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『うたかたの日々』/ボリス・ヴィアン

『うたかたの日々』/ボリス・ヴィアン

この頃、デューク・エリントンばかり聴いている。ちょっと前まではバップ以前のジャズのよさというのがいまいちわからなかったのだけど、ふとおもいたってちゃんと聴いてみると、ほんとにかっこいい曲だらけだし、演奏もすばらしいしで、聴けば聴くほどエリントン楽団は俺の心のドアをノックしまくり、もう最近の通勤のお供は毎日毎日エリントンばっかりなのだ。で、やっぱりエリントンといえばボリス・ヴィアンだよなーとおもって、長いあいだ本棚に積まれっぱなしになっていた本作を手に取ってみた。

大切なことは二つだけ。どんな流儀であれ、きれいな女の子相手の恋愛。そしてニューオーリンズの音楽、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消えていい。なぜなら醜いから。(p.7)

こんな風に軽々と言ってのけるヴィアンの何よりの魅力は、シャンパンの泡のように軽やかでさわやか、きらきらと透明に輝くその文体だろう。重さや寓意性などといったまどろっこしいものはことごとく退けられ、ひたすらエレガントであること、ナンセンスであることだけに意識が向けられている。その身軽さといったら、いまにもくるくると踊り出しそうなほどだ。そして、そんな文体で描かれた作品を中心で繋ぎ止めているのは、詩的でシュルレアリスティックなイメージの単純な美しさ、ただそれだけだと言ってしまってもいいかもしれない。

本作にしても、そのメインプロットはごくシンプルだ。金持ちで優雅な生活を送っていた青年コランが美しい少女クロエと出会い、恋に落ちる。ふたりは幸せな結婚をするが、やがてクロエは”肺のなかに睡蓮が咲く奇病”にかかってしまう。コランは病の治療のために家財道具を売り払い、惨めな労働を繰り返し、大量の花を購入するも、結局クロエは命を落としてしまう…!

クロエの発病前後で、物語のトーンががらっと変わってしまうところがおもしろい。前半で描かれるのは、完全に快感原則によって支配される世界。コランたちは若くて美しくて幸福、自信に満ち溢れ、どこまでも身勝手で自由で、義務や責任といった大人の価値観を徹底的に忌避している。だが、物語後半に入ると雰囲気は一変、世界は病の恐怖と死の影が常に漂う、ダークで醜い一面を露わにする。そこにはもはや、主人公たちのようなお子様のための居場所は残されていない。「あなたは何をしてらっしゃるんです?」と職業を聞かれて、「クロエを愛しています」と何のためらいもなく答えるコラン君に、世界は決して容赦しないのだ。

コランとクロエの恋愛は、甘く軽やかで余人のつけいる余地などまったくない完璧なものだけれど、まさにそうであるがゆえに、悲劇的な結末が宿命づけられている、ということなのかもしれない。逆に言うと、物語後半の暗さ、不幸の連鎖こそが、前半部の幸福感やきらめきにノスタルジックな輝きを与えている、ということになるだろうか。

二人はすぐそこの歩道に沿って歩いていった。バラ色の小さな雲が降りてきて彼らに近づいた。
「行こうか?」と雲が声をかけた。
「頼むよ!」とコランが言うと、雲が二人を包んだ。その中は暖かくて、シナモンシュガーの匂いがした。(p.79,80)

これは、そんな暗さなどかけらも見当たらない頃の、コランとクロエの初デートの一シーン。まったく、なんてキュートなイメージだろうね!


『新書で入門 ジャズの歴史』/相倉久人

『新書で入門 ジャズの歴史』/相倉久人

ジャズの歴史について、その誕生からモダン・ジャズ神話の崩壊までが、スマートにまとめられた一冊。ブルーズ→スウィング→バップ→ハード・バップ→モード→フリー…みたいなジャンル内の流れだけではなくて、当時の社会におけるジャズの立ち位置や受容のされ方、ジャズの発展の基盤となっている思考についてまで、大づかみな考察が行われている。たとえば、ジャズはもともとアフリカとヨーロッパとの出会いと反発の摩擦熱によって発生した音楽だということ。また、時代の流れのなかで何度も繰り返し発生する、複数の音楽/文化との衝突や葛藤を原動力として、進化し、ハイブリッド化していったのだということ。そして、そうした進歩史観が行き詰まったところで、モダン・ジャズはメインストリームとしての求心力を失い、以降はサブ・ジャンル化、細分化という形で拡散していくことになったということ。などなど。

