カテゴリー ‘ 雑記

アイ・マイト・ビー・ロング

5.26

火曜日。朝目覚めると身体の節々が異常に痛い。やばっ、とおもって起き上がると頭も痛い。どうやら完全に風邪だ。運悪く薬がなにもないので、ふらふらしつつも気合で家を出る。

きょうの研修はゆるゆるだったから助かったのだけど、ちゃんと栄養をとらないとやばい…とおもい、夕飯ではキムチを食べまくった。

5.27

水曜日。風邪薬も飲んだので、なかなかすっきりした気分で一日を過ごす。帰り道、キオスクに置いてあるスポーツ新聞の見出しで、中島梓/栗本薫が亡くなったことを知った。かなりショック。『グイン・サーガ』は中学の頃に熱心に読んでいたのだけど、これさえ読んでたらもうそこらのエンタテインメント小説なんて必要ないよなー、なんてかんがえていたのをおもい出した。いつか完結したら、老後のたのしみに全巻読みなおそうとおもってたのに…。ほんとにショックだ…56歳なんて、若すぎるよ…。心から冥福を祈りたい。

5.28

木曜日。あれ、なんだかまた風邪がぶり返してきていて、だるい。でもきょうの研修はかなりゆるかったので助かった。

昼休み、村上春樹の新作を手に入れようと本屋に走るも、上巻だけ売り切れており、買えず。うう…と悲しみを引きずりつつ、午後の会議に臨んだ。

そうして帰りにようやく『1Q84』上巻を入手、わーい!ってよろこびつつ帰宅するも、体調がまたまた悪化し、ダウン。読めず。

5.29

金曜日。本格的に体調が悪い。昼休みにしっかり睡眠をとったりして、なんとか乗り切れた。飲みの予定はキャンセルする。

夜、ベッドのなかで『中原昌也作業日誌』を読んでいて、「とにかくCDとレコードをわけがわからないほど買いまくって、それを家で聴いていないと、まともに生きていられないとしみじみ実感。最悪なライフスタイルなのはわかってる。(p.148)」という文章になぜか激しく共感。

5.30

土曜日。午前中、友達と楽器の練習。まだ合わせは2回目だけど、結構かたちになるもんだねーと話す。充実した週末の朝、って感じでよい。

が、そんな無理をしたせいか、昼あたりから体調が最悪に。熱のど鼻にルルが全く効かないのはもちろん、頭痛の激しさなどもはや未体験ゾーンに達しており、こ、これは本気で死ぬんじゃないか…とか、ひとりノーフューチャー感を満喫。

せっかくの休みをまたしても寝て過ごしてしまって悲しい。あしたまでには絶対に治す!と心に誓う。

5.31

日曜日。朝の5時頃目が覚めると、熱は下がっていたものの、頭と喉がまだまだ痛い。おいおい、いい加減頼むわー、と自分に毒づきつつ、寝たり起きたりを繰り返して午前中を過ごす。

あしたはちょっとした記念日なので、気合いをふりしぼり、午後はそれ用の買い物に行くつもり。


ハング・オン

5.23

土曜日。まったく、今週はむちゃくちゃハードだった。会社の研修の詰め込みっぷりは本当に容赦ないとしか言いようがなくて、毎日9時10時とかまで残って勉強してやっと、という感じだったし、家に帰ったら帰ったで、しばらく距離をおくことにしよう、ってなっている彼女のこととか、精神状態が不安定過ぎな友人のことで切なくなったりおもい悩んだりしては、眠れぬ夜を過ごして目の下にくっきり隈をつけたりしていた。同期の子からも、ねえ最近なんか無理してない?夜とかちゃんと寝てる??とか言われたりして、うーん結構きてるかもなー、なんておもったり。

でも、きょうは休日。ようやく一息つくことができた。昼ごろ、中野の駅前通りを歩きつつ、iPodのイヤホンから流れてくるTeenage Fanclubの”Hang On”を聴いていたのだけど、イントロのT-Rexまんまのぶ厚いギターのリフが甘くとろけていってそこにジェラルド・ラブのボーカルが入ってくるあたりで、ふいに音が身体じゅうに染み渡ってきて、この頃すっかりおもい出せなくなっていたような安心感、平穏で肯定的な感覚に全身が包まれたのだった。

それは鳥肌が立っておもわず震えてしまうような激しい感覚であるのと同時に、ひさびさに心から笑顔になれるような感じでもあって、あ、俺いますっごい感動してる、この感じがあればきっとまだ頑張れるな、もっと強くならなきゃだめだな、なんて本当に素直におもった。音楽って、苦しいときにいつもすがれるような容易い存在じゃないけど、タイミングさえ合えばちゃんとその生のエナジーを感じさせてくれるんだな、とか、そんな恥ずかしい感じのこともちょっと本気でおもった。

I’ve been bought and I’ve been sold

And I’ve forgot what I’ve been told

And now I need someone

Of all the stars I’ve ever seen you’re the sun

Hang on,hang on

Hang on,hang on

元気が出てきたところで、なかなかがっつりと勉強。見舞いに行った病院で2時間、サイゼリヤで3時間、家に帰って1時間、ってまるで受験生みたいだ、とおもってひとりでわらってしまう。

