00+09:00 2023-05-16T21:00:02+09:00 著者のクライアント企業25社の協力を得て、人事評価でトップ5%に該当する社員の行動を記録、AIと専門家にて分析を行い、トップ5%の社員の共通点や、彼らと95%の一般社員とで、どんな違いがあるのか、を抽出した、という一冊。 AIで優秀な社員の習慣を分析、ってなかなかおもしろいかも!とおもって読み始めたのだけれど、分析から導かれるのは、いわゆる一般的な「仕事のできる人」の像でしかなく、正直言ってとくに新たな気づきが得られるような本ではなかった。「トップ5%の社員の習慣」というのも、いわゆる自己啓発系のビジネス書に載っているような内容で、そりゃこれが全部できればトップ社員になるだろ、というか…。わざわざAIでデータ分析した結果がこれかー、というがっかり感があった。(まあ、「既存の人事評価でトップ5%に該当する人」の習慣を分析して整理したというだけなのだから、既視感のある結果になるのはある意味当然なのかも知れない。) <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4799326082?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/510c3z7bs7L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="AI分析でわかった トップ5%社員の習慣" title="AI分析でわかった トップ5%社員の習慣"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4799326082?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">AI分析でわかった トップ5%社員の習慣</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B1%DB%C0%EE%20%BF%B5%BB%CA" class="keyword">越川 慎司</a></li><li>ディスカヴァー・トゥエンティワン</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4799326082?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>著者のクライアント企業25社の協力を得て、人事評価でトップ5%に該当する社員の行動を記録、AIと専門家にて分析を行い、トップ5%の社員の共通点や、彼らと95%の一般社員とで、どんな違いがあるのか、を抽出した、という一冊。</p> <p>AIで優秀な社員の習慣を分析、ってなかなかおもしろいかも!とおもって読み始めたのだけれど、分析から導かれるのは、いわゆる一般的な「仕事のできる人」の像でしかなく、正直言ってとくに新たな気づきが得られるような本ではなかった。「トップ5%の社員の習慣」というのも、いわゆる自己啓発系のビジネス書に載っているような内容で、そりゃこれが全部できればトップ社員になるだろ、というか…。わざわざAIでデータ分析した結果がこれかー、というがっかり感があった。(まあ、「既存の人事評価でトップ5%に該当する人」の習慣を分析して整理したというだけなのだから、既視感のある結果になるのはある意味当然なのかも知れない。)</p> <p>これを読んだからといって95%の人がトップ5%になれるかと言ったら、それは無理な話というものだろう。高い目標と基準を持ち、人よりも行動量が多く、適切なレベル感で成果物を作成し、時間を大切にし、集中が必要な仕事は午前中に行い、オン・オフをしっかりと切り替え、即レスし、挑戦を実験と捉え、人よりも多く発言し、必ずフィードバックを求め、適切に迅速に対応し、他者への配慮や感謝を忘れず、時間を無駄にせず、こまめに内省を繰り返して自分の軸を持ち、納期を守り、トラブルには臨機応変に対応し、意識ではなく行動を変え、社内外の人脈を豊かに保ち…って、できたほうがいいことだというのは誰でもわかっていることだろう。みんなわかってはいるけれど、やれていない、行動できていないからこそ、95%の方に留まっているのだ。</p> hayamonogurai 『インヴィジブル』/ポール・オースター hatenablog://entry/4207575160646558878 2023-05-14T21:00:00+09:00 2023-05-14T21:00:03+09:00 オースターの2009年作。前の数作と同様に、死を前にした老年の男が主人公の物語ではあるものの、多くのページはその男による若き日の回想録が占めているため、『写字室の旅』や『闇の中の男』のような陰鬱でどんよりした感じはさほど強くはない。その代わり、タイトルのとおり、全体像はどうなっているのか、要するにどういうことなのか、がいつまで経っても見えてこない、奇妙で不安を誘う物語になっている。作品を特徴づけているのは、オースターお得意のテクニック――入れ子構造、引用、作中作、真偽のはっきりとしないエピソードと仄めかし、真意がどうとでも取れるような語り(どこまでが本気で、どこまでがそう言っているだけ、なのかわからない)――であり、これらによって小説は独特の曖昧さや不透明感、不穏さを感じさせるものになっている。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105217208?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41X5aWfNRKL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="インヴィジブル" title="インヴィジブル"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105217208?