タグ ‘ 日記

夏休み日記 09(その1)

8.25

学生でなくなったって、夏休みが欲しい!ってことで、あしたから特別休暇を3日間とって、今年も軽く一人旅をすることにした。いちおうの目的地はきのう決めたのだけど、瀬戸内海の直島。安藤忠雄の設計した美術館とかで結構有名な、でもきっと超田舎な感じに違いない島だ。直島に行こうって決めるまでは、去年行った鳥取砂丘のことが忘れられなくて、砂丘よかったよなー、また行っちゃおうかなー、とかかんがえたりもしていたのだけど、さすがにそれはやめておいた。鳥取はちょっと遠いし。土日合わせて5日間だけの休暇だけど、もうすぐ旅のはじまりだとおもうと、まだ会社にいるくせに頭が勝手にお楽しみ路線に入っていってしまい、わくわくが止まらなくて困る。いつもこんな気分で仕事できたらいいのに、なんて無理なことをかんがえてしまう。

ふだんならぜったいにあり得ない、みなぎるやる気と素晴らしい効率とで仕事を片付け、ダッシュで帰宅。シャワーを浴びて歯を磨いて、30分で支度をした。Tシャツを4枚、下着、手帳、本、煙草、剃刀、バファリン、ワックス、歯ブラシ、時刻表(当然でっかいやつ)、iPod、充電器、タオル(あわてるな!)。こいつらをメッセンジャーバッグに詰め込んで、太いジーンズに着なれたTシャツ、ビルケンのサンダルって近所をぷらっと散歩するようなリラクシンな格好で出発する。身軽なのがいちばんだ。

中野駅で18きっぷを買い、でもそれは使わないで新宿へ。今回は5日間も電車に乗らないからちょっともったいないことになるのだけど、18きっぷが手元にあるときの、どこに行ってもいいしどこにだって行ける、って自由の感覚がたまらない、とおもうからやっぱり買わないわけにはいかない。

夜の新宿をふらふらして時間をつぶし、11時頃夜行バスに乗り込んだ。暗いバスの車内では何ができるってわけでもないのだけど、なんとなくわくわくしてしまう。昔から、夜行○○に乗るときには決まってそうなのだ。ほんとガキみたいだなーとおもってちょっと呆れた気分になり、でもまあ夏休みだしね、いいよね、ともおもう。だって、さっきまで仕事してたのに、あしたの朝にはもう大阪にいるんだよ。それであしたの昼にはもう直島に。これってちょっとしたワープみたいじゃんね!


キープ・ザ・コズミック・トリガー・ハッピー

うーん、やっぱりいまって夏なんだな!って、あたりまえのことをようやく実感しつつある。それは朝のバス停で蝉の鳴き声を聞いたから、照りつける昼の日差しのなかでじっとりとした空気を吸い込んだから、夕方にどしゃぶりの雨に降られたから、日曜にサマソニに行くから、あるいは特別休暇の承認が下りたからかもしれない。まあどれが原因ってことでもよくて、そんなことよりいまはそういう全部がうれしくてしょうがない。何をしていても悪い夢のなかにいるみたい、っていうひどい落ち込み状態からようやく回復してきたわけだけど、今度は逆に、自分でもどうかしてるんじゃないかとおもうくらい異様にポジティブな気分が持続しているのだ。

何が変わったっていうわけじゃない。会社は相変わらずクソみたいだし、とくにたのしいイベントがあるってわけでもなくて、ひたすらタスクをこなしていくだけ、勉強して仕事して、くたくたになって帰り、夢も見ないで眠る、っていうそれだけの毎日だ。でもとにかく気持ちだけは不気味なくらいに前向きになっていて、何もないくせにわくわくしているような感覚だけがある。恐れることなんてひとつもないし、何キロだって走れる、どうだって生きていける、っていうようなふしぎな解放感だけがある。まったく、いったい何なんだろうこれは?…というか、つい今月の頭まではあんなに毎日がいやでいやでしょうがなかったくせに、人って簡単に変わるのな、なんてちょっとおもったりもしてしまう。でもそれは、単に変わるときには一瞬で変わるものだ、変化っていうのは一瞬で起こるものだ、っていうようなことなのかもしれない。よくわからない。

まあとにかく、意味があろうとなかろうと、火があろうとなかろうと、俺は自分の生活を生きてやるべきことをやりたいし、そうすべきだと素直におもう。平穏や安心は自分で掴み取らなきゃならないし、たのしみだって自分で見つけていく他ない。そんなあたりまえの、かんがえとも言えないような漠然とした感覚が、いまはすごくしっくりくる。だってなにしろ夏だ。うんざりするような日差しを浴びて、嫌になるくらい汗をかいて、耳が痛くなる爆音で音楽を聴いて、会いたい人に会って、気持ち悪くなるまでビールを飲んで、ってそういう季節だ。

