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『孤独な散歩者の夢想』/ジャン=ジャック・ルソー

『孤独な散歩者の夢想』/ジャン=ジャック・ルソー

あなたがいまひどく落ち込んだ気分、みじめでひとりぼっちな気分、もうどうにでもなれ、ってやぶれかぶれな気分になっているのならば、『孤独な散歩者の夢想』を手にとってみるといいかもしれない。この本を書いたルソーというじいさん(64~66歳)は、きっといまのあなたよりももっと孤独で、誰からも愛されず、誰からも必要とされていないと感じていて、強烈な自己憐憫に浸っている男だから。

まず、冒頭からしてこうなのだ。

この世にたったひとり。もう兄弟も、隣人も、友人も世間との付き合いもなく、天涯孤独の身。私ほど人付き合いが好きで、人間を愛するものはいないというのに、そんな私が、満場一致で皆から追放されたのだ。繊細な私の心を最もひどく痛めつけるにはどんな仕打ちがいちばんいいのか、奴らは私への憎悪を極限まで募らせながらさんざん考えたのだろう。(p.9)

すごい言い分である。どんなに心のなかでおもったとしても人に言ってはだめなこと、というのがあるけれど、これはまさにそれだ。いくら本当のことであったとしても、こんな言い方で、いったい誰が同情してくれるだろう、って話である。

自分の外にあるものは、もはや私に何の関係もない。この世には隣人も仲間も兄弟もいない。まるでどこかよその惑星から落ちてきた異星人のような気分だ。まわりにあるもの何を見ても、つらく悲しくなってしまう。私に触れるもの、私を取り囲むもの、どれに目をやろうとも、私はそこに人々の侮蔑を感じて憤り、痛みを感じて苦しくなる。だから、これまで私が無益と知りつつ、苦しみながら執着してきたものたちを、もう心から一掃してしまおう。ひとりで過ごす残りの人生、もう慰めも希望も平穏も自分のうちにしか求めようがないのだから、自分のことだけ考えて生きるしかない。いや、そうしたいと思っている。(p.18,19)

ため息まじりに思う。私はこの世で何をしただろう。生きるために生まれたのに、生きた証も残さずに死ぬ。少なくとも、私に咎があったわけではない。私をおつくりになった神様のもとに帰るとき、私は善行の貢物をもっていくことはできない。奴らのせいで善行をなしとげる機会を失ってしまったからだ。(p.28,29)

私のような目にあえば、誰しも性格が変わって当然ではないだろうか。ここ二十年の経験から分かったことだが、生まれながらにもっていた私の心の良い部分は過酷な運命、そして私の運命を支配する人々のせいで、自分を傷つけるもの、他人にとって有害なものへとゆがめられてしまった。善行を誘うような状況が示されても、私の目にはそれが罠にしか見えない。裏に何か悪意があるようにしか見えないのである。(p.134)

…どうだろう、ちょっとイラっときただろうか?それとも、あーなんかわかるかも、こういう気分になることってあるよね、とおもっただろうか?まあ、少なくとも、これほどまでに自分の気持ちに正直な文章って、なかなか書けるものではないだろう。こじらせ具合で言えば、ドストエフスキー『白痴』のイッポリート君や、太宰治『人間失格』の葉蔵なんかといい勝負という感じだが、ただ、これはもう晩年を迎えたじいさんが書いた文章だ、ってところに妙な迫力があるような気もする。

さて、こんな懐疑、極端な被害妄想からスタートする本書の「夢想」だけれど、章が進んでいくにつれ、ルソーの心境は徐々にある種の悟りの境地、自己充足可能な諦念の境地へと向かっていくようになる。植物採集と過去の甘美な記憶の回想のなかに安らぎを見出し、私が生きていくにはこれだけがあれば十分だ、他のものはもう知らん、とかんがえるようになっていくのだ。それは世捨て人としての満足、完全な傍観者としての満足ではあるが、しかし、「孤独な散歩者」としてしか辿り着くことのできない美の境地であるように見えないこともない。

とはいえ、やはりルソーも人の子、社会からの評価、知り合いのあいだでの評判をまったく気にしないで居続けることなどできはしない。そのため、本書の文章は、内省と諦念の表現のなかに、自己弁護・自己正当化の含みを持ったものとなっている。それはひとことで言ってしまえば、「私の道徳律が正しい。社会や世間のそれは欺瞞である」という内容だ。恐るべき迫害者たちに取り囲まれたこの私が心の平穏を保っていられるのは、私が正しい道徳律の持ち主であり、それに従って生活しているからである、どうだねわかったかね、なんて、あれやこれやと手を変えながら主張しているわけだ。こういう辺りは、読んでいてちょっといらいらさせられてしまう。あーもうわかったわかった、あんたは間違ってないよ、大丈夫だよ、って言ってしまいたくなる。

まあそういうわけで、全体的にネガティブで言い訳がましく、しかしそれでいてなかなかに戦略的で均整のとれた哲学エッセイ、それが本作だと言えるだろう。ルソーらしい美文もあるので、彼の気分にある程度共鳴できる精神状態のときならば、それなりに興味深く読めるはずだ。

(もちろん、こういう作品を読んだからといって、読者の孤独な状態が回復したり、孤独な気分が満たされたりするわけではない。せいぜい、ああ、ルソーみたいに歴史に名を刻んだ大人物でも、気が滅入っているとこんなしょうもないことを延々と書いちゃったりするんだな…なんて緩く共感できる程度だろう。だが、ひたすらネガティブアイロニックな気分になっているときには、その程度の微かな共感というのもそれなりに貴重なものなのだ、くらいのことは言ってみてもいいのではないかとおもう。)


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