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">インヴィジブル</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AA%A1%BC%A5%B9%A5%BF%A1%BC%2C%A5%DD%A1%BC%A5%EB" class="keyword">オースター,ポール</a></li><li>新潮社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105217208?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>オースターの2009年作。前の数作と同様に、死を前にした老年の男を主人公とした物語だ。ただ、彼の若き日の回想録がページの多くを占めているため、<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/archives/3608">『写字室の旅』</a>や<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/2020/02/18/213455">『闇の中の男』</a>のような陰鬱でどんよりした感じはさほど強くはない。その代わり、タイトルのとおり、全体像はどうなっているのか、要するにどういうことなのか、がいつまで経っても見えてこない、奇妙で不安を誘う物語になっている。作品を特徴づけているのは、オースターお得意のテクニック――入れ子構造、引用、作中作、真偽のはっきりとしないエピソードと仄めかし、真意がどうとでも取れるような語り――であり、これらによって小説は独特の曖昧さや不透明感、不穏さを感じさせるものになっている。</p> <p>1967年の春、20歳のアダム・ウォーカーは、怪しげな大学教授ルドルフ・ボルンと出会い、ボルンの内にある怒りや暴力、闇と冷たさの志向に触れるなかで、自らの内にもそういった傾向が存在していることに気づいていく。やがてウォーカーは、自分では制御することのできない破滅願望のようなものに導かれるように行動するようになるのだが、若い日のその行いは、死を目前にした老人となった彼にとってもなお、もっとも大きな未解決事項として居座り続けることになる。</p> <p>ウォーカーとボルンは、シンプルに対照的な存在、あるいは相似形を成すような存在、分身的な存在である、というわけではない。彼らの関係性はもっと曖昧で不明瞭なもの、単純な図式に整理することができないようなものだ。とはいえ、彼らが互いの内なる衝動を刺激し合った結果として、互いの人生が根本的に路線変更され、取り返しのつかない方向へと歩みを進めていくことになってしまった、というのは確かなことだと言えそうだ。</p> <p>作品全体に通底しているのは、何もかもが未解決のまま終わっていくという感覚、そして、わかりやすい終結などといったものは存在しないという感覚だろう。ウォーカーにオースターの自伝的な要素がいくつも反映されていること等を鑑みるに、このあたりはオースター自身の感慨であるのかもしれない、という気がする。</p> <blockquote/> ウォーカーの告白に僕は動揺し、胸に悲しみが満ちた。気の毒なアダム。あまりに自分に厳しすぎる。ボルンとの関係における自分の弱さを徹底的に蔑み、自分のチャチな野望と若き奮闘をとことん嫌悪し、自分が怪物を相手にしているのが見えなかったことを心底責めている。だが、ボルンのような人間がくり出す詭弁と邪悪の靄のなかで、二十歳の若者が現実を見失ったことを誰が責められよう?ひどく醜悪な何かが自分のなかにあることを、私はボルンに思い知らされた。だがアダムがいったいどんな間違いを犯したというのか?刺傷があった夜、彼は救急車を呼ぼうと電話をかけたではないか。それに、しばし怖気づきはしたものの、やがて警察に行ってすべて話したではないか。こうした状況で、それ以上できた人間がいるとは思えない。自分自身をウォーカーがどれだけ嫌悪しようと、それは彼が結末に採ったふるまいが原因だったとは考えられない。彼の心を乱したのは、終わりではなく始まりなのだ。誘惑されるがままに行動してしまったという事実。そのことについて彼は自分を生涯苛みつづけた。人生が終わりに近づいてきたいま、もう一度その過去に立ち返ってわが恥辱の物語を語らずにはいられないほど自分を苛んだ。(p.73-74) </blockquote> hayamonogurai "Steal Like an Artist: 10 Things Nobody Told You About Being Creative"/Austin Kleon hatenablog://entry/4207575160646858504 2023-05-12T21:00:00+09:00 2023-05-12T21:00:01+09:00 吉本隆明が、「手で考える」、「手を動かさなければ何もはじまらない」、「同じ事を言うためにだって違う表現は無限にある」などと語っていたのを読んで、随分以前に読んだ本書のことをおもい出した。本書も、とにかく手を動かすことの大切さが繰り返し語られている一冊だ。 著者のKleonは、“Nothing is completely original”だと主張する。どんなに新しく見えるものでも、いままでのアイデアの組み合わせ/組み換えからできており、まったくのオリジナルなどということはあり得ない。