へこみっぷりが半端ないここ最近の日記をちらっと読み返してみると、自分の弱さや嫌らしさが恥ずかしくてどうにかなりそうにもなるけど、まあとにかく、感傷にひたってばっかりの辛気臭いのはこれでおしまいにする。たいせつなことはキープザコズミックトリガーハッピー、それに尽きるんじゃん、っておもって2年前に日記のタイトルにつけたのを、ようやくおもい出したみたいな気分だ。


火を失うとはこういうこと

きょうは8月から大阪行きが決定した人たちのためのいってらっしゃい会、ってことで、月曜だというのにずいぶんと飲んでしまった。同期のみんなと話していて、やっぱりここに長くいるわけにはいかない、がんばって脱出しようぜ、と決意を新たにしたのだったけど、今回はそれとはあまり関係のないことを書いてみようとおもう。頭はふわふわとしていて、どこかまどろむような心地よさを感じながら俺はキーボードを叩いている。

 *

日曜の昼、12時過ぎくらいに家を出ると、すっかり夏になった空気があった。じっとりと暑く、強い日差しがアスファルトを白っぽく光らせていた。川沿いの道を歩き、近くのバス停に向かっていく。背中や脇の下から汗が染み出してくるけれど、風がずいぶんと強いからすぐに乾いてしまう。ざわざわと揺れる街路樹の葉の緑色は濃い夏色になっていて、見上げると木漏れ日がきらきらと細やかにゆらめいていた。雲ひとつない空は吸い込まれそうに透明な青さで、あー、もしいまが数か月前だったらな、とおもった。こんな景色が目の前に広がっていたら、おもわず走り出したくなるような、あるいはすうっと深呼吸したくなるような、そんな軽やかな気持ちになっていただろうな、とおもった。

ここのところ、本を読んでも映画を見ても、誰かと話していても音楽に触れていても、心からたのしむ、ってことができないでいる。心が動くことがないわけじゃない。ただ、気持の中心の辺りには常に丸く大きな空白があって、どんなものであってもそこに吸い込まれて消えていってしまうような感じなのだ。心にぽっかり大きな穴が、なんて小学生が作文に使いそうな常套句だけど、あれって本当だったんだな、なんておもったりする。心には本当に穴が空くのだ。そこに何かすごく大切なものがあった、ってことはわかる。でも、いまそこにあるのはひたすらな喪失感だけで、その不在の感覚が他のあらゆるものを圧倒しているってこと、それ以外には何もわからない。いや、わからないのではなくて、穴のなかを覗いたときに自分がそこに落ちて行ってしまいそうで恐い、恐いからその感覚を直視できない、ってことなのかもしれない。なんだかそれはいままで経験したことのないような、ちょっとふしぎな感覚だ。

 **

4月のある日以来、繰り返し同じ夢を見る。夢のなかで、俺はある友人のアパートの部屋の前にいる。アパートの廊下からは、きれいに晴れた空と、花が散りきってすっかり葉桜になった並木道が見える。チャイムを押す。返事がない。物音もしない。もう一度チャイムを押し、耳をこらして待つ。廊下の手すりの上で何かをついばんでいるすずめのささやかな鳴き声以外には何も聞こえない。ドアノブに手をかける。鍵がかかっていない。ドアを開けて中に入る。靴ひもを解いて靴を脱いで上がり、そこで俺は異変に気づく。いや、異変というより、あれ、何かがおかしいな、っていうくらいのちょっとした違和感だ。その違和感に包まれたまま、俺は動きが止まってしまう。それは一瞬だけのこともあるし、完全に思考が停止して、きいん…と耳鳴りの音が聞こえてくるまでの長い時間、呆けたように静止していることもある。そうしてその違和感の原因を理解する。1Kの部屋のキッチンの先にあるドアのノブに紐のようなものがかかっており、そこに友人がいるのだ。俺は早く助けなきゃ、とおもう。そして早く駆け寄っていけば彼を助けられることをしっている。でも身体は1ミリも動かない。そしてそうおもうのと同時に頭のなかではもうわかっている、いまここで助けられたとしても、最終的に彼を助けることはできないんだ、ってことが。そんなのいまはいいだろとにかく、って頭のなかでのせめぎ合いを無理やり終わらせて足を踏み出すところで、ひざががくっとなる感覚があって目が覚める。汗でシーツがぐっしょりと湿っている。

