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『ピエール・リヴィエール 殺人・狂気・エクリチュール』/ミシェル・フーコー

ピエール・リヴィエール---殺人・狂気・エクリチュール (河出文庫)

19世紀フランスの農園で、母・妹・弟を殺害した青年、ピエール・リヴィエールを巡る訴訟関連資料と、それらについての論考がまとめられた一冊。当時の資料から、狂気・司法・精神医学を巡る権力の作用を確認するべく、フーコーらは縦横に錯綜するさまざまな要素をひとつひとつ解きほぐすように、細密な分析を行っている。

収録された資料を読んでいくと、司法と精神医学とが共に、”リヴィエールは罪人なのか、それとも狂人なのか?”という問いについて頭を悩ませていることがわかってくる。貧しい農夫の子であったリヴィエールは通常の学校教育だってまともに完了していないし、おまけに彼の日常生活における態度や行為は極めて残虐で子供っぽく、近隣の人々は彼のことを”白痴”と見なしてすらいた。とはいえ、彼が逮捕後に書き記した手記の内容は極めて明晰であり、たしかな知性を感じさせるものである…。そのような犯罪者に対して、権力は、法は、医学は、どのように働きかければよいのか??

リヴィエール事件/症例は、いったいいかなる専門家によって対処されるべき問題なのか?フーコーたちは、このケースは、「その根深い両義性や曖昧さによって、既存の法的・制度的装置における欠陥を指摘し、また、まだ生まれて間もない精神医学という知の存在意義に揺さぶりをかけるもの」であったと語る。

で、そんな本書におさめられた各種資料や論考の中心に位置しているのが問題の当人、リヴィエールによる手記なのだけど、これは先に述べたように、何らかの真偽の証拠や明快な指標となるようなものではなく、むしろ、司法官と医師、その双方の抱える不確かさをより一層強めるものとして作用している。

実際、真偽の証拠を押さえたと思うやいなやその証拠が自ら反転するようなやり方ですべては語られている。次の一節を示すだけで十分だろう。「私は弓(アルバレートル)を持っているときに逮捕され、自分を狂人だと思わせるためにこれを作ったのだと言いましたが、その頃はまだあまりそんなつもりはありませんでした。」(p.474)

「自分を狂人だと思わせるためにこれを作ったのだと言いましたが、その頃はまだあまりそんなつもりはありませんでした」…狂人にこのような戦略的な発言が可能だろうか?いや、こんなことを言っている人間を、狂人と見なすことができるのだろうか??

フーコーたちによって、”驚嘆すべき記憶力”だとか、”美しいテキスト”だとか煽られまくっているこの手記だけど、まあとにかくその内容の細かいこと細かいこと。自分の父親のことをとても尊敬していたピエールは、金銭その他の問題で父を苦しめまくる放埓かつ傲慢な母親のことを憎み、最後には殺してしまうわけなんだけど、手記にあるのはいかに母が憎いか、父がかわいそうか、ってリヴィエールの心情なんかではなくて、母の非道なふるまい、むちゃくちゃな態度についてのむやみやたらと詳細な記録なのだ。たとえばこんなところ。

母と妹は戸口から様子をうかがい、父がすっかり落ち込んでいるのを見て大いに馬鹿にした様子でした。指物師は腰を下ろして飲んでいました。やがて彼は一丁歌うぞと言いました。手短に頼むよ、とフランソワ・セネカルは言いました。指物師は歌い出しました。その歌は、父を嘲りその悲しみを嘲笑う歌でした。最初の一節は、なんでも入ってこい、そして何も出て行くな、という歌詞で終わりました。次の一節はこうでした。リーズはいつも同じ戸口から入れっぱなしで力つき、九か月後には誰かを出さねばならなかったとさ。父はそのとき、さあ家に入ろう、歌うよりは泣きたい気分だ、と言いました。指物師も私たちと一緒に家に入りました。指物師は大工道具の話をむし返して言いました。俺はあんたの奥さんの小麦の刈り入れを手伝ってやったんだ、そうしたら奥さんから、ねえ指物師さん、この道具を持っていってちょうだいよ、いいんだからさ、と言われたんだ、と。するとフランソワ・セネカルが彼に、いいかげんいしてくれ、と言いました。それからなおしばらくしてから、指物師は帰りました。そこにいた何人かの女たちは、父と祖母とその苦労について話しました。二人がすっかりまいってしまっているのを見て、彼女たちは帰りがけに、この方たちはこの世で煉獄の苦しみにあっているのだわと言いました。(p.165,166)

