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『青色讃歌』/丹下健太(その3)

『青色讃歌』の主人公、高橋は就職活動をしている。だから会社に面接を受けにに行ったり履歴書を書いたりするところが小説には描かれているんだけど、どうせだったら証明写真を撮るシーンも書いて欲しかったなー、と読みながらかんがえていた。

高橋がどこかの写真館だかスタジオだかで証明写真を撮られているところって、かなりおもしろそうだなー、っておもって。想像しにくいけど。やっぱスピード写真かな、でもスピード写真を撮るときって、自分の顔を、自分の表情を真正面にじいっと見ながら撮るわけで、やっぱりそのときにぼさぼさの頭だったら(高橋は、面接の前日に風呂場で髪を切っている)ちょっと気になるよなー、いや、高橋はそんなの気にしないだろー、とか、なんかそんなことをかんがえたりした。

というのも、先月、近所の写真屋で自分の証明写真を撮ってもらったのだけど、まあーその表情のひどいこと!きっと微妙なとこだろうな、とは覚悟してはいたものの、想像以上のひどさ。顔はどう見てもこわばっているし、全体的にやる気なさげっていうか、ぜんぜん覇気が感じられない。って、まあ俺はふだんからわりとそんな感じだから、それがちゃんと正確に写し出されている、ってことなのかもしれないんだけど、でも会社に出す履歴書に貼る写真がそんなのじゃまずいじゃん!!

何千円か払って撮ってもらった写真より、駅のスピード写真で撮ったやつの方が数段さわやか、ってなんとも気が滅入る。正直、どっちを履歴書に貼るか迷うもん。でもかんがえてみれば俺は昔からそうで、椅子に座ってカメラマンに顔やら体やらの角度を直されたり、「はい、もっとにこやかにー。表情やわらかくしてー」みたいに言われたりしながら写真を撮られるのが本当に苦手だったし、きらいだった。直されれば直されるほど体は硬くなるし、言われるほどに表情はなくなっていく。まったく。でもこればっかりはどうしようもない。

いや、もう小説とぜんぜん関係なくなってるけど、きっと高橋も写真撮るときいろいろかんがえたはずだよなー、なんて、妄想しつつ読んでいた、って話。

青色讃歌


『青色讃歌』/丹下健太(その2)

前回、あっちとこっちの区分って感覚がうんぬん、みたいな話を書いたけれど、そういうのは、こんな会話によく表れている。

「そういえば、俺そっちに行くことになったから。仕事決まったんで」

自分から大西に対してそんなことを言ったことに高橋は驚いた。

「こっち?あそう。こっちね。こっちなんか来てもつまんねえよ。ろくなことねえし。そっちのままでいいんじゃねえの?」

「あんたこの前働けって言っただろうが」

「あ、俺そんなこと言った?そうかそんなこと言ったか」

大西は発泡酒の缶を口につけて、そのことを思い出しているようだった。そして口から缶を話すと飲み終わった缶を片手でつぶし、地面に置いた。

「たぶん俺あまのじゃくだから、ほんとは羨ましかったんじゃねえかな。みんなそっちが羨ましいんだよ。でもそれ言っちゃうとな、それ認めちゃうとな、ってとこあんだよ。だからやっきになってお前らを否定しようとするんだよ。サラリーマンの特権なんてそれぐらいしかねえし。まあそのうちわかんじゃないのお前もこっちに来たら。でもまあ俺はもうこっちじゃなくてあっちに行っちゃうけどね」

そう言った大西の表情はとても柔らかだった。(p.125)

なんていうか、こういうところが出てくると、あーなるほど、これがこの小説のテーマなわけね、なんてついついおもってしまうけど、それだけで満足しちゃうのはやっぱり浅はかというか、貧しい読み方かもなー、なんておもう。当たり前だけど、あるテーマを描くために小説があるわけじゃない。テーマは小説の一連の流れのなかから浮かび上がってくるものであって、たとえば評論はそれをうまく掬い上げてまとめてみせたりもする。もちろんそれに意味がないとはおもわないけど、ある小説の感想を言おうとして、それをテーマにだけ還元してしまっては、やっぱりつまらない。だってそこにはじっさいに読んでいたときの感覚なんて、ほとんど残っていないんだから。もちろん、じっさいに読んでいたときの感覚を再現することはどうしたって不可能なんだけど、ま、もうちょっとかんがえて書かなきゃな、とおもったのだった。

