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『母は娘の人生を支配する――なぜ「母殺し」は難しいのか』/斎藤環

母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)

なかなか強烈なタイトルの本だけど、興味深く読めた。母‐娘という関係性のなかで生じる支配‐被支配の問題、女性独特の身体感覚や母性といった要素を中心に、「母殺しの不可能性」がどうように成立しているのか、を解き明かしていこうとする母娘論。論の展開はていねいで、とても読みやすいし、なにより男には感覚的にわかりにくいことが考察されているわけだから、読んでいて何度もはっとさせられた。

「母殺しの不可能性」を形作っている要素のひとつとして挙げられているのが、共感と思いやりによる支配、という問題だ。一般に、父息子関係において生じるのは単純な対立関係や権力関係だけれど(だからこそ、通過儀礼的な「父殺し」が成立する)、母娘の関係はもっと複雑でややこしいものになっており、

母は娘に対して「あなたのためを思って」という大義名分を掲げながら、実際には自分の願望と理想を押しつけようとします。娘は母親の欲望を先取りするかのように、表面上は反発しつつも、そうした支配に逆らうことができなくなります。この構図は、自覚される場合もされない場合もあるようです。(p.50)

というような、まさに共感や理解によってお互いを拘束し合うような関係が生じうるのだという。

さらに、母娘関係においては、奉仕と支配、感謝と怨念とを曖昧化する作用がしばしば働きやすい、と斎藤は述べている。母娘関係について考察していく上で重要になってくるのは、「支配の意図がない支配」とは本当に支配と呼べるのか?共依存のような密着した関係についてはどうかんがえるべきなのか?といった問題だ。

論のなかでとくにうなずかされたのは、

母親の価値規範の影響は、父親のそれに比べると、ずっと直接的なものです。母親は娘にさまざまな形で、「こうあってほしい」というイメージを押しつけます。娘はしばしば、驚くほど素直に、そのイメージを引き受けます。この点が重要です。価値観なら反発したり論理的に否定したりもできるのですが、イメージは否定できません。それに素直に従っても逆らっても、結局はイメージによる支配を受け入れてしまうことになる。母親による「女の子はかくあるべし」という、イメージによる押しつけの力は馬鹿にできないのです。(p.109)

というところ。たしかに、イメージっていうのは価値観や論理よりもずっと支配力が強いようにおもえる。それは、イメージというのが、言葉よりも先行して存在する、身体性のほうに直接影響力を与えることができるものだからではないか。

斎藤は、母娘関係の分析にあたって、少女まんがをはじめとするさまざまな物語に言及していく。それは、そこで「母殺し」というテーマが切実なものとして扱われてきたためだという。このあたりの論はかなりおもしろくて、取り扱われている作品をひとつひとつ読んでみたくもなったのだけど、そんななかで語られることのひとつが、母から娘への身体性の伝達こそが、母による娘の支配に結びついている、というかんがえだ。

女性は自分が女性の身体を持っていることだけを理由として連帯することができる。

母と娘は同じ女性の身体を持っている、という事実が、その関係を男性にとってよくわからないものにしているらしい。女性たちにおける身体性へのこだわり、それはやはり男性にとっては感覚的につかみにくく、どこかリアリティを欠いたものとしてしか捉えがたいものだ。女性の身体性が母娘関係の複雑さに密接に結びついているということであれば、母娘関係の問題に男が立ち入るのは相当困難なことに違いない。


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