何度も繰り返し同じ光景を夢のなかで再生しているわけで、もうそこに恐怖を感じることはない。夢のなかでは俺は彼がこの後どうなるのかをしっている。今回は大丈夫だとしっているし、次回も大丈夫だとしっている。だがその次はアウトだということもしっていて、だからこの光景を前にしても恐怖や焦りよりは諦めのような感情が始めに来てしまうような気がする。

その光景があって、俺は見ていないその次があって、さらにその次があってもう先が無くなってしまってから1か月以上が経った。時間はどんな問題でもやがては押し流してくれるだろう、みたいなことを以前日記に書いた気がするしそのときはたしかにそんな風に感じていたのだけど、やっぱりその”やがて”に達するまでの時間はひたすらに長く、重い。しかしそれと同時に、時間はあまりにも平然と流れ続け、季節を変えていく。きょうの日差しも空の青さもまるで現実感がない、いつの間にこんな太陽の高さになっていたんだろう、なんて俺は自分勝手におもったりするし、そんな風に勝手に流れていく時間のことが、はっきり言って憎い。

 ***

ねえ、俺たちがやるべきことって何なのかな?ちゃんと火を運ぶことなんてできるのかな?自分自身を愛するなんてこと、いつかできるようになるのかな?それともお前が判断したみたいに、そんなことを求めたり探したりするのは間違いだってことなのかな?聞きたいことはそれこそいくらでもあるし、言いたいことだってやっぱりたくさんある。それがもう届くことはないっていう事実を、俺は本当のところはまだよくわかっていないような気がする。

本当にかけがえのない大切なものをなくしたとき、人はそれを名前で呼ぶことができない、とジョン・アーヴィングが言っていたのをおもい出す。その通りだとおもう。そんなことは、できることなら実感したくはなかったのだけれど。本当にかけがえのないものを失う話、そんな話をいったい誰にすればいいのだろう。誰が聞きたいとおもうだろう。


エヴリタイム・ウィ・セイ・グッバイ

日曜日。8時半頃に目が覚めた。最近おかしな夢ばかり見ているせいか、夜のあいだにかく汗の量が尋常じゃないのだけど、きょうも寝巻用のTシャツはぐしょぐしょになっていた。もぞもぞとベッドから這い上がり、シャワーを浴びて嫌な汗を流す。曇ってはいるけど、暑い朝だ。てろてろとしたTシャツと太いジーンズ、って完全に夏の格好に着替える。

ひさびさに朝食を作ろうか、とおもい、牛乳と卵が余っていたのでホットケーキを焼く。バターとはちみつでそれを食しつつ、小さなベランダから外を眺めた。道路の向こう側で、白いシャツにエプロン姿のおばちゃんが家の周りを掃いたり花に水をやったりしている。目が合うかな、とおもったけど合わなかった。

あっ、そうだ、とおもい立ち、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる。古いインスタントで大しておいしいわけでもないのだけど、食後のコーヒー+ハイライト=癒し、って俺のなかでは決まっており、そしてこのところ癒しが欲しくて仕方がないのだ。じっとりと暑いけれど、まだ夏ってほどじゃないな、とおもう。空は全面的になんだか白っぽくて、うきうきするような空の色だとは言えない。iPodを繋いだスピーカーからはジョー・ヘンリーの歌が流れていて、彼は世界の親切さを信じることについて、やたらに渋い声で歌っていた。それがこの微妙な曇り具合にしっくりくるようで、なんだかちょっと穏やかな気分になってしまう。ふー、うまいね、ハイライトは…。

 *

6月の1週目は、肉体的にも精神的にも、それはもうほとんどあらゆる意味においてハードさの極みを味わった週だった。泣き面に蜂、とは言うけど、五右衛門風呂に入れられているときにそれが起こったような、おまけに周囲の人々はみんなすぐ横でぬくぬくと温泉につかりながらこっちの傷口に次々と塩を塗りこんでくるような、なんていうか、そんな気持ちの悪い自己憐憫やら被害妄想やらがマックスに高まった期間だった。長引き過ぎの風邪は2週間目に突入し、彼女とは別れ、小学校来の友人は相変わらず自殺するとかしないとかを繰り返し、会社では…ってこれ以上書いているとまた気が滅入ってきそうなのでもう止めにするけれど、とにかくこの週は最悪の極みだった。Deerhunterのライブがほぼ唯一のうるおいだったけど、他にはもうほとんど無感動の無反応、思考停止状態に陥っており、全く情けないな自分は…とはおもいつつも、その実、心の奥底では、なんでこんなことばっかり起こるんだろう…って、うじうじとした気分でばかりいたのだった。

