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「小波瀾」/アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

チェーホフには、子供を描いた作品に素晴らしいものがたくさんあるけれど、今作もなかなかいい。小さな男の子アリョーシャは、家にやってきた母親の浮気相手の男に、「ぼく、じつはこっそりパパと会ってるんです。でもでも、このことはママには内緒にしておいてくださいね」って話をする。「言うわけないさ」と男は安請け合いするが、話を聞いているうちに、どうやら自分のことがずいぶん悪く言われているらしいと気づく。憤った男は、アリョーシャとの約束をいとも簡単に破ってしまうのだった。

この男の子、アリョーシャについての描写がとにかくいいのだけど、たとえばこんな辺りはいかにもチェーホフらしいな、っておもう。

「やあ、今晩は、先生」とベリヤーエフは言った、「君だったのか。ちっとも気づかなかったなあ。お母さんは丈夫かい?」

アリョーシャは右手で左足の踵をつまみ、頗る不自然な姿勢になったかと思うとくるりと引っくり返り、途端に飛びあがって房の一ぱいついた大きなランプの笠の陰からベリヤーエフの顔を覗きこんだ。(p.30)

あー、たしかにちっちゃい子供ってこういうわけわかんない動きするよね!って感じだ。チェーホフの場合、こういう描写が何かを暗喩していたりすることはあまりないのだけど、そのかわり、描写の具合がいちいちすごく的確なんだよなー。そういうところがとにかくいい。で、上のところに続く文章がこれ。

「さあ何て言うのかなあ?」と少年はちょっと肩を揺すって答えた、「本当を言うと僕のママはいつだって丈夫じゃないんですよ。ママは女でしょう、ところが女ってものは、ニコライ・イーリイッチ、しょっちゅうどこかしら痛いんですよ。」(p.31)

あはは、おかしいなーここ。前の、いかにも子供っぽい動作の描写から、ちょっとオトナぶった、いっぱし気取りの、この台詞。このリアリティ。ニュアンスをうまく汲んだ訳も絶妙で、いいねーこういうの、って俺はにやにやしてしまう。

カシタンカ・ねむい 他七篇 (岩波文庫)


「かき」/アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

「ぼく」は父親とともに、物乞いをするために街角に立っている。ああ、お腹が空き過ぎてもう倒れそう…ってときに、ふと「かき」という文字が目に入る。「かき」っていったいどんな食べものなの!?「ぼく」は食欲に刺激された想像力を駆使して「かき」をおもい浮かべるのだったが…!

ってあらすじの、チェーホフ流のユーモアが炸裂した快作。たった9ページの短編だけど、9ページが9ページともおもしろい。

「かき」を想像する「ぼく」。

「とうちゃん、かきってなあに?」と、ぼくはくりかえす。

「そういう生きものだよ。……海にいるな……」

ぼくは、とたんに、この見たことのない海の生きものを、心の中でえがいてみる。それは、きっと、さかなとえびのあいのこにちがいない。そして、海の生きものというからには、それを使って、かおりの高いこしょうや月桂樹の葉を入れた、とてもおいしい熱いスープだの、軟骨を入れたややすっぱい肉のスープだの、えびソースだの、わさびをそえたひやし料理などをこしらえるにちがいない。……ぼくは、この生きものを市場から運んできて、大いそぎできれいに洗い、大いそぎでおなべの中に入れる光景を、ありありと思い浮かべる。……大いそぎで、大いそぎで……みんな、早く食べたがっているのだから。……とっても食べたがっているのだから!料理場から、焼きざかなや、えびスープのにおいが、ぷんとにおってくる。(p.22,23)

うーん、素晴らしい。俺なんかはもう、読んでいるだけでちょっと幸せな気分になってしまう。まず、ひらがなをいっぱいに使った訳が素敵だし、”さかなとえびのあいのこ”、”とてもおいしい熱いスープ”、”わさびをそえたひやし料理”なんて字面は、ああもう、そんなのぜったいおいしいに決まってるじゃんね!って感じだ。そうして極めつけは、「……大いそぎで、大いそぎで……みんな、早く食べたがっているのだから。……とっても食べたがっているのだから!」このテンション!

そんな奔放な「ぼく」の想像力だから、悪いほうに振れていく勢いだってすさまじい。

「とうちゃん、かきって精進料理なの、それとも、なまぐさ料理なの?」と、ぼくはたずねる。

「生きたまま食べるのさ。……。」と、父が言う。「かめのように、かたいからをかぶっているんだよ。もっとも……二枚のからだがね。」

おいしいにおいは、とたんに、ぼくのからだをくすぐるのをやめ、まぼろしは消えうせる。……なんだ、そうなのか!

「おお、いやだ!」と、ぼくはつぶやく。「おお、いやだ!」(p.24)

…2回繰り返すんじゃねえ!って、ついつい言いたくなってしまう。”なまぐさ料理”って言葉もすごいけど、この「おお、いやだ!」は本当にすごい。俺は何回読んでも吹き出してしまう。

カシタンカ・ねむい 他七篇 (岩波文庫)


「嫁入り支度」/アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

カシタンカ・ねむい 他七篇 (岩波文庫)

どうやら没落貴族であるらしい、とある母娘のもとを訪れた「わたし」。時が止まったかのような小さく暗い家のなか、彼女たちは”嫁入り支度”と称して、ひたすらドレスを縫ったり刺繍をしたりして過ごしていた…!

ちょっとユーモラスな語り口で、ことの顛末が淡々と語られていく、ただそれだけの話なのだけど、ドライとウェットのバランスが絶妙でいい。ラスト1ページなんて、ちょっとホラー的な趣もあったりして、ひねりも効いている。

来る日も来る日も、母娘はせっせと衣装作りに励んでいるわけだけど、その衣装の山を「わたし」に見せようというシーン、その、少し可笑しくも、もの悲しいことといったら!

マーネチカは、一瞬間その内気さを捨てて、パパへの贈物に自分で刺繍していたタバコ袋を見せてくれた。わたしが、彼女の手なみにさも感服したような顔をすると、彼女はまた赤くなって、何やら母親の耳へささやいた。母親もぱっと顔を輝かせて、わたしを納戸へ案内しようと言いだした。納戸へ行って見ると、大きなトランクが五つほどと、それに小さいトランクや箱がどっさりあった。

「これ……嫁入り支度ですの!」と、母親はわたしにささやいた。――みんな、うちで縫いましたのよ。」

その陰気なトランクの山を、ちょっと眺めて、わたしは愛想のいい女主人たちに別れを告げはじめた。またいつか訪ねてくるように、ふたりはわたしに約束させた。(P.13,14)

衣装の山を見せられた途端に帰ろうとするところは、ちょっと笑えるし、”さも感服したような”とか、”陰気なトランクの山”とか、「わたし」が冷静なところはわびしさを誘う。とはいえ、チェーホフは、この母娘のことを笑いものにしているわけでも、また、哀れんでいるわけでもないようだ。ただ、誰も訪れることのない暗い家の窓際に、少しずつ埃が積もっていくような、どうにも避けようのない停滞感と、うっすらとした悲しみだけが作品全体を覆っている。

他にも、珍しい訪問者である「わたし」に母娘がフランス語の会話を”さりげなく”披露しようとするシーンなんかもちょっといい。なんていうかこの母娘、控えめなんだよね、とても。


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