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『アクロバット前夜』/福永信

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これはおもしろい小説!まず状況のありえない感がおもしろいし、そのありえない状況に対する登場人物の反応のありえなさ、それを描写する文章の視点が変で、ついついわらってしまう。こういうのは、シュールっていったらいいのかな?

どうしてこの小説に書かれる状況や人物の行動を「ありえない」って感じるのか。また、どうしてそれがおもしろいっておもえるのか。その辺がこの短編集の肝で、それは、この小説の文章が、あらかじめ書き手と読み手とが共有している(とされる)ような、“同意されたリアリティ”みたいなもの――みんなが知っている(とされる)ような小説のコード、と言ってもいい――から絶えずずれていこうとする動きを持っているからだろう。

で、それっぽいところを引用しよう、とおもったのだけど、うまく引っ張ってこれそうにない。その理由を、「この小説は、小説全体の流れがおもしろいのであって、部分として取り出したときにはそれが失われてしまうから」、とか言ってしまうとそれっぽいのだけど、でもやっぱりちょっと違くて、「この小説のおもしろさは、小説を読んでいるその流れのなかでこそ立ち上がってくるものだからだ」、なんていう風に言った方が近いかもしれない。って、そんな言い方はどんな小説にだって当てはめて使えるし、ほんとに自明なことになっちゃうんだけど…。まあいいや。とりあえず、状況のありえなさ、のところは置いといて、部分で読んでもおもしろい(とおもう)文章を、少しだけ引用しておくことにする。

『マイ・ダイアリー』には「X君」の「パジャマ姿」が「かわいい♥」と書いてあった。「X君」の「パジャマ姿」?私は一瞬、自らの目を疑った。だがすぐに、二人分用意されていたパジャマのことを思い出した。あの、木の枝に腰掛けて本を読んでいる小熊を後ろから覗いているキリンの絵が描いてあるパジャマと、菜の花畑がプリントされたパジャマのことである。そのパジャマのどちらか一方が「X君」のパジャマだったというわけだ。私は即座に、知っている限りの男子の顔を思い浮かべ、彼らに次々と木の枝に腰掛けて本を読んでいる小熊を後ろから覗いているキリンの絵が描いてあるパジャマを着せていった。ひと通り終えると、今度は菜の花畑がプリントされたパジャマを着せていった。「かわいい♥」と思える人物は見当たらなかった、私を除いては。いや、そんなことはどうでもいいのだ。重要なのは、「かわいい♥」ことではなくて「X君」が「パジャマ姿」だということの方である。(「アクロバット前夜」p.66~p.80)

サチ子は学校にいた。正確にいうと、ちょうど今、敷地内に入ったところだった。サチ子は息を切らしていた。サチ子が息を切らしていたのは、ここまでくるのに走ってきたからである。当然、発汗していた。自分の匂いは、自分自身ではなかなかわからないものだ。サチ子もサチ子自身の息や汗の匂いに気がついていないのだが、それはもう、この上なく甘く、しかもさわやかな香りがするのだった。けれどサチ子はまったく惜しげもなく、ハンカチで汗をふきとってしまうと、ひどく重たい上に錆びついた校門をやっとのことでもとどおりに閉めた。そして手のひらを軽くはたいた。細くしなやかなその指はここ数日の乾燥注意報にもかかわらず、十分に保湿されていてすこしも荒れた様子はなかった。それは手入れをかかさないからである。シットリしているのにベタつかないといった感じだ。(「三か所の二人」p.54~p.66)

そうそう、この本は文章の組まれ方も変わっていておもしろい。俺は始め、“読み方”がわからなくて、ちょっと焦ったりもした。なんていうか、この本を読むためには、「数秒ごとにページをめくっていく」という読み方をしなくてはならないのだ。で、そのために、展開や状況のありえなさ、おかしさを確認するためにいちいち前の文章に戻っていくことができなくなっている(つまり、読んでいて、「あれってどうなってたんだっけ…?」とおもっても、確認したい文章が載っているページははすでに何ページも前にめくられてしまっているので、簡単には探し出せない)。

だから、この短編集を読んでいるときには、読書している時間の流れをとりわけ強く感じさせられることになる。すぐれた小説というのは、内容と形式とが分かちがたく結びつき、連関しているものだけれど、この小説は、造本(?)の段階でもそれがうまくいっているようにおもえた。その結果として、小説内で語られるエピソードは、小説の内的なメカニズムから生じてきたように、つまり、“同意されたリアリティ”に隷属することなく、自己充足しているように見える。俺がこの小説から連想したのはカフカだったけれど、カフカとは違ったスピード感のあるこれは、やっぱりすごい小説としか言いようがないようにおもう。


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