『リトル・チルドレン』

リトル・チルドレン [DVD]

1週間くらい前に、早稲田松竹にて。これはすっごいいい映画!これこれ、こういうのを俺は見たかったんだよ!っておもったくらい。全体的に、やたらと伏線が多い(と感じさせる)構成になっていて、めちゃくちゃ緊張させられる。というか、見ていてこんなに脇汗をかいた映画は初めてだったかもしれない。タラッ、って冷たいのが脇の下を垂れていくのが感じられた瞬間、集中が解けて、あ、俺こんなに緊張して見てたんだ…、なんて気づいたり。そんなことが何度もあった。

ボストン郊外の高級住宅地を舞台に、ぱっと見はごくふつうな人々が秘めた、さまざまな欲望を描いた作品だ。オトナならば、やってはいけないこと。抑圧された欲望が暴発するそのさまが、シニカルに、でもどこか共感をこめた視線で映し出されている。

ストーリー的には、主人公の専業主婦(ケイト・ウィンスレット)と近所のイケメン専業主夫(パトリック・ウィルソン)との子持ち同士の不倫を軸に、刑期を終えて出所してきた小児性愛者(ジャッキー・アール・ヘイリー)の物語が絡んでいく、という感じ。退屈な日常こそがサスペンスに溢れている、っていうありふれたテーマだけど、それをとても高いクオリティで描いた作品だと感じた。

主人公が読書会で『ボヴァリー夫人』について語るシークエンスがあって、この映画の下敷きなっていることがわかる。ただ、この作品においては男も女も、というか登場人物みんなが多かれ少なかれエンマ的であるものとして描かれている。つまり、愚かで滑稽であるのと同時に、どこか崇高なところを持ち合わせているようでもあって、それがふとした瞬間に、見るものを惹きつける。

たとえば、ケイト・ウィンスレットが通販で赤い水着を買うシーンがあって、俺は何だかよくわからないけど胸を打たれた。その水着を着て、パトリック・ウィルソンが子供を連れて行ってるプールに行くようになって、不倫へと繋がっていく、ってところなんだけど。ああ、なんかこの感覚わかる、彼女を駆り立てているものをたぶん知ってる、って強くおもったのだった。

何が幸せで何が不幸なのか。ふつうであること、っていったい何なのか。成熟とか責任とか、オトナになるってのはどういうことなのか。もう、なんつーか、かんがえればかんがえるほどわからない。この映画は、リトル・チルドレン、なんて言って、“オトナになりきれない大人たち”を描いているわけだけど、彼らは特別な人でも何でもない。観客は彼らを、ほんとしょうもねえなあーこいつら、っておもいながら見ることになるけど、でもやっぱり単なる他人事として見ているだけじゃすまされない。だって、彼らの持つ欲望は確実に自分の内にだってあるものなんだし、それがどう暴発するかなんてわかったものじゃない。己を駆り立てる衝動を、うまく出したり引っ込めたり、なんとか抑制したり解消したりしながら生きていけるのがオトナなんだろうけど、なんか、まったく、生きるのって大変…、とかおもった。


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