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『天使の囀り』/貴志祐介

『天使の囀り』/貴志祐介

Kindleにて。手堅いサスペンス・ホラーものを得意とするエンタメ作家、貴志祐介だけれど、今作は怖いというよりも気持ち悪い、それも超絶気持ち悪い一作だと言っていいだろう。何が気持ち悪いのか、ってところは本作のサスペンス要素に大きく絡んでくるので具体的には書かないでおきたいのだけれど、えっ、この人何かんがえてるの…っていう「底の知れなさ」からくる内面的な気持ち悪さと、もうぱっと見がとにかくおどろおどろしい、っていう外面的な気持ち悪さ、その両方を完全に兼ね備えている作品なのだ。そこがすごい。それにとにかく、ちょっとこれは映画化とかはできないだろうな、とおもえるくらいにグロテスクなんである。

物語のプロローグでは、調査団の一員としてアマゾン奥地に向かった高梨から、恋人の早苗に宛てて送られてきたメールが示される。いまいち要領を得ない文面だが、アマゾンで何かアクシデントが起こり、それが原因で高梨らは急遽帰国することになったのだという。戻ってきた高梨は、早苗の知っていた以前の彼とはまるで違った人格の持ち主になっており、しばらく後、突然に謎の自殺を遂げる。そしてまた、調査団の他のメンバーも、同じように不可解な自殺を図っていくのだが…!

読者には、「アマゾンでの何か」が原因で謎の自殺がいくつも発生している、ということは知らされているのだけれど、それ以上のことはなかなかわからない。病原菌、精神疾患、呪い、麻薬、洗脳…いろいろなアイデアは浮かんでくるけれど、これという答えが見つからないのだ。そんななか、自殺の手段がエグい方へグロい方へとエスカレートしていく。何といってもここが本作の読みどころで、読者は早苗と共に事件の謎を追いながら、このサービスシーンとでも言うべき、人間がある一線を踏み越え、壊れていき、そして尋常でない方法で自らを殺していく様子をいくつも目撃することになるのだ。

もっとも、そこは貴志作品、文章のタッチは冷静で、精密なディテールがしっかりとプロットを支えている。エグさやグロさといった生理的な恐怖感、嫌悪感に訴えるだけではなく、ミステリ的な要素を次々と繰り出しては読者の興味を繋げていくというところなんかは、まさに職人の仕事、という感じだ。サスペンスとして、じゅうぶんにおもしろい。エンディングでもばっちりオチが決まっているところなんか、きっと誰しもが感心してしまうはずだ。


『丕緒の鳥 十二国記』/小野不由美

『丕緒の鳥 十二国記』/小野不由美

なんと12年ぶりのシリーズ新刊。前作『華胥の夢』を読んだときには、俺もまだ高校生だったもんな…。はっきり言って、もう「十二国記」の新刊が出ることなんて期待すらしていなかったのだけれど、いやー、やっぱり安定のおもしろさだった。今後、さらに書き下ろし長編も出るとのことなので、それまでに以前の作品も読み返しておかなきゃ、とおもった。

本作は短編集で、「丕緒の鳥」,「落照の獄」,「青条の蘭」,「風信」の4編が収められている。各編に共通しているのは、荒廃した国における民の生活や小役人の苦悩みたいなものを切り取ったスケッチ的な内容で、王や麒麟など、いままでの作品で主役を張ってきたキャラクターたちが完全に背景に回っている、ということだろう。つまりこれは、シリーズものにありがちな、「世界観に厚みを与え、そのリアリティをより確かなものにするための、幕間的な巻」というやつであって、物語のメインプロットが進められるわけではないのだ。

12年ぶりの新作が幕間の話かよ!って肩透かし感は少なからずあるものの、各短編はどれももれなくおもしろい。「十二国記」はシリーズを通して外れがない――というか、和製のファンタジーのなかでこれよりクオリティの高い作品というのは、あまりないんじゃないかとおもう――けれど、今作においても、世界観の緻密さや物語の構成、扱われるモチーフや描かれるドラマのおもしろさ、キャラクターの立ち具合など、エンタテインメント小説として求められるもろもろの要素は、総じて高いレベルにあるように感じられた。

たとえば、世界設定の細密さというところで言えば、タイトル作の「丕緒の鳥」で扱われる、「陶鵲」なる儀式についての説明。これなんて、いかにも幻想小説、という感じのたのしさがある。

大射とは国家の重大な祭祀吉礼に際して催される射儀を特に言う。射儀はそもそも鳥に見立てた陶製の的を投げ上げ、これを射る儀式だった。この的が陶鵲で、宴席で催される燕討は、単純に矢が当たった数を競って喜ぶという他愛ないものだが、大射ともなれば規模も違えば目的も違う。大射では、射損じることは不吉とされ、必ず当たらねばならなかった。射手に技量が要求されることはもちろんだが、陶鵲のほうも当てやすいように作る。そればかりでなく、それ自体が鑑賞に堪え、さらには美しく複雑に飛び、射抜かれれば美しい音を立てて華やかに砕けるよう技巧の限りを尽くした。果ては砕ける音を使って楽を奏でることまでがなされる。(p.17,18)

