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『永遠の僕たち』

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渋谷シネマライズにて。若さゆえの繊細さと危うさ、それが否応なしに引き起こしてしまう痛みと、だからこその美しさ、ってやつを描かせたら、ガス・ヴァン・サントはまず間違いない監督のひとりだろうとおもうのだけど、今作もじつに静謐かつエモーショナルな作品に仕上がっており、とってもよかった。会場では、エンドロール終了後にちょっと拍手している人もいたくらい。映画館に行ったのは数ヶ月ぶりだったけど、いやー、ひさびさに見たのがこれでよかった、って素直におもえる作品だった。

主な登場人物は3人。両親を事故でなくし、生きることに投げやりになっている少年(ヘンリー・ホッパー)と、ガン闘病中で余命3ヶ月の少女(ミア・ワシコウスカ)、ヘンリーにだけ見える、日本兵の幽霊(加瀬亮)だ。作中で展開されていくのは、この設定から誰しもが想像するであろうストーリー--思春期の男女が主人公の、難病もの、ってやつだ。カップルを見守る年長者がいるのも定番だよね--なので、真新しさとかがあるわけではないものの、美しく透明感のある映像と音楽、主演のふたりの自然でキュートな演技によって、暖かく穏やかで、でもひりひりと切ない、いかにもガス・ヴァン・サント流のラブ・ストーリーに仕上がっている。

彼の他の作品にも共通することだけど、作品全体に通底するものとして、きわめて純度の高い静謐さ、というやつがあるところがいい。まあ静かでおしゃれなムード作りがうまい、っていじわるな言い方もできるだろうとはおもうのだけど、こういう、登場人物の心象の揺れ動きのみが肝である作品においては、やはりそここそが最重要、というか、そういう全体的な雰囲気と、それを盛りたてるためのディテールが作品の印象を決定する上で果たす役割というのは、本当に果てしなく大きいのだと感じさせられた。ヘンリーがミアを墓のなかの両親に紹介する展開のわくわく感や、夜の森のなかでふたりがかくれんぼするシーンでスフィアン・スティーブンスの歌声が流れ出す瞬間の美しさ、ミアが壁にかけられたダーウィンの肖像画に向かって、「ねえ、チャールズ」って話しかける場面の切なさといったら!

まあそういうわけで、言ってしまえば、きれい過ぎるくらいにきれいにまとめられた、おしゃれ感のある恋愛映画ってわけなのだけど、他者とコミュニケーションを取り結んでいくことに対する切実な気持ちが強い説得力を持っているところはやっぱりガス・ヴァン・サントらしくて--『ミルク』『エレファント』なんかは、ぜんぜん別ジャンルの映画だけれど、そういう部分では共通しているとおもう--、やっぱりこの人の撮る作品は信頼できるし、何度だって見たくなるんだよな、とおもった。


『エレファント』

エレファント デラックス版 [DVD]

DVDで。アメリカのコロンバイン高校での銃乱射事件をモチーフにして作られたこの映画で描かれるのは、なんとも救いのない物語だ。いや、物語っていうのは少し違うかな。なにしろこの作品にはほとんど描写しかないのだから。とにかくカタルシスとかストーリーの快楽みたいなものとはまったく無縁なのだけど、でもそれだけで十分、っておもわせるだけの映像の美しさやセンチメンタリズムの儚さを持った作品でもある。

全体の3分の2くらいはごく普通のハイスクールでの日常が映し出されているだけなのに、全編通してとても静謐で、息の詰まるような緊張感が続いていくのがすごい。その静けさのなかで、ふたりの少年が狂気へと向かい、決して取り返しのつかない場所へと足を踏み入れていってしまうさまが描かれていく。彼らが完全にその場所に身をおいたとき、彼らの世界、彼らを取り巻く日常の世界は簡単に崩れ去る。その瞬間は本当に残念なくらいにあっけないものだ。何もかもをぶっ壊してやりたい、っていう彼らの気概に反して、その崩壊はどうにもしょぼくれていて、ぱっとしない。

この映画のなかには、物語もなければ、明確な主張も、分析もない。事件の経緯と当事者たちの状況とを、ごく淡々と描き出しているだけだ。だから観客は、銃を撃ったふたりの少年の気持ちを理解することはできないし、彼らの心情に寄り添おうとすることだってむずかしい。作品は、ただこの出来事を”こういうもの”として提示しているだけだから、観客はそれを”そういうもの”として認識する他ない。本当にそれだけだ。だからそこには当然、結論だとかまとめのようなものは存在しない。

作品の内容を自分がたやすく理解できるようにまとめる、っていう行為には、内容を矮小化して解釈しようとするような側面があるけれど、登場人物たちの後姿ばかりを追い続けるカメラが主張しているように、この映画にはそういう安易な解釈、単純な理解を拒むような頑なさがある。しかしそれでも、映画が終わって――ふーん、なんかよくわかんなかったけど怖かったねー、なんて言いながら――生活のなかに人が戻っていったとき、そこには何か、言葉にはならないかもしれないけれど、少なくとも何かしらが残っているはずで、そこにたぶん映画の力というものがあるんだろう、とおもう。

ただ、ひとつどうしても気にかかるのが、映画全体に漂う美しさや儚さ、もっと言ってしまうなら、おしゃれ感みたいなものだ。解釈を拒んだ中立的な作風で、安易な理解なんてできないんだよ、って言っているのに、それを描き出すタッチがちょっと美し過ぎるんじゃないだろうか、なんておもってしまう。うまく言えないのだけど、事件がもう一歩で現実味を失ってしまいそうな、ファンタジーになってしまいそうな危うさがあるように感じられるのだ。もちろん、そこがこの作品の大きな魅力でもあるわけだけど…。


『ミルク』

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吉祥寺バウスシアターにて。見たのはもう1か月くらい前のことなんだけど、なかなかよかった。1970年代アメリカで、ゲイであることを初めて公言して一大ムーブメントを引き起こした政治家、ハーヴェイ・ミルクの姿を描いた作品。話そのものも構成もごくシンプルなんだけど、全体的にとてもていねいに作られている雰囲気があって、ミルクについてほとんど予備知識を持ち合わせていなかった俺でも、彼らが戦うことになった理由やその心情についてきちんと納得、共感できるようになっているようにおもえた。

それはやっぱり、ゲイの人々のマイノリティがゆえの苦しみってものが具体的に描かれているからだろう。ゲイだろうがストレートだろうが、大抵の人はきっと日常のなかでマイノリティとして辛いおもいを経験したことがあるだろうし、そうでなくても、少なくとも、そういった経験や気持ちを自分に照らし合わせてかんがえてみること、想像すること、そういうところからしか他者を排除したり包摂したりするのではないコミュニケーションのかたちは生まれ得ないとおもう。人は他者の思考や感情を完全に把握することなどできないのだから、どうしたって理解できないこと、決して越えられないようなギャップというのは必ずある。でも、それだからこそ、人はそのギャップ越しにでもコミュニケーションを取っていくべきなのだろうし、取っていかなくてはならないはずだ。この映画ではミルクがそんなコミュニケーションへの願いや希望の象徴になっているのだけど、そこには監督であるガス・ヴァン・サント自身の感情もたっぷりと込められているようにおもえて、俺はぐっときた。

あと、ショーン・ペンって俺のなかではものすごいマッチョでこわいおっさん、っていうイメージがほとんど(『ミスティック・リバー』のイメージが強過ぎて…)だったんだけど、この作品のなかでは本当に暖かいほほえみを浮かべているシーンがたくさんあって、これが役者ってことか…すげえな、なんて、素朴なことをしみじみとおもった。


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