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『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』/戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎(その2)

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』/戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎

前回のエントリでは、日本軍の失敗の要因というやつをノートにまとめてみた。ただ、各要因は相互に連関し合っているため、どれかひとつだけをピックアップして解決策を検討する、というようなことは難しい。では、なぜ日本軍はその戦略と組織構造において、このような特性を持つに至ったのだろうか?そしてまた、なぜ、これらの特性から脱却することができなかったのか??

このことについて、著者らは興味深い見解を示している。

まことに逆説的ではあるが、「日本軍は環境に適応しすぎて失敗した」といえるのではないか。
進化論では、次のようなことが指摘されている。恐竜がなぜ絶滅したかの説明の一つに、恐竜は中生代のマツ、スギ、ソテツなどの裸子植物を食べるために機能的にも形態的にも徹底的に適応したが、適応しすぎて特殊化し、ちょっとした気候、水陸の分布、食物の変化に再適応できなかった、というのがある。つまり、「適応は適応能力を締め出す(adaptation precludes adaptability)」とするのである。
日本軍にも、同じようなことが起こったのではないか。(p.349)

「環境に適応しすぎ」た結果は、陸軍における銃剣突撃主義、海軍における艦隊決戦主義、大艦巨砲主義などに如実に表れている、と著者らは言う。これらは、日露戦争における成功の記憶からその雛形が形作られ、陸/海軍学校における教育システムや軍内での評価システムによってその志向が繰り返し強化されることで、終戦まで大きな変更が加えられることのないまま、日本軍における支配的なパラダイムであり続けたのだという。

日露戦争というのは、日本という国家が国際社会のメジャープレイヤーとしての資格を得るきっかけとなった出来事であり、当時の日本にとっては「ほとんど完璧な成功体験」とも言うべきものだった。このときに活躍した乃木希典や東郷平八郎という「英雄」をロールモデルとし、彼らの戦略原型を忠実に継承、強化し続けていくことで、このパラダイムは組織文化として根付き、組織全体の行動・思考様式として、徹底して高められていたのだった。まあ、戦略原型に固執し、その再現と洗練に熱を上げすぎたあまり、日本軍はあまりにも特殊化し、最新の環境に適応するための方策を見失ってしまった…ということだ。このような環境の下で、戦車の改良や海上交通の保護、航空機の防御といった、戦争の相手国が重要視していた要素がことごとく軽視され、見逃されてしまったわけだ。

帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう。帝国陸軍は、ガダルカナル戦以降火力重視の必要性を認めながらも、最終的には銃剣突撃主義による白兵戦術から脱却できなかったし、帝国海軍もミッドウェーの敗戦以降空母の増強を図ったが、大艦巨砲主義を具現化した「大和」、「武蔵」の四六センチ砲の威力が必ず発揮されるときが来ると、最後まで信じていたのである。(p.369,370)

また、そもそも、陸軍と海軍は、それぞれ別々の国家を仮想敵国としていたのだという(陸軍はソ連、海軍は米国)。だから、それぞれの戦略/戦術の基盤というのは、北満の原野での白兵戦あるいは南洋諸島での海戦を想定して、まったくばらばらに策定されていたわけだけれど、大本営は陸海軍間に発生したコンフリクトを解消するような役割を担えるほど、強力な統合機能を持っておらず、最後までこのパラダイムの差を調整することができなかった。陸・海・空を有機的に統合した新しい組織を作り上げていた米国との決定的な差がここにある、と著者らは強調している。

ともあれ、ざっくりとまとめてしまうと、日本軍は環境に応じて自らの目標や構造を主体的に変えていくことのできる、自己革新性を欠いていたがために失敗した、ということになる。日本軍は、当時の米軍に見られたような、「エリートの柔軟な思考を確保できる人事教育システム」、「すぐれた者が思い切ったことのできる分権的システム」、「強力な統合システム」のいずれもを欠いていた。ヨーロッパから輸入した近代的官僚制組織に日本的な集団主義(情緒的、人的結合)を組み合わせた結果、不確実で変化の大きい環境で組織を機能させるためのダイナミズムを失ってしまったというわけだ。