こんな具合にちまちまとした記述がもう延々と続いていく。個人的には”美しいテキスト”とまではおもわなかったけれど、たしかに、この手記には、なんていうか得体のしれない迫力のようなものがあって、これ単体でもなかなかおもしろく読めてしまう。

とはいえ、本書において最も重要視されているのはやはり、ひとつの事件、ひとつの症例を巡っていくつもの言説が交差し合っていた、その様態そのものだと言えるだろう。

治安判事の、検察官の、重罪裁判所裁判長の、法務大臣の言説。田舎医師の言説とえすきロールの言説。集落の人々、町長、主任司祭の言説。最後に殺人者の言説。すべての人が同じことについて語っている、あるいは語っているかのように見える。いずれにしてもそれらすべての言説は六月三日の事件にかかわっている。しかし、それらすべての言説が互いの異質性において形作るのは、一つの作品でもないし一つのテクストでもない。そうではなくて、それらが形作るのは、一つの特異な闘争、一つの対決、一つの権力関係、言説のそして言説を通じた一つの闘いなのだ。そして一つの闘いと言うだけではまだ不十分である、実のところはいくつもの戦闘が同時に展開し、交錯したのである。(p.21-22)

果たして、「リヴィエールは狂人だったのか?」あるいは、「リヴィエールを狂人として扱うべきなのか?」本書のなかに、その答えはない。それは、権力と言説のせめぎ合いのなかでだけ生成され、それらの連関のなかで絶えず揺れ動いていくもの、いつだって反転する可能性を持ったものとして変化し続ける、曖昧さを内包した妥協点でしかないからだ。


『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』/保苅実

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これは大学の授業で紹介されて読んだのだけれど、ものすごくいい本だった!かなり興奮しながら読みました。オーラル・ヒストリーっていう歴史学の方法や記憶、語りの問題について書いてあるのだが、著者の保苅実さんの冷静さと情熱とをあわせもったオプティミズムにすっかりやられてしまった。オーラル・ヒストリー(oral history)っていうのは、歴史研究のために、その関係者からインタビューなどの形式で直接話を聞きとり、記録としてまとめること。この本では、そんなオーラル・ヒストリーという歴史の研究方法について、根本的な再考がなされている。保苅がこの本で何度もくりかえし問いかけているのは、歴史とは何であるか、歴史家とはいったい誰のことを指すのか、という問題だ。

いわゆるポストモダン状況においては、歴史とはそもそもナラティヴなものであり、多元的、複数的なものである、といったことがおおく論じられてきた。現在、文化相対主義はもはや当然の了解だといっていい。歴史とはつねに言説的なかたちでしかあらわれ得ないし、歴史叙述は記録者のバイアスを反映したものだ、という見解を否定するものはすくないだろう。

だが、じっさいにアボリジニのオーラル・ヒストリーについて、アカデミックな近代的知であるところの歴史学の文脈でそのまま引きうけることはほとんど不可能である。なぜなら、そこにはいわゆる歴史学にとっての「正しい歴史」には到底うけいれることのできない、「史実」にもとづかない歴史物語(「非論理的、非科学的、超自然的な」)が数おおく存在しているからだ。たとえば、アメリカのケネディ大統領がアボリジニの長老と直接会って、それをきっかけにアボリジニの土地返還要求がおこった。だとか、あるアボリジニの長老が大蛇に依頼して洪水をおこし、牧場を流してしまった。といったエピソードがある。

保苅は、そのような自らにとっての「危険な歴史」を排除しようとする、現代の歴史学の政治性、権力性を批判する。そして、「アボリジニの長老の話」というオーラル・ヒストリーを認めた上で、西洋近代に出自をもつ学術的歴史分析と、アボリジニの歴史実践とのあいだのコミュニケーションの可能性を考察し、両者が共有できる、歴史経験の真摯さ(experimental historical truthfulness)とはどのようなものとしてありうるのかを探求していく。