また、誰かひとりからアイデアをコピーしただけならそれはただの剽窃でしかないが、複数人から複数のアイデアをコピーしてくれば――その表層ではなく、本質を調査、分析し、コピーすることができれば――それは研究だということになる。だから、まずは真似からでいいから、とにかく手を動かして何かを作り出すことが肝要だ、とKleonは言う。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B5L9GMSW?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41EzihMt7KL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="Steal Like an Artist: 10 Things Nobody Told You About Being Creative (Austin Kleon) (English Edition)" title="Steal Like an Artist: 10 Things Nobody Told You About Being Creative (Austin Kleon) (English Edition)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B5L9GMSW?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">Steal Like an Artist: 10 Things Nobody Told You About Being Creative (Austin Kleon) (English Edition)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/Kleon%2C%20Austin" class="keyword">Kleon, Austin</a></li><li>Workman Publishing Company</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B5L9GMSW?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>吉本隆明が、「手で考える」、「手を動かさなければ何もはじまらない」、「同じ事を言うためにだって違う表現は無限にある」などと語っていたのを読んで、随分以前に読んだ本書のことをおもい出した。本書も、とにかく手を動かすことの大切さが繰り返し語られている一冊だ。</p> <p>著者のKleonは、“Nothing is completely original”だと主張する。どんなに新しく見えるものでも、いままでのアイデアの組み合わせ/組み換えからできており、まったくのオリジナルなどということはあり得ない。また、誰かひとりからアイデアをコピーしただけならそれはただの剽窃でしかないが、複数人から複数のアイデアをコピーしてくれば――その表層ではなく、本質を調査、分析し、コピーすることができれば――それは研究だということになる。だから、まずは真似からでいいから、とにかく手を動かして何かを作り出すことが肝要だ、とKleonは言う。</p> <blockquote/> Nobody is born with a style or a voice. We don't come out of the womb knowing who we are. In the beginning, we learn by copying. </blockquote> <blockquote/> If I'd waited to know who I was or what I was about before I started "being creative", well, I'd still be sitting around trying to figure myself out instead of making things. In my experience, it's in the act of making things and doing our work that we figure out who we are. </blockquote> <p>自分の内面をいくら探り続けたところで、自分が何者であるのかを見定めることはできない。実際に手を動かして、ものを作ったり、実践していったりするなかでこそ、自分というものが見つかってくるはずだ、というわけだ。それに、たとえ一度成功したとしても、自分がうまくいったのはたまたまなんじゃないか、自分は偽物なんじゃないか、と恐怖してしまうことなどいくらでもある。そういうときの対策というのもやはり、とにかく手を動かし、作り続けるということ、それだけしかないのだ、とKleonは語っている。</p> hayamonogurai 『だいたいで、いいじゃない。』/吉本隆明、大塚英志 hatenablog://entry/4207575160646547769 2023-05-10T21:00:00+09:00 2023-05-10T21:00:01+09:00 97年から2000年にかけて四回行われたふたりの対談をまとめたもの。扱われているのは、エヴァンゲリオン、宮崎勤、宮台真司、江藤淳、オウム真理教などなど、まさにあの頃を代表するようなトピックたちで、20年以上経ったいま読んでみると、なんだかずいぶん懐かしい感じがしたのだった。 対談ではあるけれど、だらだらとした語りが何度も繰り返されがちで、正直、読んでいて退屈してしまうところも多くあった。たとえば、大塚がエヴァンゲリオンと庵野秀明について延々と自説を開陳するのに対し、吉本は、「ああ、そうですか。