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『こうしてお前は彼女にフラれる』/ジュノ・ディアス

『こうしてお前は彼女にフラれる』/ジュノ・ディアス

前作『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』にも出てきたユニオールが主人公の短編集。ユニオールはなかなかモテる男なのに、浮気を繰り返してしまう傾向があり――それはほとんど宿命的な性向だと言っていい――、しかも毎度毎度必ず浮気がバレて彼女にフラれる、というパターンを繰り返し続ける。だから、各短編では、決して成就することのないさまざまな愛(というか、決して双方向的な愛にまで至ることのない、何か)の形が描かれていくことになる。

前作を読んだときにも感じたことだけれど、ディアスの文体はいっけんぶっきらぼうで乱暴なようで、じつはかなりウェットだ。本作に収められている短編には、ユニオールの一人称で描かれているものと、ユニオールを「お前」と呼ぶ二人称のものとが入り混じっているけれど、二人称の場合でも、ウェットさが軽減されていることはほとんどない。そういうところは、ちょっといまいちかな、と感じた。全体的に自伝的な要素の強そうな作品ではあるけれど――とくに、ユニオールの家族とのエピソードを読んでいると、そう感じる――どうも、突き放しが足りていない気がするのだ。

とはいえ、いろいろな浮気発覚のバリエーションが扱われており、そのときのユニオールの心情がいちいちリアルなのはおもしろかった。なかでも、いちばんしょぼいのはこれ。自分の日記を彼女に見られてしまう、というパターンだ。

頭を垂れ、男らしく認める代わりに、お前は日記をつまみ上げる。まるで赤ん坊のウンコがついたオムツみたいに、セックスで使ったばかりのコンドームみたいに。お前は問題の箇所をちらりと見る。そしてアルマに微笑みかける。お前が死ぬ日まで、お前の嘘つきの顔が憶えてるような微笑みだ。なあ、これはおれの小説の一部だよ。
こうしてお前は彼女にフラれる。(「アルマ」p.55)

俺も、もうずいぶん長いあいだ日記というか、かんがえごとや計画やスケジュールを書きつけるノートを使っているけれど、もしノートを見られて浮気がバレたりなんかしたら、たしかに、それを「赤ん坊のウンコがついたオムツみたいに、セックスで使ったばかりのコンドームみたいに」つまみ上げることしかできないかもしれないな…とおもう。

あとは…そうだな、こんなフィーリングも、身に覚えのある人はそう少なくないんじゃないだろうか。

お前は自分のしてることにものすごく怯えてる。でもそれに興奮してもいるし、世界の中であまり孤独を感じずにすんでる。そしてお前は十六歳で、こんなふうに感じてる。今やセックス・エンジンが始動してしまった以上、地球のどんな力もそれを止められない、と。(「ミス・ロラ」p.177)


『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』/ジュノ・ディアス

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

ちょっと前に話題になっていた一冊。ざっくりとした内容としては、RPGや『ウォッチメン』、『AKIRA』を愛してやまないナードな青年、オスカーを主軸として、ドミニカ共和国におけるトルヒーヨ独裁の歴史を交えながらその家族の物語が語られていく、という感じか。語り手は饒舌で、文章はとにかく熱い。また、舞台がドミニカなだけあって、物語には随所にスペイン語が挿入されているのだけど、それと同時に、SFやRPGの専門用語が同じくらい大量に盛り込まれているところが特徴的だ。

作品は家族の年代記のような形をとってはいるものの、世代を超えて何度も提示されるのは、極めてシンプルな青春小説的な物語だと言っていいだろう。おデブでナードなオスカーに、強大過ぎる母親の下で自由を求めてもがくオスカーの姉、ロラ。オスカーとロラの母親であり、その出生からして波乱万丈の人生が約束されていたと言っても過言ではない、美しく恐ろしい母親、ベリ。ベリの育ての親である、信仰豊かなラ・インカ。ラ・インカの従兄弟であり、ベリの出生の秘密にも関わりを持つ、アベラード。トルヒーヨ独裁による恐怖は、彼ら全員の人生に暗い影を落としており、それはもはや”フク”なる呪いのようにすらおもわれもするのだけど、そんななかでも、己の信念のまま、ひたすらにワイルドに生き抜いていこうとする一族の姿はなかなかにかっこいい。

ってことで、いわゆる青春小説、あるいは、ある家族の物語としてのこの小説はなかなかにおもしろい。ただ、オスカーのオタク趣味、ファンタジーへの傾倒が、ドミニカの歴史的な記述やトルヒーヨの物語とうまく絡まり合い、互いを引き立てるような働きをしていたかというと…、それは正直微妙だったような気がする。トルヒーヨを『指輪物語』のサウロンに見立てたりするような表現は、まあたしかにそこそこおもしろいけれど、でも別にそれだけ、ちょっと新鮮でおもしろいだけなんじゃないか?と俺は感じた。

トルヒーヨがドミニカの人々に振るった権力や、国中に投げかけた恐怖の影は誇張するのが難しいほどだ。奴はサント・ドミンゴをまるで自分のモルドールのごとく支配した。彼はドミニカをまるで自分のプランテーションのように扱った。(p.273)

というのも、最終的にオスカーを力づけ、彼に試練を乗り越える勇気を与えるのは、血縁の力、家族によって伝えられてきた愛の物語の力であるように俺にはおもえたのだ。つまり、そこでは、ファンタジーやフィクションの持つ空想の力、我を忘れるほどにぶっ飛んだ妄想力なんてものはとくに必要とされていない。なんだかそんな風におもえてしまって。いや、まあそれはそれでいいんだけども、あれ、じゃあオスカーのオタク趣味は何だったの?物語前半に散々描かれていた、彼のフィクションに対する偏愛っぷりは結局どうでもよかったの?って。

…そういう訳で、”トルヒーヨ独裁の歴史をSFやファンタジーを利用して読み替えた、まったく新しい物語”だとか、”古典的なリアリズムの枠組みを離れることでこそ、トルヒーヨの生んだ惨劇をはじめて物語のなかに落とし込むことができた”的な評価はどうも少し違うんじゃないか、と俺は感じた。表層はたしかにごちゃごちゃして一見複雑そうだけれども、これは基本的にシンプルで古典的な青春小説で、とくに以外のものではない、そんな風におもったのだった。


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