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『精神疾患とパーソナリティ』/ミシェル・フーコー

『精神疾患とパーソナリティ』/ミシェル・フーコー

フーコーの最初の著作。精神の病は身体の病とはどのように異なるのか、どのような人が精神疾患を患っていると言えるのか、通常の人間と狂者との境目とはどのようなものであるのか、精神の病が発現する条件とはいったい何であるのか?…といった問題について扱われている。後に一部の内容が書き換えられ、『精神疾患と心理学』というタイトルで再度出版されることになる一冊だ。

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フーコーはまず冒頭で、「精神と身体の病理はどのように関係づけられるのか?」という問いを提出し、このように述べる。

精神の疾患と健康を定義するのがこれほどまでに困難なのは、身体の医学において利用されている概念を、精神の病や健康にもそのまま適用しようと、空しく努力するからではないだろうか。身体の障害と人格の変性を統一的な観点から考察するのが難しいのは、この両方に同じ種類の因果性を想定するためではないだろうか。精神病理学と身体病理学の彼方に、この両方に適用できる一般的で抽象的な病理学が存在すると想定し、先入観に基づいた概念と、暗黙の前提条件に基づいた方法を、精神の病理学と身体の病理学の両方に押しつけようとするからではないだろうか。(p.10)

精神と身体、どちらの病理学においても、「症状を疾患のグループに分別し、主要な疾病単位を定義する」という同様の分類方法が取られているけれど、こういった方法が導入されている背景には、「双方の病理学を包含し統一するような、ある一般的な病理学が存在しているはず」、というかんがえ、先入観があるのではないか、ということだ。

このようなかんがえ方を、フーコーは「メタ病理学」と呼んで批判する。これはいっけん、人間の精神と身体との合一性を考慮に入れているかのように見えるけれど、その実、精神と身体の疾患の双方に同じ方法論や概念が適用可能である、ということを裏づけなしに信じてしまっている、素朴な思考法ではないか、というわけだ。たとえば、ロボトミー手術――鬱病や不安神経症の患者の前頭葉の一部を切除することで情緒を安定させようとする――などは、こうした思考(身体病理の側からアクションを起こすことで、その背後に存在しているメタ病理が治療できるはず)の素朴さによって考案されたものであるだろう、ということになる。

「メタ病理学」的な思考を回避し、精神的な疾患と身体的な疾患とをはっきりと区別するためには、精神の病というものが、どのようにして作り出されたのかを思い起こすことが必要だろう、とフーコーは言う。

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精神の病というものは、身体の病と異なり、個人のパーソナリティのもとに現れた影響を通してでしか確認することのできないものだ。また、それはある意味では個人による実存の表現の一様態であるとかんがえることもできる。そのため、病を病として見分け、どこまでが正常でどこからが異常なのか、という線引きを行うことは、なかなかに困難であるはずだろう。

とはいえ、病理学的には、ある一定の条件のもとに精神疾患というものが規定されており、それによってある人が患者かそうでないかが決定づけられている。では、その条件とはいったいどのように作られてきたものなのか。そして、いかにして、病に逸脱という意味が与えられるようになり、病人に排除される者という意味が与えられるようになったかのか。

フーコーは、この条件の形成プロセスを辿るべく、17世紀から19世紀にかけての社会における狂気の概念と狂者の扱われ方の変遷を素描してみせた上で、このように述べる。

要するに精神が錯乱するのは、十九世紀の医者や法律家が主張したような古典的な意味で、人が人間性に異質なものとなったからではない。人間が作り上げた実存の条件において、病人が自分を人間としてみいだすことができなくなったために、精神が錯乱するのである。この新たな視点からみた精神錯乱は、もはや心理学的な逸脱ではない。これは歴史的な契機によって規定されたものなのである。精神錯乱はここにおいてしか理解できない。(p.183)