このような日本軍の特質というのは、戦後の社会にも継承されているものなのではないだろうか、と著者らは述べている。現在の国際社会における日本という国家のふるまいも、「自らの依って立つ概念についての字画が希薄だからこそ、いま行っていることが何なのかということの意味がわからないままに、パターン化された「模範解答」の繰り返しに終始」し、それゆえ、「戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識できず、責任の所在が不明なままに、フィードバックと反省による知の積み上げができない」状態、すなわち、「本質的議論を避け、まさに主体的に独自の戦略概念を形成することができない」状態を顕わにしているものだと言えるのではないか、ということだ。

この意見には、なかなか反駁できないだろう。敵勢力の過小評価、コンティンジェンシー・プランの必要性の否認、精神論や空気の読み合いによって責任の所在が不明確なまま作戦が実行される…これらのことから、たとえば、現在の原発行政のことなんかをおもい起こさないでいるのは難しいのではないか、と俺もおもう。


『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』/戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎(その1)

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』/戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎

大東亜戦争における諸作戦――ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦――の失敗を、「組織としての日本軍」の失敗として改めて考察し、それらを反面教師とすることで、現代のさまざまな公的/私的組織のために役立てていこう…というのが本書の主な主張である。近代国家における軍隊というのは、合理的で階層的な官僚制組織の最たるものであるわけだけれど、にも関わらず、大東亜戦争における日本軍は、諸作戦においてしばしばその非合理性/非効率性を露わにしていた。なぜ、そのような誤ちや失敗が発生するに至ったのか?また、そういった失敗の原因として求められるであろう日本軍の組織的特性、組織的欠陥とはいったいどのようなものであったのか??これらの疑問に答えるべく、著者らは失敗した作戦の分析を行い、そこから読み取ることのできる日本軍組織の内在的論理を明らかにしていこうとする。

そういうわけで、本書のなかでは、各作戦の失敗の原因というやつがそれはもう事細かに記されているわけだけれど、ここでは各作戦に共通していたとされる性質について、メモを取っておくことにする。

  • 短期決戦志向
  • 日本軍は、長期的な戦争戦略、グランド・ストラテジーを確立することのないまま開戦に踏み切っていたため、必然的に短期志向の戦略展開を続けていくことになってしまった。著者らは、日本軍の長期的な展望というのは、「ある程度の人的、物的損害を与え南方資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国の戦意喪失、その結果としての講話がなされようという漠然たるもの」であった、などと述べている。まあ、そもそも、そのようなあいまいな展望しか描けないほど無謀な戦争だった、ということであるのかもしれない。

  • 防御、情報、諜報に対する関心の低さ
  • 短期決戦志向は、海軍における艦隊決戦志向、陸軍における兵力の逐次投入といった戦略展開に如実に反映されていたけれど、それに加えて、補給や兵站の軽視や兵器(空母や戦闘機など)の防御が軽視されたり、諜報/情報担当者の役割が蔑ろにされたり、偵察・索敵が不十分なまま戦闘に突入していたり、などといったところにまで根を伸ばしていた。たとえ必要な場合であっても、長期持久戦はどういうわけか回避され、急進論者による総攻撃が声高に主張される…という状況が各所で発生していた。

  • 戦略策定における、精神論や人情論の過度の重用
  • また、合理性や効率性ではなく、情緒や空気によって戦略が策定されてしまう傾向があった。本書で何度も例が挙げられているけれど、「必勝の信念」だとか、「誰々たっての希望」だとか、「全般の空気」などといったものが、軍議における理性的な判断を弾き飛ばし、コンティンジェンシー・プランをまったく持たないまま、実際のところ誰もが成功不可能だと感じるような、きわめて主観的で楽観的、実現可能性の低い作戦の実施に踏み切っていってしまった、ということだ。そしてまた、組織のなかで論理的な議論を行う制度や風土が醸成されていなかったために、それらの作戦は途中で変更/中断されることのないまま、決定的な失敗の局面まで突き進んでいくことになってしまった。