いや、そうおっしゃられると、ほんとにそういう感じ。」とか、「いやあ、たいへん啓蒙されました。」などと一言だけで話があっさり終わってしまったり。会話の応酬によって場が盛り上がっていき、グルーヴしていくような雰囲気がぜんぜん感じられないのだ。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4167289067?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51GM4V7ABRL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="だいたいで、いいじゃない。 (文春文庫)" title="だいたいで、いいじゃない。 (文春文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4167289067?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">だいたいで、いいじゃない。 (文春文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%CE%B4%CC%C0%2C%20%B5%C8%CB%DC" class="keyword">隆明, 吉本</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B1%D1%BB%D6%2C%20%C2%E7%C4%CD" class="keyword">英志, 大塚</a></li><li>文藝春秋</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4167289067?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" 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僕らは、文学研究は頭でやるが文学批評は手でやるって、よく言うんです。そういう場合の手というのは、外から見た手じゃなくて、手で考えているということです。それは歳をとった学者と話をするとよくわかる。そういう人は、誰の本を読んでも同じように見える。自分が考えてきた筋道が見えるだけで、あ、そうか、そうかと思うだけなんです。そうするともうそれ以上勉強する気が失せてしまう。だけど僕らは手でやっているから、手を動かさなければ何もはじまらない。だから歳をとってもいいんですよ(笑)。頭でやっていると、人の本を読んでも多少の違いはあれ、結局は同じようなことを言っているなと思ってしまう。だけど僕らは、同じ事を言うためにだって違う表現は無限にあるんだと思っているわけです。だから僕らのほうがもつんです。(p.268) </blockquote> <p>繰り返し語るなかで徐々に変化していく意味合いだとか、手を動かすことではじめて得られるような違いだとか、そういったものに意識的でいなければ、頭が凝り固まってしまい、「あ、そうか、そうかと思うだけ」、「結局は同じようなことを言っているなと思ってしまう」…というのは、俺にもなんだかわかるような気がした。そして、自分がここ最近感じることが多い、虚無感というか、あれもこれも無意味に感じてしまう感じ、に抗するための処方箋として、「手を動かさなければ何もはじまらない」とかんがえるということは、理にかなっているようにもおもえたのだった。</p> hayamonogurai 『ぼくのプレミア・ライフ』/ニック・ホーンビィ hatenablog://entry/4207575160646538983 2023-05-08T21:00:00+09:00 2023-05-08T21:00:01+09:00 アーセナルに「とりつかれた」男、ニック・ホーンビィによる、1968年から92年までにわたる回顧録/スポーツエッセイ。ホーンビィの場合、フットボールが人生の中心、というか、人生≒アーセナルという感じなので、自身の人生を振り返ることは当時のアーセナルを振り返ることと完全に同義になっているのだ。 タイトルこそ『ぼくのプレミア・ライフ』となっているけれど(原著タイトルは"Fever Pitch")、本書で扱われているのはプレミアリーグ創設前の時代ということで、ヴェンゲル監督の築いたアーセナル黄金期よりもさらに以前の話になる。とはいえ、クラブのファンの気持ちというのはいつの時代にも大して変わりないものなのだろう、俺もうんうん頷きながら読んでしまったのだった。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4102202129?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51SZ7DS4C4L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ぼくのプレミア・ライフ (新潮文庫)" title="ぼくのプレミア・ライフ (新潮文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4102202129?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ぼくのプレミア・ライフ (新潮文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%CB%A5%C3%A5%AF%20%A5%DB%A1%BC%A5%F3%A5%D3%A5%A3" class="keyword">ニック ホーンビィ</a></li><li>新潮社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4102202129?