「この人は気違いだ」と言えるようになる認識は、単純なものでも、直接的なものでもない。その前にいくつかの作業が行われている必要がある。とくに価値評価と排除の線に従って、社会的な空間が分割されていることが前提となる。医者が、狂気は自然現象であると診断するとしても狂気という判断を下すことが可能なのは、ある<閾>のようなものが存在しているからである。それぞれの文化には、特有の<閾>があり、この<閾>は文化の布置とともに変化する。十九世紀の中葉以降というもの、西洋の社会における狂気の感受性の<閾>はかなり低くなった。精神分析の存在は、この<閾>の低下の原因であると同時に結果であり、この<閾>の低下を証言するものである。(p.189)

人が、社会とはこのようにあるべき、と定めたとき、ある<閾>が生み出される。その<閾>を越えてしまった者は、もはや社会における実存の条件を満たさなくなった狂者と判断され、社会的な空間から分離される。そういった歴史的な条件によって規定された特定の社会からの疎外というものが、その者を病であると認定するための条件となるのであって、だから、病の起源とは、異常なものの内にあるというわけではない、ということになる。

精神疾患の患者が証明したのは、ブルジョワ社会には病を可能にするような葛藤が存在するため、この社会は現実の人間にふさわしいものではないこと、この社会は具体的な人間とその実存の条件にとっては抽象的なものであること、この社会が人間が作り出した統一という理念と、この社会が人間に認める矛盾した地位の間で、たえず葛藤を生み出すものであることである。精神疾患の患者は、この葛藤の極である。(p.200,201)

つまり、狂者が社会から疎外され、精神疾患の患者として排除されるのは、病というものがその個人を自己から疎外してしまうからではない。じっさいはその逆で、社会的な矛盾――近代市民社会の理念においては、人間は理性的で「自由」で「平等」な存在であるべきなのに、じつは人間というのはそれらの条件をしばしば失い得る存在である――こそが狂者を社会の外部へと排除しようとし、そこではじめて病というものが発現する――精神疾患という病であると診断され、患者として扱われるようになる――というわけだ。

そういうわけで、フーコーによれば、精神疾患というものは、社会によって個人の上になされたひとつの表現である、ということになる。それはどうしたって歴史的、文化的な産物である他ないのだ。


『ピエール・リヴィエール 殺人・狂気・エクリチュール』/ミシェル・フーコー

ピエール・リヴィエール---殺人・狂気・エクリチュール (河出文庫)

19世紀フランスの農園で、母・妹・弟を殺害した青年、ピエール・リヴィエールを巡る訴訟関連資料と、それらについての論考がまとめられた一冊。当時の資料から、狂気・司法・精神医学を巡る権力の作用を確認するべく、フーコーらは縦横に錯綜するさまざまな要素をひとつひとつ解きほぐすように、細密な分析を行っている。

収録された資料を読んでいくと、司法と精神医学とが共に、”リヴィエールは罪人なのか、それとも狂人なのか?”という問いについて頭を悩ませていることがわかってくる。貧しい農夫の子であったリヴィエールは通常の学校教育だってまともに完了していないし、おまけに彼の日常生活における態度や行為は極めて残虐で子供っぽく、近隣の人々は彼のことを”白痴”と見なしてすらいた。とはいえ、彼が逮捕後に書き記した手記の内容は極めて明晰であり、たしかな知性を感じさせるものである…。そのような犯罪者に対して、権力は、法は、医学は、どのように働きかければよいのか??

リヴィエール事件/症例は、いったいいかなる専門家によって対処されるべき問題なのか?フーコーたちは、このケースは、「その根深い両義性や曖昧さによって、既存の法的・制度的装置における欠陥を指摘し、また、まだ生まれて間もない精神医学という知の存在意義に揺さぶりをかけるもの」であったと語る。

で、そんな本書におさめられた各種資料や論考の中心に位置しているのが問題の当人、リヴィエールによる手記なのだけど、これは先に述べたように、何らかの真偽の証拠や明快な指標となるようなものではなく、むしろ、司法官と医師、その双方の抱える不確かさをより一層強めるものとして作用している。

実際、真偽の証拠を押さえたと思うやいなやその証拠が自ら反転するようなやり方ですべては語られている。次の一節を示すだけで十分だろう。「私は弓(アルバレートル)を持っているときに逮捕され、自分を狂人だと思わせるためにこれを作ったのだと言いましたが、その頃はまだあまりそんなつもりはありませんでした。」(p.474)

「自分を狂人だと思わせるためにこれを作ったのだと言いましたが、その頃はまだあまりそんなつもりはありませんでした」…狂人にこのような戦略的な発言が可能だろうか?いや、こんなことを言っている人間を、狂人と見なすことができるのだろうか??