  • 戦略オプションの幅の狭さ
  • 上記のような特性は、戦略の幅を狭め、結果として、視野の狭窄、創造力の貧困化、思考の硬直化を招いていったものとかんがえられる。長期的な展望を持たないがために、補給を軽視するがために、諜報活動を軽視するがために、コンティンジェンシー・プランを持たないがために、戦略からは柔軟性が失われていき、とにかく訓練によって個々の技術を高め、後は「必勝の信念」でがんばるしかない、ということになってしまう。結果、作戦は当初の想定から離れていくにつれ、場当たり的なものになっていってしまうわけだ。

  • 官僚制的組織構造の不徹底
  • 明確な官僚制的組織構造がありながらも、そのメンバー間には強固な情緒的結合があり、また、個人の下克上的な突出を許容するような風土が同時に存在していた。階層的な意思決定のシステムが満足に機能せず、根回しや微妙な表現の意を汲むなどといったコミュニケーションが行われ続けていた。これによって、作戦の展開/終結時にトップによるリーダーシップがじゅうぶんに発揮されなかったり、意思決定が致命的に遅滞したり、といった事態が招かれることになった。この点について、著者らは、こんな風に述べている。

    日本軍の組織構成上の特性は、「集団主義」と呼ぶことができるであろう。ここでいう「集団主義」とは、個人の存在を認めず、集団への奉仕と没入とを最高の価値基準とするという意味ではない。個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという「日本的集団主義」に立脚していると考えられるのである。そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の「間柄」に対する配慮である。(p.315)

  • 組織としての学習の軽視
  • 敵勢力、敵兵器の分析が十分になされないまま、精神主義によって自己の戦力を過大評価し、既に失敗した作戦をなかば教条的に繰り返して敗北する…という学習能力の欠如が見られた。また、日本軍のなかでは「自由闊達な議論が許容されることがなかった」ため、組織全体での情報共有能力が弱く、敗北あるいは勝利の要因の抽出が不十分で、戦略/戦術を理論化したりアップデートしたりする機会をたびたび逃してしまっていた。「レイテ海戦に至ってもなお、艦隊決戦思想からの脱却がなされていな」かったし、「沖縄でも、中央部の発想は本土前線における決戦、そして機動反撃という戦略・戦術を一歩も出ていな」かったのだった。たとえば、こんなエピソードには、なかなかインパクトがある。

    ミッドウェー島攻略の図上演習を行った際に、「赤城」に命中弾九発という結果が出たが、連合艦隊参謀長宇垣少将は、「ただ今の命中弾は三分の一、三発とする」と宣言し、本来なら当然撃沈とすべきところを小破にしてしまった。しかし、「加賀」は、数次の攻撃を受けて、どうしても沈没と判定せざるをえなかった。そこでやむなく沈没と決まったのだが、ミッドウェー作戦に続く第二期のフィジー、サモア作戦の図上演習には沈んだはずの「加賀」が再び参加していた。
    ここでの宇垣参謀長の措置は、図演参加者の士気の低下を恐れたためといわれる。つまり、日米の機動艦隊決戦という戦争の重大局面を前にして、甚大な被害あるいは敗北を予想させるような図演の結果は、参謀や前線指揮官の間の自信喪失につながることを懸念したのである。(p.328,329)

    え、じゃあ「図演」、何のためにやったの?って感じだけれど、「集団主義」重視の姿勢がここでも顕わになっているというわけだ。

    また、越権行為や専断命令を行い、結果として作戦計画が失敗、重大な被害を軍に及ぼした作戦や統帥の責任者が、しばしばその責任を問われないまま中枢に居続けている、ということがあった。積極論者の過失は大目に見られ、自重論者は卑怯者扱いされる…というような風土があったとも言われる。こうした個人評価制度の不徹底や、個人責任の不明確さが組織の環境適応のための学習を妨げ、情緒主義の拡大、声の大きな個人の突出を許していってしまった、というわけだ。うーん、こんな組織じゃうまく機能するわけないよね、ってなんだか暗澹たる気持ちになってしまう。


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