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>アーセナルに「とりつかれた」男、ニック・ホーンビィによる、1968年から92年までにわたる回顧録/スポーツエッセイ。ホーンビィの場合、フットボールが人生の中心、というか、人生≒アーセナルという感じなので、自身の人生を振り返ることは当時のアーセナルを振り返ることと完全に同義になっているのだ。</p> <p>タイトルこそ『ぼくのプレミア・ライフ』となっているけれど(原著タイトルは"Fever Pitch")、本書で扱われているのはプレミアリーグ創設前の時代ということで、ヴェンゲル監督の築いたアーセナル黄金期よりもさらに以前の話になる。とはいえ、クラブのファンの気持ちというのはいつの時代にも大して変わりないものなのだろう、俺もうんうん頷きながら読んでしまったのだった。</p> <blockquote/> 少なくともフットボールに関して、ひとつのチームを好きになるのは、勇気や親切などといったモラル上の選択などではない。それはむしろ、イボやコブのようなもの――体について離れないものだ。夫婦の関係でさえここまでシビアではない。家庭を離れたところで浮気を楽しむかのように、ちょっとトテナムを応援してみたりするアーセナル・ファンなど、ひとりもいやしない。もちろん離婚の可能性はある(あまりに成績がひどければ、見に行くのをやめればいい)。けれど、新しい相手を見つけるなんて不可能だ。(p.47) </blockquote> <blockquote/> ぼくらの多くは選んでファンになったわけではない。アーセナルはただぼくらの目の前に差し出されただけだ。(p.211) </blockquote> <blockquote/> フットボール・チームというのは、サポーターを悲しい気持ちにさせる方法なら次から次へと無数に発明してくれる。ウェンブリーで先制していながら逆転負け。ファースト・ディビジョンの首位を走っていながら最後には転落。アウェイで難しい試合を引き分けに持ちこみながら、ホームのリプレイではあっさり敗退。シーズンなかばまでたっぷり気を持たせ、これは昇格できるかもしれないぞと思わせながら、あとは低迷……それでいながら、こりゃ最悪の事態になるぞと思った瞬間、必ず急に調子を上げてくる。(p.198-199) </blockquote> <blockquote/> ぼくがフットボールを見に行く理由はいくつも存在する。だがエンターテインメントを見ようとは思っていない。土曜日にまわりにいるパニックした憂鬱そうな顔を見わたせば、ほかのファンもぼくと同じ気持ちでいることがわかる。熱心なファンにとって、エンターテインメント・フットボールは、ジャングルの真ん中で倒れる木のようなものだ。どこかで起きているはずなのだが、実際にそれを目にして愛でることはない。(p.212) </blockquote> <p>たとえグーナーでなくても、このあたりの主張についてはよくわかる、という人は多いのではないだろうか。あるチームのファンであるということはすなわち、そのチームのために、想像し得るあらゆる方法によって失望させられ、悲しませられ、期待させられたかとおもった矢先に意気消沈させられる…という経験を繰り返し続けることに他ならない。栄光や歓喜などといったものは、それらを延々と耐えていった先に、ごく稀に手に入る(かもしれない)類いのご褒美でしかない。なぜそんなチームに忠誠を誓い続けるのかと問われたところで、ファンでない他人にも納得できるように、理由を説明することなどできはしないのだ。</p> hayamonogurai RIDE@恵比寿ガーデンホール hatenablog://entry/4207575160646525918 2023-05-06T18:24:24+09:00 2023-05-06T18:24:24+09:00 4/18、"Exclusive OX4 Show"と銘打たれた、ベスト盤の『OX4』を中心にしたライヴ。2曲目からして「今度出すアルバムからやるよー」とか言って新曲をかましてきたり、ベスト盤以降のアルバム曲も普通に演ったりと、全体的に自由な選曲になっていたようにおもう。とはいえ、聴きたい曲はほとんど網羅してくれた感じではあった。 バンドの演奏は骨太かつタイトで、彼らの90年代のアルバムに感じられたような、(音量的には爆音なのに)いまいち弱そうな感じ、どうにもなよっとしていて儚いような感じ、青春ぽい感じというのは、ほぼ完全に無くなっていた。その原因としては、各メンバーが歳を重ねてきていること、単純に演奏のクオリティが上がっている、ということも言えるのだろうけれど、それより何より、マーク・ガードナーのルックスのインパクトが大きくて。ロン毛の雰囲気イケメンだった20代の頃の面影など1ミリも残っておらず、つるつる頭にがっちりした体格は、焼き鳥でも売っていそうな雰囲気を醸し出していたのだった。(ちなみに、アンディ・ベルの方は、眼光鋭くしゅっとしたスタイルで、いまなおUKロック的なムードを保ち続けている感じだった。) <p>4/18、"Exclusive OX4 Show"と銘打たれた、ベスト盤の『OX4』を中心にしたライヴ。もっとも、2曲目からして「今度出すアルバムからやるよー」とか言って新曲をかましてきたり、ベスト盤以降のアルバム曲も普通に演ったりと、全体的に自由な選曲になっていたようにおもう。でもまあ、聴きたい曲はほとんど網羅してくれた感じではあった。</p> <p>バンドの演奏は骨太かつタイトで、彼らの90年代のアルバムに感じられたような、(音量的には爆音なのに)いまいち弱そうな感じ、どうにもなよっとしていて儚いような感じ、青春ぽい感じというのは、ほぼ完全に無くなっていた。