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『読書からはじまる』/長田弘

読書からはじまる

詩人、長田弘のエッセイ。“本”とは、“読書”とは、人間にとっていったいどんな存在であるのか、もう一度かんがえ直してみよう、という感じの一冊。いわゆるその辺の読書論みたいなのと少し違っているのは、本という文化についてちょっとひとこと言いたいのだけどよろしいかしら、って感じの雰囲気が全体を包んでいるところで、ソフトな語り口が読んでいて心地いい。

なかなかいいこと言ってるなー、とおもえるところはいくつもあったのだけど、なかでも、「子どもの本のちから」という章がいちばん好きだった。文字通り、子どもの本っていうのはどうあるべきなのか、子どもの本が持つ役割とは、といったことについて書いてあるのだけど、この章は他と比べて妙にテンションが高いのだ。熱が込もっているっていうか。

“子どもの本”っていうのは、“大人の本”へとステップアップしていくための準備段階として存在しているわけではなく、“子どもの本”それ自体が“大人の本”と向き合うだけの力を持ったひとつの世界として読まれなくてはならないし、じっさいにそうなのだ、と長田は語る。なるほどねー、って俺はうんうんうなずきながら読んだのだったけど、なかでもこの辺りにはおもわず膝を打つような気分にさせられてしまった。

子どもの本のあり方をいちばん傷つけてしまいやすいのは、何にもまして子どもっぽさを優先する、大人たちの子どもについての先入観だと、わたしは思っています。子どもっぽさというのは、大人が子どもに求める条件であり、子どもが自分に求めるのは、子どもっぽさではありません。子どもが自分に求めるのは、自分を元気づけてくれるもの、しかし大人たちはもうそんなものはいらないとだれもが思い込んでいるもの、もしこういう言葉で言っていいのなら、子どもたちにとっての理想主義です。(p.99,100)

子どもの本と付きあうというのは、大人が子どもの真似をして、子どもっぽくすることでもなければ、子どもが大人の真似をして、大人っぽくすることでもありません。/

この本を子どもが読んだらおもしろいだろう、子どものためになるのではないかというような目線で、子どもの本を見るのではなくて、なによりもまず、自分がこの本を読んでおもしろいだろうかという新鮮な眼差しで、子どもの本と付きあうということが、これからもっともっと大切になってくるのではないでしょうか。(p.102,103)

そうそう、そうなんだよなー。あたりまえだけど、大人ってのはどうしたって子どもではないから、ついつい、子どもの目線にまで降りて行こうとしてしまう。でも、そんな姿勢は子どもにとってとくに喜ばしいものではないのだし(子どもって、そういうところにとても敏感だとおもう)、そもそもそんなことは本当は不可能なのだ。そうではなくて、“子どもっぽさ”を一度離れたところで、子どもについてかんがえてみること、“子どもたちにとっての理想主義”はいまの自分にとってどういう存在であるのか、頭を巡らせてみること、それが本に限らず、子どもと付きあっていく上で肝要になってくることなんじゃないかなー、なんておもったのだった。


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