けれど、時間の流れというのは往々にしてどんな問題でもずずずと押し流していってしまうものであって、最悪のピークから10日以上経ったいまでは気持ちは(そこそこ)落ち着いてきているし、まだまだ流れていく気配のない問題たちについても、なんとか自分の力で対処していけそうな気はしてきている。風邪も治った。4月からいままでの間だけで、それはずいぶんといろいろなものを、おそらくは連鎖的に失ったようにおもえるけれど、まあいまは鍛錬の時期だとおもってがんばるしかないんだろうな、とおもう。っていうかまあ、俺はまだまだ器が小さいんだから仕方ない、ってことだ。この寂しく切なくもじつに香ばしい(としか言いようがない!)心境からそう簡単に抜け出せそうにはないけれど、いまはこの状態の自分をそのまま見つめて、じっくり対峙していく他ないな、とおもう。

 *

きょうは一日じゅう家にいて、Javaの勉強をしたり本を読んだり、上に書いたみたいな情けなくしょうもないことをぼんやりかんがえたりしていた。あと、この家の居心地があまりにも悪過ぎるので、ちょっと模様替え的なことをした方がいいかもな、とかおもったり。そうそう、朝から空を覆っていた雲は、夕方になると急に強い雨を降らせてきて、家の目の前を流れる川はその水量を主張するようにどうどうと荒っぽい音を立てることになった。もう梅雨だ。

Kindness of the World


アイ・マイト・ビー・ロング

5.26

火曜日。朝目覚めると身体の節々が異常に痛い。やばっ、とおもって起き上がると頭も痛い。どうやら完全に風邪だ。運悪く薬がなにもないので、ふらふらしつつも気合で家を出る。

きょうの研修はゆるゆるだったから助かったのだけど、ちゃんと栄養をとらないとやばい…とおもい、夕飯ではキムチを食べまくった。

5.27

水曜日。風邪薬も飲んだので、なかなかすっきりした気分で一日を過ごす。帰り道、キオスクに置いてあるスポーツ新聞の見出しで、中島梓/栗本薫が亡くなったことを知った。かなりショック。『グイン・サーガ』は中学の頃に熱心に読んでいたのだけど、これさえ読んでたらもうそこらのエンタテインメント小説なんて必要ないよなー、なんてかんがえていたのをおもい出した。いつか完結したら、老後のたのしみに全巻読みなおそうとおもってたのに…。ほんとにショックだ…56歳なんて、若すぎるよ…。心から冥福を祈りたい。

5.28

木曜日。あれ、なんだかまた風邪がぶり返してきていて、だるい。でもきょうの研修はかなりゆるかったので助かった。

昼休み、村上春樹の新作を手に入れようと本屋に走るも、上巻だけ売り切れており、買えず。うう…と悲しみを引きずりつつ、午後の会議に臨んだ。

そうして帰りにようやく『1Q84』上巻を入手、わーい!ってよろこびつつ帰宅するも、体調がまたまた悪化し、ダウン。読めず。

5.29

金曜日。本格的に体調が悪い。昼休みにしっかり睡眠をとったりして、なんとか乗り切れた。飲みの予定はキャンセルする。

夜、ベッドのなかで『中原昌也作業日誌』を読んでいて、「とにかくCDとレコードをわけがわからないほど買いまくって、それを家で聴いていないと、まともに生きていられないとしみじみ実感。最悪なライフスタイルなのはわかってる。(p.148)」という文章になぜか激しく共感。

5.30

土曜日。午前中、友達と楽器の練習。まだ合わせは2回目だけど、結構かたちになるもんだねーと話す。充実した週末の朝、って感じでよい。

が、そんな無理をしたせいか、昼あたりから体調が最悪に。熱のど鼻にルルが全く効かないのはもちろん、頭痛の激しさなどもはや未体験ゾーンに達しており、こ、これは本気で死ぬんじゃないか…とか、ひとりノーフューチャー感を満喫。

せっかくの休みをまたしても寝て過ごしてしまって悲しい。あしたまでには絶対に治す!と心に誓う。

5.31

日曜日。朝の5時頃目が覚めると、熱は下がっていたものの、頭と喉がまだまだ痛い。おいおい、いい加減頼むわー、と自分に毒づきつつ、寝たり起きたりを繰り返して午前中を過ごす。

あしたはちょっとした記念日なので、気合いをふりしぼり、午後はそれ用の買い物に行くつもり。


Calendar

2015年10月
« 7月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

Archive