その原因としては、各メンバーが歳を重ねてきていること、単純に演奏のクオリティが上がっていることも言えるのだろうけれど、それより何より、マーク・ガードナーのルックスのインパクトが大きくて。ロン毛の雰囲気イケメンだった20代の頃の面影など1ミリも残っておらず、つるつる頭にがっちりした体格は、なんだか焼き鳥でも売っていそうな雰囲気を醸し出していたのだった。(ちなみに、アンディ・ベルの方は、眼光鋭くしゅっとしたスタイルで、いまなおUKロック的なムードを保ち続けている感じだった。)</p> <p>自分がとくに盛り上がったのは、1曲目の"Leave Them All Behind"と、あとはやっぱり本編ラストの"Vapour Trail"から"Seagull"の流れ。本編60分、アンコール15分くらいのコンパクトなライヴで、平日の仕事帰りに見るにはちょうどよい長さだったのもよかった。("Dreams Burn Down"を聴けなかったのだけは、ちょっと残念だった。)</p> <p>セットリストは以下の通り。</p> <blockquote/> Leave Them All Behind<br> Monaco<br> Unfamiliar<br> Twisterella<br> Future Love<br> Lannoy Point<br> Chrome Waves<br> OX4<br> Taste<br> Vapour Trail<br> Seagull<br> -<br> Like A Daydream<br> Kill Switch<br> Mouse Trap<br> Chelsea Girl<br> </blockquote> <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00XTZUSBE?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51U0NPhKv3L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="Ox4: The Best Of Ride" title="Ox4: The Best Of Ride"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00XTZUSBE?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">Ox4: The Best Of Ride</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">アーティスト:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/Ride" class="keyword">Ride</a></li><li>Music store</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00XTZUSBE?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> hayamonogurai 『トラスト・ミー』 hatenablog://entry/4207112889985754657 2023-04-30T11:18:45+09:00 2023-04-30T11:18:45+09:00 ザ・シネマメンバーズにて。ハル・ハートリー監督作。インディ感の溢れまくる小品だった。社会にまるで馴染めない不器用すぎる青年と、うっかり妊娠してしまった少女が出会う。青年は父親に虐待されていたし、少女は母親に搾取されるような生活を送っていた。それぞれ子供に依存する親を持ちながらも、そこから抜け出すこともできずにいたふたりはやがて、恋というよりは共感とか共振とでもいうような感じで、互いに惹かれあうようになるのだったが…! 物語は終始鬱々としていて、閉塞感が強く、とにかく暗い。描写はオフビートでユーモラスな感じもあって、ちょっとジャームッシュ作品のような雰囲気もあるのだけれど、でもダークであることには変わりがない。また、映像は全体的に青みがかっていて、主人公ふたりの若さゆえのヒリつくような感覚、自分を持て余しているような痛々しさを強調するようでもある。そんな暗さや痛みに満ちた物語のなかで、ふたりの心が触れ合うような瞬間の美しさが描かれていて、それは本当に数少ない瞬間ではあるのだけれど、それだけに強く印象に残る。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B08JYMMBRJ?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51CHYdWz0FL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="トラスト・ミー" title="トラスト・ミー"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B08JYMMBRJ?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">トラスト・ミー</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>エイドリアン・シェリー</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B08JYMMBRJ?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>ザ・シネマメンバーズにて。インディ感の溢れまくる小品だった。