なかでもおもしろかったのは、<モダン・ジャズ神話=大きな物語>の消滅後にジャズを見舞ったさまざまな事態というやつが、いわゆる<ポストモダン現象>として説明できる、という話。70年以前の<大きな物語>たるモダン・ジャズとの間の断絶を意識せざるを得なくなったジャズ新世代は、サブ・ジャンル、サブ・サブ・ジャンルへと細分化、断片化していき、それぞれに個別の道<小さな物語>を歩き続けることになる。もはや正統継承者のいなくなったモダン・ジャズは、アーカイヴ化していき、サンプリングやリミックスが盛んになった80年台以降は、完全にデータベース化することとなる。過去の作品はみな一様に、そこにアクセスして新たな解釈を加え、分解し、再構成して再利用するための素材となった、というわけだ。

四半世紀におよぶモダン・ジャズの流れを裏でささえていたのは、技法の進歩とともにジャズはつねに成長し発展しつづけるという一種の信仰でした。新しい考え方や手法、初対面の音楽や異文化の注入……といった対立項の増加はジャズの活性化を助けこそすれ、前進の妨げにはならない。そうした進歩主義的な考え方が、モダン・ジャズ神話を育んだのです。(p.161)

メインストリームの消滅(モダン・ジャズ神話の崩壊)はジャズをどう変えたか。
まず、それまでは演奏をとおしてジャズの内部で燃焼処理されてきたさまざまな対立要素の摩擦と葛藤が、あらためて取り組み直さなければならない(再チェックを必要とする)課題として浮かびあがってきました。具体的にいうと、たとえばブラック系のR&Bや白人系のロック、ポップス、世界各地の民族音楽や現代音楽……などとの位置関係をどうとらえ、それらとのあいだにどういう関係を構築しなおすか、といったようなことです。
それはさらに「ジャズがジャズであるとはどういうことなのか」という、ジャズそのものの存立の基盤を問いなおす作業にもつながってきます。モダン・ジャズという<大きな物語>が消滅したため、それまで暗黙の了解としてあったジャズについてのコンセンサスに、ゆらぎが生じたからです。(p.170,171)

こういう、なんとなく把握しているつもりになっていたような基礎知識的な内容について、ていねいかつ簡潔にまとめてくれているところが、とてもよかった。


『ワード・オブ・マウス ジャコ・パストリアス魂の言葉』/松下佳男

ワード・オブ・マウス ジャコ・パストリアス魂の言葉 (BASS MAGAZINE)

自他共に認める”世界最高のベーシスト”にして、すべてのベーシストにとっての永遠の憧れ、フレットレス・ベースの神、ジャコ・パストリアスについての一冊。ジャコ本人と、その周辺にいた人々へのインタビューが数多く収録されていて、ジャコへの愛に満ち満ちた、なかなか素敵な本になっている。内容的には、ジャコの少年時代の生活から、ベースをはじめたきっかけ、ソロアルバムからウェザー・リポートのことまで、いろいろと興味深い話が多く載っているのだけど、こんなところなんて、読んでいて単純にわくわくしてしまったりもする。ジャコの少年時代からの友人、ボブ・ボビングの言葉。

ジャコと僕はそれぞれのフットボール・チームのクォーターバックをやっていて、バスケットボールも好きだった。それにふたりともソウル・バンドでベースを弾いていて、宗教はカトリックで、ハイ・スクールで建築製図を学んでいた。共通する部分が多かったんだ。また僕たちはホンダのオートバイを持っていたんだよ。赤、白、黒の3種類があったホンダのニューマシンは、ごく普通の少年にとって抗しがたい魅力を放っていてね。/ジャコもホンダに魅せられ、新聞配達で貯めたお金で黒の”ホンダ・ブラック90″を買ったんだ。ティーンエイジャーにとっては、オートバイに乗ればどこにでも行けるという自由を新しく発見したようなものだったんだ。当時、フォート・ローダーデイル周辺は、白い砂浜と南国的な気候で、美しい冒険の世界という雰囲気を持っていた。まるでこの世の楽園のような場所だったんだ。大きな転換期にあったアメリカという国から完全に隔離されていたよ。(p.67,68)

そんな”ごく普通の少年”であったかもしれないジャコは、長じて”世界最高のベーシスト”になる。こっちは、そんなエレクトリック・ベースのパイオニアとしてのジャコについての、ヴィクター・ウッテンの言葉。

あらゆるベース・プレイヤーは、初めてジャコを聴いたときのことを覚えている。彼にはそのような時間を止める力があったんだ。私も例外ではない。私はそれまでとは別の人間になったよ。私が15歳のときだ。そしてそれからほぼ2年後、私は初めてジャコのライヴを見た。その後、私はこれから先の人生をずっと音楽とともに過ごすことになるだろうと悟ったことを覚えているよ。彼はそれほどまでに素晴らしく、人生でどんな不幸に見舞われようとも、私が見たジャコのプレイに少しでも近づくことができれば、そして私がジャコから受けたのと同じような気持ちを私も誰かに与えることができれば、生きる意欲が湧いてくるだろうと感じたほどだ。ジャコは神が私たちに与えた贈りものだったんだ。(p.122)