5.24

日曜日。朝の10時から会社の友人と集まってファミレスでひたすら勉強。こんな休日ばっかになるなんて学生のころは想像もしてなかったなー、とおもいつつも、夕方5時くらいまで粘る。

その後、人数は減りつつもマックに移動して、結局夜10時半くらいまで勉強し続ける。何かおかしい気がする…とはおもうものの、このくらいやらなきゃサバイヴできそうにない、っていう外資の恐ろしい空気を日々味わっているので頑張った。まあ、もちろん合間合間ではくだらない話をしたり(こんどさー、生と死について語り合わん?ドストエフスキーすきなんでしょー?んーそだね、語り合おうかー)、リストラ/減給の恐怖について愚痴りあったりしていたのだけど。

帰り道、激し過ぎる雷雨に遭遇、びしょびしょになって帰宅する。去年の夏のゲリラ豪雨をおもい出して、なんだか切ない気分になった。

5.25

月曜日。会社に行って友達に会うなり、いやー疲れ取れないねー、といってわらい合う。この、全身をくまなく覆う疲労感。とはいえ、だいたいいつも疲れてる、って感じにもそろそろ慣れてきた気がする。

きょうこそ土日の勉強の成果を…!と挑んだテストだったけど、おもったより苦戦。まあそういうこともある。夜、家に帰ってくると妙に頭が痛い。どうやら熱もあるっぽいし、また風邪をひいたのかもしれない。なんだかいまいちついていない一日だなーって軽くうんざりするも、帰って楽器の練習をしていると少し気分が晴れてくる。まったく、音楽って大事。

サーティーン


間違った時代に生まれても

保坂和志は『途方に暮れて、人生論』のなかで、こんなことを書いている。

人生とは本質において、誰にとっても、「遅く生まれすぎた」か「早く生まれすぎた」かのどちらかを感じるようにできているものなのではないか。つまり、個人が人生において直接経験することなんてたいしたことではないし、他人に向かって語るべきものでもない。/

どう表現すれば人に伝わるかわからないのだが、自分の人生においてすら、自分が当事者であることは些細なことなのだ。(p.19)

“遅く/早く生まれすぎた”感じ、というと、俺はビーチ・ボーイズの”I Just Wasn’t Made for These Times”をおもい出す(邦題が”間違った時代に生まれた”)のだけど、ジム・フジーリはこの曲について、『ペット・サウンズ』のなかでこう書いていた。

この曲を聴いたときに僕は思った。ああ、こんな風に感じているのは自分ひとりじゃなかったんだ、と。/この世界のどこかに、自分の感じていることをそっくりそのまま理解してくれる人がいて、その人もやはり自分と同じような感じ方をしているのだ。それは言いようもなく素晴らしい発見である。おまけにその人は、ただ同じことを感じているというだけではなく、実に適切にぴたりとあなたの感じていることを表現できるのだ。(p.101)

自分が直接経験することなんて大したことではない。保坂のそういうかんがえは、いまの俺にはとてもしっくりくる。なんだか最近、自分のようすを3mくらい上空から眺めているような気分になったりするのだ。けれど、それと同時に、フジーリがビーチ・ボーイズを聴いて感じていた気持ちもすごくよくわかる。自分の感じていることをそっくりそのまま理解していれる人がいて、その人もまた自分と同じように感じている、ってわかったときがたとえ一瞬でも存在したということ、それはやっぱり本当に素晴らしいことだったな、って強くおもう。

なぜってそういう瞬間があったからこそ、大したこともなく語るべきこともないような、不確定要素だらけで自分が当事者であることすらも些細なことであるような人生に、輝きとかよろこびみたいなものを見出すことができるのだから。きょう、そんなある瞬間のことが不意によみがえってきてぼんやりかんがえていると、保坂とフジーリの書いていることは決して対立するようなことじゃなくて、保坂のような認識がまずあって、その上でもなお素晴らしい発見っていうのはできるんだよな、べつに間違った時代に生まれてたっていいじゃんね、なんておもえてきて、会社帰りのバスのなかで、ひとりでうんうんうなずいてしまったのだった。

ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス) ペット・サウンズ 途方に暮れて、人生論


かきのきのてっぺんでひとり

金曜の夜から風邪をひいていて、いまだに治らない。土日をベッドのなかで過ごし、きょうは会社なので無理やり行くも、ふらふらしてしまってまるで頭が働いておらず、やばいなー頭痛いなーとおもっているうちに就業時間が終わっていた。夜は家に着くなり眠りについてしまったのだけど、ついさっき目が覚めて、そうだ、ひさびさに日記を書こう、となぜかおもい立ったので、PCを枕元に引き寄せて、いまこれを打っている。

