『テラビシアにかける橋』(その2・ネタバレあり!)

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観客には、この物語のはじめから、いずれレスリーは死んでしまうか、突然ジェスの前からいなくなってしまうことになるだろう、ってことはわかっている(だって、そういうのって定番じゃん!)。わかってはいるのだけど、それでもノスタルジアを感じながら映画を見ているうちにジェスにすっかり感情移入してしまって、雨の中で2人が分かれてそれぞれの家に帰るシーンでは、「あー、レスリー死なないで!せめて急に引っ越すとかそのくらいにして!だって、そうじゃなきゃひどい!あんまりじゃん!」って祈りたくなるくらいになってしまう。や、なってしまう、というか、まあとにかく俺はそんな気持ちになって見ていた。

そのしばらく後のシーンで、レスリーの死を知ったジェスは、感情が高ぶって部屋に閉じこもってしまう。ジェスは、自分の部屋のドアの前に棚かなんかをずらして誰も入ってこれないようにするんだけど、夜中にお父さんがドアをむりやり開けて、棚をずらして、眠ってしまったジェスに毛布をかけにくる。俺はこの、ドアを開ける→棚をずらすときのお父さんの表情がすごくリアルだとおもった。なんていうか、ジェスに没入するようにして見ていて、でも、ふとそこで、あれ、これ親父じゃん、って感じたのだった。たしかに、いつのことだったか、ああいう場面でああいう表情をする親父を見た記憶があるような、って。

大人が自分の子供時代を振り返る、という動作のなかでノスタルジアは生まれ、それを反映させた視線で他の子供を見るとき、彼らの姿はとても眩しく映る。たぶん、この映画のいちばんの魅力はそこにある。

 *

映画館でもらってきた『シネコンウォーカー Mini』に載っていたインタビューでは、主演の男の子(ジョシュ・ハッチャーソン)が、「『テラビシアにかける橋』の原作は、アメリカでは小学校5年生ぐらいになると必ず読む本なんだ。」と言っていて、なるほどなー、とおもった。これはつまり、“大人が子供に聞かせたいとおもう物語”なわけだ。ストーリーの明快さや描かれるテーマの普遍性が、大人にそうおもわせる。こんなに感動的でしかもわかりやすい物語、ぜひ子供に聞かせてあげなきゃ!って。

でも、たぶん子供にとっては、これは大人がおもうほどすばらしい物語ではないんじゃないだろうか。たしかにこの物語は、子供の世界や視線をていねいに描き出している。けれど、大人はそのリアリティそのものにこころを動かされるのではない。ジェスやレスリーは、すでに失われたもの、過去へのノスタルジアが反映された、「大人の視線から見た子供」として描かれていて、この映画はそこが感動的なのだ。もちろん、この物語を作った大人は、そういうことがよくわかっているから(←たぶん)、あえてノスタルジアの方をとっている。

たとえば、レスリーははっきり言って天使みたいな存在として描かれている。つまり、ぜんぜん悪いところ、いやらしいところが描かれていない。でも、それは単にリアリティに欠けるって話ではなくて、この物語を描く視線がジェスにぴったりと寄り添っているからそう描かれている訳で、ジェスにとってレスリーは天使みたいな女の子だ、と言ってもいいかもしれない。で、大人が、つまりジェスのような子供でなくなってしまった人がこの映画でなによりぐっとくるのは、レスリーに天使を見ていたジェス、という存在なのだ。ジェスに感情移入して、なかば同化して映画を見ていくなかで、あの頃の感情を、レスリーを見ていたきもちをおもいだすわけだ。

とはいえ、もちろん、あの頃の感情、というのはすでに失われているのであって、子供時代のきもちや視線を取り戻すことなんて、どんな大人にも不可能だ。だから、「ジェスがレスリーを見ていたきもち」が本当の子供のリアルなきもちに基づいていようといなかろうと、そんなことはどうでもよくて、失われた感情を振り返るという行為のなかで、ノスタルジアを感じられる、そこにこそカタルシスがある。

この映画が呼び覚ます強烈なノスタルジアの源は、子供時代の感情そのものではなくて、それをおもい出そうとする過程のほうにある。なんて言うんだろう、過去の感情についての記憶こそが、喚起されるノスタルジアの主体になっている。そんな気がする。

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