打ち出された陶鵲を順次射ていくと、砕けて立てる音が連なって楽になる。大編成の楽団が奏じる雅楽なみの音を鳴らすため、三百人の射手を居並ばせたものだ。御前の延を色とりどりの陶鵲が舞う。舞ったそれを射ていくと、大輪の花が開くように砕け、磬――石や玉で作った楽器――のような音色がして、豊かな楽曲が流れる。音程を揃えようとするとどうしても芳香をもたせることができず、足りない香りを補うため、周囲には六千鉢の枳殻を用意させた。(p.18)

各短編の主人公たちは、厳しく苦しい時代を生きるなかで、己に与えられた「役割」について悩みながらも、それを真摯に、そして必死にこなしていく。その「役割」は、個人が背負うにはあまりにも重過ぎるものであったり、あるいは逆に、誰かの役に立つようには到底おもえないものであったり、まあ各人各様ではあるのだけれど、とにかくそれこそが「いま、自分がやるべきこと」なんだ、と心に決めて取り組んでいく。そういった場面において重要になってくるのは、「役割」の価値だとか意味だとかいったものではない。ただ、それが自分に責任のある「役割」なんだと強く感じられるということ、その感覚そのものこそが大切なのだ…というようなテーマが全編を貫いているように感じられる。

そういう意味では、本作は主人公こそ小市民になっているけれども、シリーズのいままでの作品と同様、「全体における個の役割」だとか、「与えられた役割のなかで、人はいかに生くべきか」などといった葛藤が扱われた物語だと言うことができるだろう。そして、その物語はファンタジーとしてじゅうぶんなリアリティを備えた、骨太なものになっているようにおもう。


『空飛ぶ馬』/北村薫

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

北村薫のデビュー作。たしか高校生の頃に一度手にとったことがあって、そのときはこの女子大生の一人称文体が”作り過ぎ、狙い過ぎ”なようにおもえてしまった――こんな”文学少女”然とした子、どこにいるんだよ!?って――のだけれど、今回はわりと素直な気持ちで読むことができた。

物語の語り手は、女子大生の「わたし」で、探偵役は噺家の春桜亭円紫師匠。物語は、「わたし」の日常生活のなかで起こったちょっとした事件を円紫師匠が解き明かしていく、って形式だ。事件といっても、基調にあるのはあくまでもふつうな19歳の「わたし」の日々のいろいろであるわけで、小さな疑問や思い違い、ささいなハプニングといったものが主なトピックとして取り扱われている。謎解き自体はなかなか強引な感じのものも多いけれど、これはトリックで読者を引っ張っていく作品ではないわけで、まあこれはこれでいい、とおもわされてしまうようなところがある。なにしろ、殺人も密室も、警察も出てこなければ、はっきりとした悪人だってひとりも出てこないミステリなのだ。

性別不明の覆面作家として本作を発表しているだけのことはあって、北村の文章はとてもみずみずしく、清潔で透明。とにかくやたらとさわやかなのだ。女子大生らしいリアリティがあるかと言われれば正直微妙な気がするけれど、この透明感、19歳の「わたし」らしい、ポジティブで温かい人間へのまなざしこそが作品の肝になっているのは間違いない。本作を特徴づけるキーワードは、”「わたし」の日常”と、”人間を肯定する温かいまなざし”といったところになるだろう。

そういえば、昔読んだときには、この”さわやかさ+ヒューマニズム”ってコンボがどうにも生ぬるくおもえてしまって、気に食わなかったのだった。いつの間にかこういう感覚を素直に受け入れられるようになっている自分に少し驚いて、あたりまえだけど、人って変わっていくのなー、なんておもったりもした読書だった。


『甲賀忍法帖』/山田風太郎

甲賀忍法帖  山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)