保苅は、記憶論や神話論の研究者たちのとる姿勢について、彼らは「アボリジニの人々は、ケネディ大統領がグリンジの長老に出会ったと信じている」「…とみなされている」「…とされている」と述べるだけであって、それは結局のところアボリジニの言説を「掬い上げて尊重する」という身振りにすぎない(p.26)、と批判している。彼らは、多元主義をうたい、異文化を尊重する姿勢を見せてはいるけれど、ほんとうは相手の歴史観をうけいれているわけではない。相手の歴史観を排除するわけではないものの、いわば包摂してしまうことで――ああ、あなたはそういうふうに信じているんですね、あなたにとってはそういうものなんですね、というように――自らの歴史観にとって、無害なものに変えてしまおうとする傾向がある。アボリジニの言説をある種のアナロジーや「神話」としてとらえることは、知識関係の不平等にもとづく権力作用の働きに他ならない。単に、マジョリティによって管理されるマイノリティ、という位置づけをおこなうことにすぎないのだ。

もちろん、保苅の主張はよくかんがえれば当然のものだ。人がアナロジーを用いるのは、イメージを豊かにしたり拡散させたりするためではなく、語りをある一定の目的に向かって絞りこむためだ。他者のなんらかの言説についてをアナロジーや、なにかを表象するものとしての神話としてとらえることは単なる一方的な解釈であって、双方向的な理解に結びつくものではない。

保苅は、西洋の歴史家による歴史、アボリジニの人々による歴史、そのさまざまな形態が共に存在する多元的歴史時空を想定する。そしてその内で双方向的なハイブリッド化による、「ギャップごしのコミュニケーション」というものの可能性について模索していく。この、いっけんユートピア的なオプティミズムが熱い。「人が過去を経験する歴史時空というのは、根源的に多元的なので、決して追体験したり理解できないような、決して埋まらないギャップが厳然としてある。(中略)ただ、ギャップはあるけれど、ギャップごしのコミュニケーションは可能なのではないか」(p.27)

ここでなされているのは、歴史の正当性がどのようなものとしてありうるのか、といった考察ではない。むしろ、どのようなコミュニケーションのかたちが可能なのか。いかに共存することができるのか。ということが問題になっている。

保苅はそのようなギャップごしのコミュニケーションとしての歴史学、を従来の参与観察やインタビューの形式にはよらずに、現地の人々とともに歴史実践をしていく、フィールドワーク形式(具体的には、アボリジニの人々と生活を共にし、長老のはなしを聞く)でのオーラル・ヒストリーによって実践する。そしてその結果、「もし私に十分な感受性があり、精霊を信じる環境に育ったなら、私は精霊たちをはっきりと見たことだろう。私が精霊をみたことがないという事実は、私が知覚しないひとつのリアリティに、精霊たちがいないことを意味しない。」(p.196)と明言するほどの地点にまで導かれていくことになる。

アボリジニの語る物語にたいして敬意をあらわしたり、評価したりするだけではなく、そこからさらに一歩踏み込んだ地点で、あらたな歴史のありかたを考察すること。そうすることで、近代の西洋知だけにもとづいた従来の思想や歴史学をぬけだすことができるのだろう。保刈は、西洋的知の内部からアボリジニの言説を分析するのではなく、アボリジニの人々との現地での歴史実践によって、双方向的なコミュニケーションの可能性を生みだした、といえそうである。

だが、他者とともに歴史実践をおこなうことでほんとうの意味で多元的な歴史理解が可能になるのだとすれば、もはや他者に語られることのないできごと、消された歴史といったものは、どのように多元的歴史空間に位置づけることができるのだろうか、という疑問はある。それはオーラル・ヒストリーという歴史研究の方法の限界についての疑問でもある。ただ、もちろん、所謂「歴史的真実」より、「歴史への真摯さ」についてかんがえる姿勢のほうが他者に対してひらかれている、というのはたしかなことだろう。


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