ついでだからもうちょっと引用すると、上の会話よりもたとえばこっちの方がずっとおもしろい、とおもう。

「猫のビラ?そんなの面倒くさいな」と思わず口にしてしまったことを高橋はすぐに後悔した。めぐみは噛んでいたものを呑み込み箸を置く。

「面倒くさいって言った」

高橋は吸いかけのタバコを灰皿に押しつぶしソファーに座り直した。

「いや、言ったけど、本気じゃないよ。言ったっていうか、つい出ただけで、意味はないよ。ごめん」

めぐみは「面倒くさい」という言葉が嫌いだった。というより高橋が「面倒くさい」を口癖にしていることが嫌いだった。同棲を始めてめぐみには禁忌とされている言葉が結構あるということを知って以来、高橋はその地雷を踏まぬよう日々細心の注意を払っていたが、この「面倒くさい」という言葉だけは生まれ持った不精者の心の奥底に強くこびりついているらしく無意識に口にしてしまい、その度にめぐみに小言を言われ、それをいつも面倒くさいと思いながら高橋は聞いていた。(p.46)

いや、おもしろいっていうか、単に高橋に共感しているだけなのかもしれないんだけど。俺も、ほんとすぐに「面倒くさい」とか言っちゃうんだよねー、とくにそんな風におもってないときにでも。で、言ってる本人からすると意外なくらい、このことばって周りから嫌な顔をされることが多くて。だから俺も高橋みたいに一応気をつけてはいるんだけど、でも、ついつい言っちゃう。上の文章の後、高橋はめぐみからたっぷりと説教されるわけなんだけど、その感じもおもしろかった。

青色讃歌


『青色讃歌』/丹下健太

青色讃歌

第44回文藝賞受賞作。同時受賞の『肝心の子供』が最高だったので、なんとなくあまり期待していなかったのだけど、いやいや、こっちもかなりいい小説だった!

一言で言うと、主人公の高橋(28歳・フリーター・♂)の、何でもないような日常を描いた作品、ということになるだろう。それだけだと、あー、それって最近ありがちなやつでしょ、なんておもわれそうなものだけれど、たしかに表層的な要素のひとつひとつには、真新しいところはあんまりない。ただ、この小説は、フリーターを「こっち」、勤労者を「あっち」と捉えて、あっちとこっちっていう区分があやふやになっていくというか、そういう二項対立だけでは語り得ないことがいろいろあるじゃん、ってことを感じさせるようになっていて、俺にはそのあたりがなかなかおもしろかった。

高橋は、あっち側の人(ちゃんと正社員やらなにやらになって働いている人)のことをうらやむこともないし、こっち側の人(定職につかず、いつまでもバンドやってたり、夜のバイトで食ってたり)である自分たちのことを卑下したりすることもない。就職活動を一応はしているところからすると、食うためには定職につきたい、というきもちはあるっぽいのだけど、どのくらい真剣にそうおもっているのかは、いまいちわからない。高橋のなかでは、たぶん、あっちもこっちも大した違いはないのだろうし、物語としても、あっち側にいた人がいつの間にかこっち側に来ていたり、ちょっとしたきっかけでこっち側からあっち側に行けてしまったりしていて、その境界はなんだか曖昧というか適当で、はっきりとしない。

つまり、そこには、あっち側はこっち側より優れている、とか、こっち側は反体制でこっち側のが自由なんだよ、みたいな価値判断はない。どっちも同じようなもの、とまでは言い切っていないけれど、あっちだろうがこっちだろうが日々は過ぎていくし、とりあえずどうにかやっていくしかない。そんな感覚がある。

小説の終わりのほうで、高橋は一応、あっち側に行くことになる。もっとも、それまでの描写のいろいろであっち/こっちの二項対立はぼやかされてきているのだけれど、とりあえずあっち側には行く。でも、その変化によって何か大きなことが起こるわけではない。どっち側にいたっておもしろいことはあるし、まあそれなりに大変なこともある。あっちでもこっちでも、どっちにしても、

日の出はまだで、すべてが青色に包まれていた。(p.155)

って感じなのだ。この小説は、そういうきぶんを大仰にではなく、微妙なわらいを絡めつつ、さらりと描いている。そこがよかった。この感覚そのものは別に斬新なものじゃないとおもうけど、就活中の自分としては、なんだかすっと染み入るようで。もっとも、会社説明会の行き帰りの電車のなかでこの本を読んでいると、若干複雑なきぶんにもならないこともなかった。


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