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『ブラック・スワン』

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池袋シネマ・ロサにて。長いあいだ見たい見たいっておもい続けてようやく見れた本作だけど、んー、評判ほどじゃなかったかなー、というのが正直な感想。運よく”白鳥の湖”の主役に抜擢されたバレエダンサー、ニナだったが、今回の公演では「白鳥」と「黒鳥」両方を演じなくてはならない。優等生的なニナはいかにも「白鳥」向きだが、控えに選ばれているリリーは「黒鳥」タイプの自由さ、奔放さ、したたかさを持ったダンサー。主役のプレッシャー、リリーに役を奪われてしまうのでは、って恐怖のなかで、ニナは少しずつ狂気にとらわれていくのだが…!

極度のプレッシャーにニナが少しずつ狂っていくごとに、画面にはちらりちらりと恐ろしげな映像が映し出されるのだけど、カメラは基本的にニナに寄り添った視点で動いていくので、観客にはホラー的な恐怖がもたらされることになる。この”恐ろしい映像”の出し方がいい。恐いっていうか、ぞくぞくくる。背中のひっかき傷、爪のささくれ、身体の軋む音などなど、観客に的確に痛みを与える効果がある。また、過保護気味な母親やリリーに対して徐々に恐怖を覚えていくプロセスなんかも、サスペンス的な恐さをうまく煽っている。

そういうところ、つまり演出に関してはとても上手いとおもう。でも、俺にはただそれだけの映画、人間ドラマっていうよりただのサスペンスにしか見えなかったんだよなー。具体的には、ニナのバレエに傾ける情熱とか、役へのおもい入れとか、”白鳥の湖”の魅力について、もうちょっと描写が必要だったんじゃないかって気がする(だって、役が欲しくて欲しくて、あんなことやこんなことまでして、最後は精神に異常をきたしちゃうくらいなんだぜ!)。物語のラスト、見事に”白鳥の湖”を踊りきったニナは、「完璧だった」と呟くけれど、ニナがそこまで「完璧であること」に執着していたようには正直見えなかった、っていうか。2時間の間、ただただ役を奪われること、潰されることへの恐怖にだけ突き動かされているように見えていただけに、終盤の”攻め”のシーンにいまいち盛り上がれなかったような感じもする。

いや、まあ単に、俺は「サスペンス的な展開で観客の感情を支配したい」、って欲望ががっつりと見えているこういうタイプの映画があんまり好きじゃないってだけなのかもしれないなー、とはいま書いていておもった。主演のナタリー・ポートマンはこれ以上ないくらい役にはまっているし、おもわず息を飲むようなシーンも多くて、見ていて結構引き込まれる。それだけでもじゅうぶんいい映画だった、っていうことはできるのだろう。ただ個人的には、同じダーレン・アロノフスキー監督なら、前作『レスラー』の方がずっと好きな作品だったな。


『レスラー』

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新宿テアトルタイムズスクエアにて。すっごくいい映画!ドキュメンタリーっぽい映像で映し出されるひとりのレスラーの生きざまやその感情があまりにリアルで、本当に胸が詰まった。これはみんな泣いちゃうよなー。プロレスラーであること、ってちょっと特殊な生き方のようにおもえそうなものだけど、ミッキー・ローク演じる主人公のランディが感じる感情は、この映画を見る観客のひとりひとりにまではっきりと通じるものだ。

プロレスはランディの人生における最優先事項で、だから彼はプロレスのためにたくさんのものを投げ捨て、ないがしろにしてきた。そのため、身体にガタがきて引退をかんがえたときにはじめて、大事なもののほとんどを失ってしまっていることに気づき、愕然とすることになる。もう結構な齢なのに日々の暮らしはままならないし、自分の苦しみを打ち明けられるような相手だってひとりもいない。それはなかなかにハードな状況だ。画面に映し出されるミッキー・ロークの背中を見るにつけ、胸が苦しくなる。とはいえ、生きるってことは絶えず何かを失い続けることに他ならないわけで、俺はランディの孤独や寂しさを、そうそう、そうなんだよね…なんて、なんだか事実をひとつひとつ確認するような、どこか冷静な気分で見ていた気がする。

のだけれど、熱すぎるクライマックスはそんな冷静さを完全に吹き飛ばしてしまった。「俺にとっては外の現実の方がつらい」と言い残してリングに上がっていくランディの姿、会場を埋めるファンたちの歓声、爆音で鳴り出す”Sweet Child O’Mine”のイントロ、いまおもいだしてもおもわず震えそうになる。そしてリング上での宣言。俺の居場所はここにしかないんだ、これだけが俺のやるべきことなんだ、なんて吼えられれば、もう涙する他ない。もうこれしか残っていない、っていう悲しみと、しかしこれだけは、この場所だけはなんとしても譲れない、っていう意地と誇りとがエナジーを失くしつつあるミッキー・ロークの全身からほとばしり出る、それはあまりにもパーフェクトに美しい一連のシークエンスだった。

きっと、誰の人生にもそんな風に圧倒的な輝きを放つ一瞬があるのだろう。だがそんな一瞬の美しさがあったからといって、何かが大きく変わるわけではないし、誰かが救われたりするわけでもない。生きることはひたすらに失い続けることで、だからたとえスプリングスティーンが最高の歌を歌ってくれたとしても、そこできれいなエンディングが訪れるわけではなく、その先に続いていくのは依然として暗闇でしかないのだ。もちろん、それはあたりまえのことだ。失われたものを取り返すのは簡単なことではないし、人生をやり直すことなんてほとんど不可能だと言っていい。だからこそ美しい一瞬を封じ込めることに意味があるのだろうし、その瞬間のために人は涙を流すことができるのだろう。

生きることは端的に辛い。人の生は醜く無様で、この映画みたいにケチのつけようがないシーンで幕切れてくれたりはしない。しないとわかっていながらも、ランディがコーナー・ポストの最上段から飛んでみせるように、人はとにかく何か自分のやるべきことをやらなくてはならない。ならないのだとおもう。やるべきことをやれば、誰もが認めてくれるのか?幸せになれるのか?決してそうではないだろう。そうではなくて、それはただ、それが自分にとってやるべきことだから、やらなくてはならないのだ。だって、生きるってのはそういうことじゃないか?


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