社会にまるで馴染めない不器用すぎる青年と、うっかり妊娠してしまった少女が出会う。青年は父親に虐待されていたし、少女は母親に搾取されるような生活を送っていた。それぞれ子供に依存する親を持ちながら、そこから抜け出すことができずにいたふたりはやがて、恋というよりは共感とか共振とでもいうような感じで、互いに惹かれあうようになるのだったが…!</p> <p>物語は終始鬱々としていて、閉塞感が強く、とにかく暗い。描写はオフビートでユーモラスな感じもあって、ちょっとジャームッシュ作品のような雰囲気もあるのだけれど、でもダークであることには変わりがない。また、映像は全体的に青みがかっていて、主人公ふたりの若さゆえのヒリつくような感覚、自分を持て余しているような痛々しさを強調するようでもある。そんな暗さや痛みに満ちた物語のなかで、ふたりの心が触れ合うような瞬間の美しさが描かれていて、それは本当に数少ない瞬間ではあるのだけれど、それだけに強く印象に残る。</p> <p>互いに惹かれ合った結果、青年は結婚と子供に希望を見出そうと試み、少女は中絶や勉強、自活のための準備を少しずつ進めていこうとする。この方向性の違いが残酷でありながらも妙にリアルで、互いに結びつくようなものがあるふたりであっても、選択しようとする未来やかんがえ方がぜんぜん違うことってよくあるよなー、とおもったりした。</p> <p>正直、そこまで好みな作品ではなかったけれど、エイドリアン・シェリー演じる主人公の女の子の、水色のシャツワンピ+大きめのスタジャン+サーモントフレームの丸眼鏡、という格好は最高にキュートだった。彼女の魅力でこそ成立している映画、と言ってもいいかもしれない。</p> hayamonogurai 『本を愛しなさい』/長田弘 hatenablog://entry/4207112889981495262 2023-04-15T16:02:26+09:00 2023-05-07T16:56:30+09:00 長田が愛する本たちとその書き手たちに関する、小伝というか掌編というか、ちょっとした文章たちを集めた一冊。本書を読んだだけでは、扱われている作品や著者について具体的なことはほとんどわからないだろうけれど、それらの本を読んだことのある人であれば、いくつもうなずける箇所があるはず…という感じの、ややハイコンテクストな作品になっている。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622072890?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/31FeVCogwJL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="本を愛しなさい" title="本を愛しなさい"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622072890?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">本を愛しなさい</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%B9%C5%C4%20%B9%B0" class="keyword">長田 弘</a></li><li>みすず書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622072890?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>長田が愛する本たちとその書き手たちに関する、小伝というか掌編というか、ちょっとした文章たちを集めた一冊。本書を読んだだけでは、扱われている作品や著者について具体的なことはほとんどわからないだろうけれど、それらの本を読んだことのある人であれば、いくつもうなずける箇所があるはず…という感じの、ややハイコンテクストな作品になっている。</p> <p>たとえば、<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/2022/11/16/211237">『ワインズバーグ、オハイオ』</a>のシャーウッド・アンダーソンについて書かれた箇所。</p> <blockquote/> マリオンは典型的な古い北アメリカの町だった。ある日一人の男が、町をでてゆく。もどってくる。赤ん坊が生まれる。誰かが死ぬ。何も変わらない日々だけがのこる。だが、ありふれて見える町の日々の一つ一つには、人がそこで生きている無言の物語が籠められている。<br> 語られていることのないそれらの物語を語ることができなくてはならない。平凡な日常を生きている人びとの日々の色、匂い、感覚をとらえるのだ。それがじぶんの仕事だ。そうアンダスンは考えていた。(p.33) </blockquote> <blockquote/> アンダスンはあたたかな褐色の目をしていた。アンダスンに会った人は、誰もがたちまちアンダスンに好意をおぼえたらしい。話上手で、話のなかに「とても」とか「まったく」といった言葉を好んで多用した。よそよそしい言葉より、親身な嘘を愛した。<br> いい嘘というのは、よりおおく真実を語るんだ。アンダスンは言った。知らない人に職業をたずねられると、絨毯の行商人だよ、と澄ましてこたえた。撞球屋をやっているんだよ、とも言った。作家だと、アンダスンはみずから名のったことがなかった。(p.34) </blockquote> <p>過去の作家たちについて語る文章ということもあってか、全体的にウェットな印象が強めではあるけれど、長田の文章は静謐で暖かく、キュートなカラーの挿絵も相まって、なかなか美しい一冊に仕上がっている。