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『ソラニン』/浅野いにお

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

いい歳こいてどこか学生気分を引きずったままの生活、モラトリアムって言ったらいいのか、ゆるゆるだらだらと流れていく時間やその雰囲気が、なんていうか、恐ろしく心地よい。以前はてなの日記で誰かが、「このマンガのゆるい空気感やら炸裂する自己愛やらに同調したり感動したりするのは、ほとんどオナニーみたいなもんだ」的なことを書いていたのを覚えているのだけど、まさしくその通りで、このゆるさには自らの怠惰を肯定するような要素、ちょっと嫌らしい自己愛を許容するような要素が内包されている。

先の見えない感じ、それでもだるく続いていく日常。自由なはずなのに息の詰まりそうな、生活とか人生とかいう厄介なやつら。それに対して登場人物のそれぞれが葛藤しながらもなんとかやっていこうとしたりしなかったりする、その青臭くも切実な描写こそがこの作品の肝なのだとおもう。俺にとっては、主人公がその厄介なやつらとようやく対峙しようと決断したその場面こそがクライマックスであって、その後物語が急転する辺りの展開については、カタルシスを得るための、あるいは明るいエンディングを迎えるための、ちょっと強引な付け足しというか、不必要な延長戦のように感じられた。

それでもおもしろく読めてしまうのは、オナニーだろうが何だろうが、あーわかるわかる、こういう気持ちになったりするもんだよね、ってなんだかんだで共感できてしまうところがあるからなんだろうな、とおもう。やっぱり20代っていろいろとしんどい時期なのかもね…なんて、同世代の人のはてなの日記やtwitterを読んでいるときに感じたりするようなことを、ぼんやりとおもったりしたのだった。


『あたらしい朝 1』/黒田硫黄

あたらしい朝(1) (アフタヌーンKC)

ひさびさ(何年ぶりだろう?)の黒田硫黄の新刊。あたらしい作品が読めるってヨロコビに心中震えつつ、集中力をきわきわに高めて読んだ。

あいかわらず黒田硫黄は本当におもしろい。ひとコマひとコマ追っていくのがとにかくたのしくて、ときどきページから顔を上げては、くはーっ、俺いままじで幸せだわー、とかため息ついたり(←きもい…)、たぶんずっとにやにやしながら読んでいたとおもう。今作もいままでと同様、どのコマも最高にクールなのだけれど、ヒトラーがパチンコで勝ちまくっている絵とかには、おもわずあうってなった。かっこよすぎる。

9月にはまた短編集も出るそうだし、ああーもうたのしみ!


『夕凪の街 桜の国』/こうの史代

夕凪の街桜の国 (Action comics)

いまさら俺が言うようなことではないのかもしれないけど、これはむちゃくちゃすばらしい作品だ。そして、きわめて重要な作品でもある。ほんと、もっと早くに読んでおけばよかった。この漫画は、いま、広島についてどのように語ることができるのか、という問いへの、ひとつのたしかな回答を提示してくれているようにおもう。

人が誰かに何かを語ろうとするときには、それが一体どのくらいの精度で伝えられるのか、そもそも誰かに自分の経験をわかってもらうなんてことが可能なのか、っていう問題が常に浮かび上がってくる。そして、その問題は、原爆被害という、いまの日本でふつうに生活しているかぎり、なかなか想像するのが困難な状況について語る際には、さらにおおきなものになってくるだろう。被爆という、個人のオリジナルな経験は、きっと他者に完全に伝えることなんてできない。でも、その経験の真正さを頑なに保持しようとするだけではなく、他者にできるかぎり伝えようとコミュニケーションしていく、という選択はやっぱりあって、そのために人はいろんな語りの方法を生み出す。そんな意味での、この作品のとる、「語りの迂回」ともいうべき方法には、はっとした。目が開かれたようなおもいがした。

作者は被爆者でないし、この漫画で描かれるのも、原爆直後の広島というわけではない。そういうことも含めて、原爆を直接知らない世代に対して効力のある、非常に現代的な語りの方法だとおもった。あー、こうやって原爆についての語りも進化っていうか、いろいろなかたちをとったものになっていくんだなあ、って。広島について語るということは、必ずしも、“あの日”に起きたこと、そこから生き延びたことを語るということだけに限るものではない。生き残ったことの意味を求めずにはいられない、ということや、それ以降に広島という街に、そして人々に起こった変化について語ることも、広島について語ることだ。

とにかく、まだ読んでない人がいたら、読んでみるといいとおもう。800円で手にはいるし、原爆の話っていっても、グロくないから。『はだしのゲン』とかとはぜんぜん違った語りの方法だ。お涙頂戴的なニュアンスもない。この作品の読後感をひとことで説明するのはとてもむずかしいけれど、いやなきもちでないことは確かだし、未来にむかうポジティブ感のようなものが、たしかにある。経験の伝達不可能性を十分に認識したうえで、それでもなお語る、って行為の根底には、やっぱり他者への信頼というものがあるし、たとえ満足に伝わることがなかったとしても、その信頼するちからのなかには、決して捨ておけないものがあるんじゃないか、なんてことをつよく感じさせられる。


『ナチュン』/都留泰作

ナチュン(1) (アフタヌーンKC) ナチュン(2) (アフタヌーンKC)

都留泰作のマンガ、『ナチュン』の1,2巻を読んだ。おもしろいなーこれ!沖縄を舞台に、ファンタジー系のモチーフ、とくに、SF的なガジェットがいろいろと出てくる。でも、それらは物語世界のなかにさりげなく溶け込んでいて、じっさい主に描かれているのは、漁とか、島の人びとの日常の生活。そこでの人間のあり方の感じなんかに、ふしぎなリアリティがあって、おもしろい。ただ、これって何の話なの?って聞かれても、SF×沖縄とか、たしかにその程度のことしか説明できなさそうだ。ほんと、何の話なんだろうー。

世界征服を(いちおう)企む青年の視点を中心に描かれているんだけど、彼以外の人々のかんがえていることが、なにしろ全然わからない。たとえば、マンガだから登場人物の顔はだいたいいつも見えているわけなんだけど、なんというか、その顔だけを見ていても、ちょっとそれだけでは「読めない」ような、絶妙な表情をしている。この、まったく他人同士のやりとりって感じがおもしろい、っておもった。彼らのきもちは通っているんだかいないんだか、いまいちわからないし、SF的設定や、南国ならではの土着の風習だとかもあいまって、自分のいるこの世界なんて何ともわからないことだらけだ、っていう感覚がいい。全体像なんてまったく見えてこない(いまのところは)し、何より他人が他人として生きている感じがあり、そこに妙にリアルさを感じてしまう瞬間があって、なんか、あんまり味わったことのないおもしろさがあるような気がした。

全体像がなかなか見えてこない、ということはつまり、どういう作品なのかまだよくわからないので、先の展開はほんとに予想がつかない。2巻からは物語が動き出した感があって、この辺からどんどんハードSFみたいな展開になっていっても、それはそれでおもしろそう。


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