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『ムード・インディゴ うたかたの日々』

『ムード・インディゴ うたかたの日々』

渋谷シネマライズにて。ディレクターズカット版を見てきた。ヴィアンのファンなら見て後悔はしないはず…と聞いていた本作だけれど、たしかに、かなり原作(『うたかたの日々』/ボリス・ヴィアン)を尊重した作りになっていたようにおもう。ミシェル・ゴンドリーならではの、キュートでおもちゃっぽく、ときどきシニカルな映像との相性も、かなりよかったんじゃないだろうか。少なくとも、俺は結構気に入った。ヴィアンの文章には、言葉遊びやシュルレアリスティックなイメージがたくさん出てくるので、「あー、ゴンドリーはあのシーンをこういう風に読んだんだなー」なんてことをかんがえたりするのが、非常にたのしいのだ。(なので、少なくともディレクターズカット版については、原作を読んでから見た方がいいのではないかとおもう。)

まあそういうわけで、全体的になかなか好みな作品だった、ということになるのだけれど、不満というか、腑に落ちなかった点がひとつ。それは、主役のふたり、ちょっと歳がいき過ぎているんじゃないか??ということだ。

原作において、コリンとクロエがどこまでも自由で身勝手でわがままでいられるのは、若くて美しくて、おまけにお金もたっぷりと持っているからだ。それなのに、本作におけるロマン・デュリスとオドレイ・トトゥってアラフォーのふたりからは、若くして強者であるがゆえのエゴイスティックなところや、無邪気で向こう見ずなところ、だからこそその幸福は長続きしそうにないだろう、っていうような印象が、ほとんど感じられなくて。

なんでこのふたりが主役になったんだろう?20歳前後で、何ていうか、もっとはっちゃけた感じのする俳優じゃダメだったんだろうか??とおもったのだった。(ロマン・デュリスは結構がんばっている感じがしたのだけど、それでもまだまだ知的で大人っぽすぎる気がした。もっと線が細くて頼りない、いかにも「男の子」って雰囲気のする人だったら、よかったのになー。)他のイメージがかなり原作に忠実に作られていただけに、どうもそこだけ強く違和感を覚えたのだった。


『うたかたの日々』/ボリス・ヴィアン

『うたかたの日々』/ボリス・ヴィアン

この頃、デューク・エリントンばかり聴いている。ちょっと前まではバップ以前のジャズのよさというのがいまいちわからなかったのだけど、ふとおもいたってちゃんと聴いてみると、ほんとにかっこいい曲だらけだし、演奏もすばらしいしで、聴けば聴くほどエリントン楽団は俺の心のドアをノックしまくり、もう最近の通勤のお供は毎日毎日エリントンばっかりなのだ。で、やっぱりエリントンといえばボリス・ヴィアンだよなーとおもって、長いあいだ本棚に積まれっぱなしになっていた本作を手に取ってみた。

大切なことは二つだけ。どんな流儀であれ、きれいな女の子相手の恋愛。そしてニューオーリンズの音楽、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消えていい。なぜなら醜いから。(p.7)

こんな風に軽々と言ってのけるヴィアンの何よりの魅力は、シャンパンの泡のように軽やかでさわやか、きらきらと透明に輝くその文体だろう。重さや寓意性などといったまどろっこしいものはことごとく退けられ、ひたすらエレガントであること、ナンセンスであることだけに意識が向けられている。その身軽さといったら、いまにもくるくると踊り出しそうなほどだ。そして、そんな文体で描かれた作品を中心で繋ぎ止めているのは、詩的でシュルレアリスティックなイメージの単純な美しさ、ただそれだけだと言ってしまってもいいかもしれない。

本作にしても、そのメインプロットはごくシンプルだ。金持ちで優雅な生活を送っていた青年コランが美しい少女クロエと出会い、恋に落ちる。ふたりは幸せな結婚をするが、やがてクロエは”肺のなかに睡蓮が咲く奇病”にかかってしまう。コランは病の治療のために家財道具を売り払い、惨めな労働を繰り返し、大量の花を購入するも、結局クロエは命を落としてしまう…!

クロエの発病前後で、物語のトーンががらっと変わってしまうところがおもしろい。前半で描かれるのは、完全に快感原則によって支配される世界。コランたちは若くて美しくて幸福、自信に満ち溢れ、どこまでも身勝手で自由で、義務や責任といった大人の価値観を徹底的に忌避している。だが、物語後半に入ると雰囲気は一変、世界は病の恐怖と死の影が常に漂う、ダークで醜い一面を露わにする。そこにはもはや、主人公たちのようなお子様のための居場所は残されていない。「あなたは何をしてらっしゃるんです?」と職業を聞かれて、「クロエを愛しています」と何のためらいもなく答えるコラン君に、世界は決して容赦しないのだ。

コランとクロエの恋愛は、甘く軽やかで余人のつけいる余地などまったくない完璧なものだけれど、まさにそうであるがゆえに、悲劇的な結末が宿命づけられている、ということなのかもしれない。逆に言うと、物語後半の暗さ、不幸の連鎖こそが、前半部の幸福感やきらめきにノスタルジックな輝きを与えている、ということになるだろうか。

二人はすぐそこの歩道に沿って歩いていった。バラ色の小さな雲が降りてきて彼らに近づいた。
「行こうか?」と雲が声をかけた。
「頼むよ!」とコランが言うと、雲が二人を包んだ。その中は暖かくて、シナモンシュガーの匂いがした。(p.79,80)

これは、そんな暗さなどかけらも見当たらない頃の、コランとクロエの初デートの一シーン。まったく、なんてキュートなイメージだろうね!


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