だるい→頭痛い→薬飲む→寝る→起きる→お腹すいた→なにもない→だるい→頭痛い→薬飲む→寝る、っていうのを繰り返しているうちに週末が終わってしまったわけだけど、やっぱ病気で寝てると、ネガティブなことばっかりが頭のなかをぐるぐるしちゃってよくないよなー、とかすごくあたりまえなことを身に沁みておもった。なにしろ動けないで寝ているときって、時間の進みが普段の20倍くらい遅いのだ。あと、気持ちが暗くなると、うータバコ吸いたい…とかかんがえてしまって、それで吸うとまた体調が悪化する、なんて悪循環のループにはまっていて、俺ってどうしようもないなー、なんておもったりした。

そうそう、辛いときには『のはらうた』、って俺のなかでは決まっているので、きのうもぱらぱらとページをめくっては、うまく出ない声で音読していたのだけど、

おつきさま / わたしは いま / かきのきの / てっぺんで / ひとりです / あそびに / きてください

って、やまばとひとみ嬢のうたに激しくこころ揺さぶられてしまい、わかるよ、俺は、その気持ち、などとつぶやいてみたり、やっぱくどうなおこは天才だよねー、そうだよねー、なんてベッドのなかでひとりごちたりしては、なんだかちょっとだけうれしいような、でもやっぱり悲しいような、よくわからない気持ちになったりしていたのだった。

のはらうた (1)


さかなクンをリスペクトしよう!

俺はさかなクンをリスペクトすべきなのではないか。そうかんがえるようになったのは、柴崎友香特集の『文藝』で柴崎といしわたり淳冶(元SUPERCAR)が対談をしているのを読んだのがきっかけだった。対談のなかでいしわたりがカッコイイカッコイイって言ってやたらめったら褒めちぎっている人物というのが、さかなクンなのだった。

柴崎:じゃあ、均質化とか標準化にあらがうものって何だと思いますか?

いしわたり:さかなクンじゃないですか?さかなクンのかっこよさって、本当にカッコイイですよ。さかなクンになれるかっていうとなれないですよ。さかなクンこそ個性ですよ。さかなクンの話、絶対一時間以上聞けますもん。それが魅力なんじゃないですか?さかなクンの熱愛報道とかないですもんね。金目鯛が一番好きって言ってたので、お、金目っぽいなと思ったりするのかな?って思うんですけど(笑)。

柴崎:彼女の写真が出たら、金目鯛っぽい!みたいな(笑)。

いしわたり:ある意味KYとしてくくられるようになっちゃってるのかもしれないけど、俺からすればすごいカッコイイKYの状態で、そういう人が増えればもっと面白いと思うんです。さかなクンなんて絶対誰にも危害を加えないですよ。普通に魚が好きで、魚のことがいっぱい知りたくて、一生懸命生きてる。ものすごい正しい状態じゃないですか。すごいカッコイイなって思いますよ。ぼくは「え!?」って思いたいんですよ。「え!?」って思ったときにその人の個性を初めて知ることができる気がする。

うーん、いしわたり飛ばしまくってるなー。「均質化とか標準化にあらがうもの」の代表として、いきなりさかなクンを挙げてくる、ってあまりに斬新なこのセンス。このテンション。

そして、「さかなクンになれるかっていうとなれないですよ」、「さかなクンの熱愛報道とかないですもんね」、「さかなクンなんて絶対誰にも危害を加えないですよ」って、喋っているときのきらきらとした眼差しをすら想像させる熱いことばたちから伝わってくるのは、さかなクンのことを純粋にリスペクトする気持ちに他ならない。だいたい、こんなところでさかなクンのことがすっと出てくるのは、常日頃からさかなクンの動向を気にかけているからに違いなくて、そういう意味でもなんだかすごい。

だから俺は、いしわたりまじおもしろいなー、って感心して、まずはいしわたりの発言に「え!?」って言いたくなっていたのだけど…。

でも言われてみると、たしかにさかなクンってすごいかもしれない。よくよくかんがえれば、俺もいしわたりの意見にはおおむね同意できるんじゃないか?なんだかそんな気もしてくるのだった。

で、さかなクンについておもいをめぐらせてみると、たしかにポジティブな要素ばっかり出てくるんだこれが。さかなクンっていつも明るくて元気だし、魚のことなら何でも教えてくれるし、悪いことなんてしなさそうだし、なんてったって圧倒的な個性だし、なにかにつけ「ギョギョッ!!」とかシャウトしてるし、一時間のうちに100回くらい「え!?」っておもわされること請け合いだし、かんがえようによっては結構かっこいいのかもしれない。さかなクン、って名前からして、なんつーかこう、そのまんますぎであるがゆえの大胆不敵さ、みたいなものが感じられなくもないし。そういえば、さかなクンのプライベートなんてきっと誰もしらないし、ってことは、ほら、ミステリアスでもあるじゃん。あれ、なんか、やっぱりかっこいい気がしてきた…!ってなわけで、ここはひとつ、俺もさかなクンをがんがんにリスペクトしていくべきなのではないか、そうかんがえるようになったのだった。

文藝 2008年 11月号 [雑誌]


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