山田風太郎ってはじめて読んだのだけど、これって忍者版のジョジョだったんだなー、とおもった。たとえば、こんなところがとてもよく似ている。

・いろいろな人知を超えた能力(忍法)を持った忍者たちが、ふたつの陣営に分かれて争う。

・登場人物は大勢いるけれど、いざ戦う、ってときには大抵は1対1(多くても2対2くらい)。

・能力発動時の描写は、大抵ちょいグロい(全身から血が噴き出る能力とか、食道に隠し持った槍を口から勢いよく発射する能力とか…)。

・絶対最強、っていうような能力はなくて、お互いの能力を潰し合うための駆け引きに重点が置かれている。

・あるキャラと対峙していたときには圧倒的な強さを見せつけていたはずのキャラが、意外な相手に簡単にやられてしまったりする。

…うーん、まさにジョジョって感じだ。あと、話の大筋、背景なんかはかなりざっくりとしていて、戦闘シーンがほとんど、ってところなんかもよく似ている。

や、上記のようなことは、両作品を読んだことのある人なら誰でもしっていることだとはおもうのだけど。ジョジョのあの作風は、こういうところからも影響を受けてたんだなー、と改めて気づかされたのだった。違いは、山田風太郎の方がいくぶんエロい、ってところくらいじゃないだろうか。例えばこんなところは、いかにも伝奇小説って感じがする。

薬師寺天膳は、陽炎の襟をかきひらき、裾をかきひらいた。風にあおられて横になびくあぶら火に、女の肌は雪のように白くひかった。すでに陽炎はあたまをがっくりとうしろにたれ、せわしく息をきざみながら、ほそくくびれた胴は弓なりになって、天膳の指の愛撫にまかせている。

「陽炎、陽炎」

天膳は、陽炎が敵であることを忘れた。いや、陽炎は自分を味方と思っているはずだが、じぶんが化けていることも忘れた。彼は忍者たる意識をすらにごらせて、ただ一匹の獣と化して、この美女を犯しはじめた。

陽炎はもだえて、足で天膳の胴をまいた。腕が天膳のくびにまきついた。ぬれて、半びらきの唇が、天膳の口すれすれに、こころよさにたえかねるようなあえぎをもらした。甘ずっぱい杏の花に似た香りが、天膳の鼻口を包んだ。――とみるまに、女の方から狂的に天膳の口に吸いついてきて、やわらかにぬれた舌がすべりこんできた。

――一息――二息――充血していた薬師寺天膳の顔から、すうと血の気がひいて、ふいに手足がぐたりと投げ出された。そのからだをはねおとして、陽炎は立ちあがった。

ニンマリとして、陽炎はしばらく天膳の姿を見おろしていたが、やおら天膳の立ちをぬきはらい、左右の頸動脈を切断してから、その血刃をひッさげてあるき出した。(p.282,283)

まあともあれ、俺はそこそこたのしく読むことができた。ただ、世間で言われている程むちゃくちゃおもしろい、とまではおもえなかったのも正直なところ(忍者の数が多過ぎて、描写が散漫になっているきらいがあるようにおもった)。いちおう、もう何作品かはチェックしてみようかとおもう。


『応答せよ巨大ロボット、ジェノバ』/杉作J太郎

応答せよ巨大ロボット、ジェノバ

サヨウナラJ文学、

そして今、J太郎文学

坪内祐三の推薦文が書かれた帯(↑)が衝撃的な本作だけど、これはなんていうかもう、ほんとにかなりしょうもない小説!なにしろ、J太郎氏本人がモデルとおぼしき40がらみのおっさん(元・プロレス実況解説者)が、宇宙人の侵略から地球を守るための地下組織に入り、最終的には巨大ロボットに乗り込むことになる、ってのがメインプロットなのだ。その流れのなかで、巨乳でアニメ声のグラビアアイドルやら、落ち目のプロレス団体やら、おっさんのオナペットやら、迫りくる死の予感やらが代わる代わるに描かれていき、やがておっさんは自分の物語を見出していくことになるのだが…!って、まあとにかくとってもふざけたごった煮のストーリーなのだけど、ふざけてしょうもないがゆえの切実さみたいなものもたしかにあったりして、なかなか油断できない作品に仕上がってしまっている。

物語、ファンタジーとは、現実を生き抜くための装置だと俺はおもっているのだけど、本作の主人公たるおっさんにとっても、やはり物語は生きるよるべであり、自らの生に意味を付与するほとんど唯一の存在となっている。物語はばかばかしいが、我々が本当に追い詰められたときに頼ることができるのはせいぜいそんなものでしかない。J太郎文学で取り扱われているのは、そんなばかばかしさにまつわる悲喜劇だと言えるだろう。

斬新なところ、はっとさせられるようなところがある訳ではないのだけど、書くべきことはここにじゅうぶんに書かれている、という感じがしなくもない一冊だった。鬱屈したすべての男子のための、たしかにこれは文学足り得ている…のかもしれない。

酔った。

久しぶりの酒に酔った。

たまらなく誰かと話したいと思った。何でもいいから話したい。なにを話そう。

山並はポケットの中の携帯電話を握りしめた。だが電話をする相手がいない。地球外からの攻撃で人類は危機に直面しようとしている。人はいま、誰か頼れる人と身を寄せ合っているのだろう。

家族もない。

妻も子供もいない。

ともだちもいない。

山並みはいまひとり、ここにいて、連絡する先がひとつもない。(p.218)


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