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『カウント・ゼロ』/ウィリアム・ギブスン

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『ニューロマンサー』に続く、スプロール3部作の2作目。『ニューロマンサー』や『クローム襲撃』に比べて文章はずっとすっきりしているし、設定は基本的に前作を踏襲しているしで、だいぶ読みやすくなっていた。俺自身がギブスンの文体に慣れてきた、ってこともあるのかもだけど、とにかくいままでよりずっとスムーズに読み進められたようにおもう。

舞台は前作の7年後。3人の登場人物(傭兵のターナー、ハッカーのボビイ、美術商のマルリイ)の視点から描かれるストーリーが平行して進行し、最終的に一本に絡み合う、という構成になっている。『ニューロマンサー』で始まった、サイバースペース内における新たな種類の人工知能の誕生に関連した物語が少しずつ展開されていくわけなんだけど、2作目ってことでインパクトに欠ける分、内容的にはちょっとぱっとしないというか、まあそんなに見るべきところはないかな、って気もしてしまった。ただ、この作品においては、いままでのわかりにくい隠喩が減って、代わりにシンプルに美しい文章が多くなっている。そこがすきだった。

しかしマルリイは箱に引きこまれていた。箱は、どうしようもない隔りを、喪失と憧憬とを喚起するのだ。地味で優しく、どことなく純粋だ。中には七つの物体があった。

ほっそりとした中空の骨は、きっと空を飛ぶための形であり、きっと何か大型の鳥の翼の一部だろう。古風な配線版三枚の表面は黄金の迷路になっている。なめらかな白い球体は、焼き固めた粘土。年代を経て黒ずんだレースの端切れもある。指ほどの長さのかけらは、マルリイの見るところ人間の手首の骨だが、灰色を帯びた白で、そこになめらかに埋めこまれた小さな計器のシリコン軸は、きっと皮膚面と同じ高さだったに違いない――ただ、その表面は焼け焦げて黒くなっている。

この箱は、宇宙を、詩を、人間の経験の限界に凍りつかせたものだ。(p.33,34)

全体の印象としては、地味で渋くて、でもどことなくウェット、という感じ。設定は派手で映像的でもあるんだけど、いちばん大事なところはとても比喩的で詩的で、ギブスンって結構繊細な小説を書くんだなー、なんておもったりした。


『ニューロマンサー』/ウィリアム・ギブスン

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

「サイバースペース」ってことばを発明したウィリアム・ギブスンの長編第一作目にして最も有名な作品。以前読んだときは、あまりの文章のわかりにくさに途中でくじけてしまったのだけど、短編集『クローム襲撃』を読んでから再挑戦してみると、わりにスムーズに読んでいくことができた。いくつかのキーワードがなんとなくでも理解できるだけで、かなり読むのが楽になるみたいだった。

とはいえやっぱり文章はすっきり明快とはいい難い。たくさんの用語が説明なしに出てくるし、ハードボイルドの手法に則って描かれた小説なので、キャラクターの心理描写も最小限。おまけに単純な景色をやたらに凝った言い回しで描写したりするものだから、読んでいくのに結構な集中力が必要だった。ギブスン独特のややこしい比喩がうまく決まっているところはたしかにかっこいいのだけど、単に難解になっているだけじゃ…?っておもえるような部分もちょいちょいあったような気がする。

ただ、この冒頭の一文のつくりだすイメージは文句なしにかっこいい。鮮烈。

港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。(p.11)

まあ、ムーブメントを巻き起こして一時代を築いた作品だから、どうしても古臭くおもえるところはある。作中で展開されるサイバースペースのイメージは、いまとなってはもうすっかり使い古されているし、ハードボイルド調の文体からもなんだか時代が感じられる。だから、この小説に古典としての力強さがあるのは、いわゆるサイバーパンク的な小道具のいろいろが登場するからなのではなくて、テクノロジーが発展していくことで社会はいかなる変化を被ることになるのか、っていうようすをギブスンが明確に描き出すことに成功しているからなんだろうとおもう。世界はひたすらに混沌としたネットワークであり、人間の欲望はテクノロジーの力を借りて無限大にまで引き伸ばされている。当然そこでは善悪のような単純な二項対立などは存在し得ず、人はとにかく持てるリソースを最大限に活用しながら荒んだ世のなかを生き延びていくしかない。そんな不穏かつ肥沃な未来のイメージはちょっと不気味で、そしていまでもなかなかに魅力的だった。


『クローム襲撃』/ウィリアム・ギブスン

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最近、いわゆるサイバーパンクの原点、っていうので超有名な『ニューロマンサー』を読んでいたのだけど、文章のあまりの読みにくさに挫折してしまい、じゃあ先に短編でも読んでみようか、とおもってこれを借りてきた。

で、ちょっとおもったんだけど、ギブスンの作風ってあまり短編向きじゃないんじゃないだろうか。いろんな用語が説明なしに飛び交いまくるところとか、意味がちゃんと通ってるんだか通ってないんだかよくわからないフレーズが平気でがんがん出てくるところなんかは、『ニューロマンサー』も同様だったから、まあこういう読みづらい文体なのかな、っておもうくらいなんだけど、短編ひとつひとつのなかで、アイデアがいまいち消費しきれていない感、その世界観を十分に活用できていない感が強いようにおもえて。わりと単純なストーリーが地味に展開していくだけの作品が多いような気がして、なんか鮮やかさに欠けるなー、なんておもってしまった。単に荒削りなだけかもしれないけど…。

そんななかでも、わりとおもしろく読めたのは、「ガーンズバック連続体」、「冬のマーケット」、「クローム襲撃」あたり。

シミュレーター・マトリックスの無色の非空間(ノンスペース)には、データの塔や広場がつらなっている。大量のデータ処理と交換を便利にするための、電子工学的な共感覚幻想。堅気のプログラマーには、自分の職場をとりまく氷(アイス)の壁を見る機会はない。その影の壁は、彼らの作業を他人の目から――つまり、産業スパイや、ボビイ・クワインのようなハスラーの目から――隠すためにある。(「クローム襲撃」p.290)

肉体のないおれたちが、カーブを切って、クロームの城へ突入する。ものすごいスピード。まるで侵入プログラムの波頭、突然変異をつづける似非(グりッチ)システム群が泡立つ上で、サーフィン・ボードの先にハングテンで乗っかっているようだ。意識を持った油膜となって、おれたちは影の通廊の上を流れていく。(「クローム襲撃」p.294)

意識を持った油膜、っていうのがいいなー。

あと、ブルース・スターリングがこの本に序文を寄せていて、それがなかなかかっこよかった。

もし詩人が認知されざる世界の立法者であるとすれば、SF作家はその宮廷道化師だ。われわれはとびはねてまわり、予言の言葉をもらし、人前で身をかきむしることのできる賢い愚者である。壮大な考えをもてあそぶことができるのも、パルプ雑誌にルーツをもつけばけばしい雑多さのおかげで、われわれが人畜無害に見えるからだ。

そしてSF作家には浮かれ騒ぐ機会がたっぷりとある――責任のない影響力をもっているからだ。われわれのことをまともにとりあげるべきだと考える人間などほとんどいないが、それでもわれわれのアイディアは目に見えずにふつふつと煮えたぎりながら、背景輻射のように、文化に浸透してゆく。(p.5)


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