かっこいいー!読んでいるだけで胸が熱くなってしまう。ジャコのことになると、みんな落ち着いてなんていられないのだ。


Date Course Pentagon Royal Garden@日比谷野外大音楽堂

10月9日、土曜日。みんなが待っていたDCPRGの復活ライブは、じつにハードな天候の下で行われた。ひとことで言って、豪雨。ふたことで言うなら、防水仕様のアウターを着ていてもなお雨が肌まで染み込んでくるような大雨、だった。もうその時点で記憶に刻みつけられるのは決定済みだったわけだけど、ライブの内容の方も、それはもう、期待以上に素晴らしいものだった。

前座は、小林径によるDJと、ヨスヴァニー・テリー&リッチー・フローレスによる演奏。じっと座っていると寒いし雨が顔を濡らしてくるし風邪引いちゃいそう、っていう状況だったから、とにかく立ち上がって身体をどんどん動かしながら見た。

で、いよいよ本編。まずは菊地(なんかすごい帽子をかぶっていたっけ)と坪口が入ってきて即興演奏を始め、そこから徐々にメンバーが登場しながら”ジャングルクルーズにうってつけの日”が進行していく。いくつものリズムが混ざり合ったり合わなかったりしながら、巨大なグルーヴのカオスが生み出されていくそのようすは、わかっていたことではあるけれど、むちゃくちゃにかっこよかった。

…むちゃくちゃにかっこよかった、ってばかみたいな感想だけれど、もう、本当にそれしか残っていない気がする。約2時間のあいだ、ひたすら気持よく踊り続けて、曲のイントロやかっこいいソロやブレイクにおもわず声を上げて、そのうち雨が降っているのかどうかすらわからなくなるくらい幸せな気分になって、そのままライブが終了しちゃった、という感じだったのだ。

個人的なハイライトは、”Circle/Line~Hard Core Peace”後半の祝祭感溢れまくる盛り上がりと、坪口のソロ(ショルキーでもってジミヘンばりのパフォーマンス!)、そしてやっぱり、アンコール”Mirror Balls”が始まった瞬間の会場の「待ってました!」感、辺りかな。まあとにかく最高だった。はじめてDCPRGの音楽を聴いたとき、こんなにかっこいいバンドが日本にもあったのか!!って驚いたものだけど――その後しばらくは、他の音楽が完全に色褪せて退屈なものにおもえたものだった――そのときの感覚をおもい出しながら、ずっと踊っていた。

以下、セットリスト。

Perfect Days For Jungle Cruise

Play Mate At Hanoi

Structure II A Structure Del` Amerique Medievale

Circle/Line~Hard Core Peace

Mirror Balls

REPORT FROM IRON MOUNTAIN


菊地成孔・山下洋輔デュオ@新宿PIT INN

菊地成孔3daysの1日目。ピットインの小さなハコは相変わらずのぎうぎう詰めで、ライブが始まるまえからすでにちょっと息苦しい、酸素の足りないような感じがある。この日は雨も降っていたから湿気もなかなかのもので、会場のコンディションとしては正直いまいち、って言わざるを得ないのは去年と同様だ。それでもやっぱり演奏のほうは最高で、スタンダードも即興も、どちらも素敵にかっこよかった。

大半の曲は、ゆったりと動き出し、終盤になるにつれ”グガン”的カオスに突入、っていう、いかにもな展開の仕方なのだけど、それが予定調和な感じにはなっておらず、どこをとってもスリリングなのがよかった。まあ、山下洋輔が肘打ちで鍵盤をガンガン叩きまくるだけでたのしい、っていうのも多少はあるのだけど、でもリリカルなところはそれこそこぼれ落ちそうなくらいに繊細でもあって、コルトレーンのバージョンで聴き慣れている”Say It”なんて、とても美しくおもえた。

本編のラスト、”大きな古時計”は、螺旋を描きながら天へとぐんぐん昇っていくような演奏が素晴らしくて俺はちょっと泣きそうになったし(ところでこの曲、歌詞が超いいよね!)、アンコールはいちばん好きなスタンダードのひとつである”Everytime We Say Goodbye”で、その哀しい美しさにすっかり骨抜きにされてしまったのだった。

You Don’t Know What Love Is

即興

Lover Man

即興

Say It

(休憩)

Black And Tan Fantasy

即興

Gentle November

即興

大きな古時計

(アンコール)

Everytime We Say Goodbye


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