フーコーたちによって、”驚嘆すべき記憶力”だとか、”美しいテキスト”だとか煽られまくっているこの手記だけど、まあとにかくその内容の細かいこと細かいこと。自分の父親のことをとても尊敬していたピエールは、金銭その他の問題で父を苦しめまくる放埓かつ傲慢な母親のことを憎み、最後には殺してしまうわけなんだけど、手記にあるのはいかに母が憎いか、父がかわいそうか、ってリヴィエールの心情なんかではなくて、母の非道なふるまい、むちゃくちゃな態度についてのむやみやたらと詳細な記録なのだ。たとえばこんなところ。

母と妹は戸口から様子をうかがい、父がすっかり落ち込んでいるのを見て大いに馬鹿にした様子でした。指物師は腰を下ろして飲んでいました。やがて彼は一丁歌うぞと言いました。手短に頼むよ、とフランソワ・セネカルは言いました。指物師は歌い出しました。その歌は、父を嘲りその悲しみを嘲笑う歌でした。最初の一節は、なんでも入ってこい、そして何も出て行くな、という歌詞で終わりました。次の一節はこうでした。リーズはいつも同じ戸口から入れっぱなしで力つき、九か月後には誰かを出さねばならなかったとさ。父はそのとき、さあ家に入ろう、歌うよりは泣きたい気分だ、と言いました。指物師も私たちと一緒に家に入りました。指物師は大工道具の話をむし返して言いました。俺はあんたの奥さんの小麦の刈り入れを手伝ってやったんだ、そうしたら奥さんから、ねえ指物師さん、この道具を持っていってちょうだいよ、いいんだからさ、と言われたんだ、と。するとフランソワ・セネカルが彼に、いいかげんいしてくれ、と言いました。それからなおしばらくしてから、指物師は帰りました。そこにいた何人かの女たちは、父と祖母とその苦労について話しました。二人がすっかりまいってしまっているのを見て、彼女たちは帰りがけに、この方たちはこの世で煉獄の苦しみにあっているのだわと言いました。(p.165,166)

こんな具合にちまちまとした記述がもう延々と続いていく。個人的には”美しいテキスト”とまではおもわなかったけれど、たしかに、この手記には、なんていうか得体のしれない迫力のようなものがあって、これ単体でもなかなかおもしろく読めてしまう。

とはいえ、本書において最も重要視されているのはやはり、ひとつの事件、ひとつの症例を巡っていくつもの言説が交差し合っていた、その様態そのものだと言えるだろう。

治安判事の、検察官の、重罪裁判所裁判長の、法務大臣の言説。田舎医師の言説とえすきロールの言説。集落の人々、町長、主任司祭の言説。最後に殺人者の言説。すべての人が同じことについて語っている、あるいは語っているかのように見える。いずれにしてもそれらすべての言説は六月三日の事件にかかわっている。しかし、それらすべての言説が互いの異質性において形作るのは、一つの作品でもないし一つのテクストでもない。そうではなくて、それらが形作るのは、一つの特異な闘争、一つの対決、一つの権力関係、言説のそして言説を通じた一つの闘いなのだ。そして一つの闘いと言うだけではまだ不十分である、実のところはいくつもの戦闘が同時に展開し、交錯したのである。(p.21-22)

果たして、「リヴィエールは狂人だったのか?」あるいは、「リヴィエールを狂人として扱うべきなのか?」本書のなかに、その答えはない。それは、権力と言説のせめぎ合いのなかでだけ生成され、それらの連関のなかで絶えず揺れ動いていくもの、いつだって反転する可能性を持ったものとして変化し続ける、曖昧さを内包した妥協点でしかないからだ。


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