</p> hayamonogurai 『ゴルフ場殺人事件』/アガサ・クリスティ hatenablog://entry/4207112889962158023 2023-02-11T12:04:49+09:00 2023-02-11T12:17:52+09:00 ポアロものの第2作目。南米の富豪ルノー氏から、命を狙われているので急ぎ来てほしいと依頼状を受け取ったポアロは、ヘイスティングズとともに、ルノー氏の滞在するフランスはカレー近くの小さな町へ。ルノーの屋敷にやって来たふたりだが、すでに時遅く、氏はすでに刺殺され、屋敷近くに建設中のゴルフ場に穴を掘られて埋められていた。事件を防げなかったポアロは真相解明に乗り出すのだったが、ルノー氏には怪しげな過去があり…! 複数人がそれぞれの思惑でいろいろな行動を取っているがゆえに、事件の全容が掴みにくくなっている、というところは前作とよく似ている。2つの事件が重なり合って発生しており、おまけに過去の事件も関係しているために、各手がかりが何を意味するのかが非常にわかりにくくなっているのだ。そんなややこしく絡まり合った状況をひとつひとつ丁寧に解きほぐしていくポアロの推理は明快で、なかなか納得感がある。もっとも、事態が複雑すぎるために、本当にちょっとずつ解説を進めていくような感じになっていることもあって、いわゆるミステリの解決編的な盛り上がりには欠ける、ということは言えそうだ。なんとなく全体的に地味な作品という印象があるのも、そのせいだろう。 <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4151310029?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41uelF+wsnL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ゴルフ場殺人事件(クリスティー文庫)" title="ゴルフ場殺人事件(クリスティー文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4151310029?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ゴルフ場殺人事件(クリスティー文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%AC%A5%B5%A1%A6%A5%AF%A5%EA%A5%B9%A5%C6%A5%A3%A1%BC" class="keyword">アガサ・クリスティー</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4151310029?tag=hayamonogur03-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> <p>ポアロものの第2作目。南米の富豪ルノー氏から、命を狙われているので急ぎ来てほしいと依頼状を受け取ったポアロは、ヘイスティングズとともに、ルノー氏の滞在するフランスはカレー近くの小さな町へ。ルノーの屋敷にやって来たふたりだが、すでに時遅く、氏はすでに刺殺され、屋敷近くに建設中のゴルフ場に穴を掘られて埋められていた。事件を防げなかったポアロは真相解明に乗り出すのだったが、ルノー氏には怪しげな過去があり…!</p> <p>複数人がそれぞれの思惑でいろいろな行動を取っているがゆえに、事件の全容が掴みにくくなっている、というところは<a href="https://www.hayamonogurai.net/entry/2022/11/15/215154">前作</a>とよく似ている。ふたつの事件が重なり合って発生しており、おまけに過去の事件も関係しているために、各手がかりが何を意味するのかが非常にわかりにくくなっているのだ。そんなややこしく絡まり合った状況をひとつひとつ丁寧に解きほぐしていくポアロの推理は明快で、なかなか納得感がある。もっとも、事態が複雑すぎるために、本当にちょっとずつ解説を進めていくような感じになっていることもあって、いわゆるミステリの解決編的な盛り上がりには欠ける、ということは言えそうだ。なんとなく全体的に地味な作品という印象があるのも、そのせいだろう。</p> <p>ヘイスティングズの一人称の語りがキュートなところも前作同様だけれど、今作では、恋に盲目になった彼がさらにいろいろやらかしてくれている。女の子を現場に連れて行っては凶器のナイフを盗まれてしまったり、挙げ句にはポアロと敵対しようとしたり。そんなところもなんだか微笑ましくおもえてしまうのは、作品全体のどこか牧歌的な雰囲気によるところが大きいだろう。</p> <blockquote/> 「おやおや。なんというロマンティックな話だろう。その魅力的な若い女性の名前はなんというんだね」<br> わたしは名前を知らないことを白状した。<br> 「いよいよもってロマンティックだ。最初の出会いはパリからの列車のなか。二度目はここ。たしかこんな格言があったと思う。"旅は恋人を得て終わる"」<br> 「ふざけないでくれよ、ポアロ」<br> 「昨日はマドモワゼル・ドーブルーユ、今日はマドモワゼル・シンデレラ!きみはトルコ人の情熱を持っている、ヘイスティングズ。そのうちにハレムができそうだね」(p.176-177) </blockquote> <p>また、本作では、ライバル探偵役としてフランスのパリ警視庁のジロー刑事も登場する。物的証拠を重視するジロー刑事とポアロとの対立、というところも、まあステレオタイプではあるけれどもなかなかたのしい。ジローはポアロを老いぼれ扱いし、ポアロはジローを猟犬呼ばわりして、互いにバカにし合っているのだ。</p> hayamonogurai