『サマーバケーションEP』/古川日出男

サマーバケーションEP

ひたすら歩く、夏の一日(とちょっと)を描いた小説。人の顔を見分けることができず、その匂いや体温によって識別する“僕”は、井の頭公園で神田川の源流を発見する。“僕”は、偶然に導かれるまま、多くの人々との出会いや別れを繰り返し、あるときは少人数で、あるときは異様な大所帯のグループとなって、井の頭公園から東京湾まで、神田川に沿ってひたすら歩きつづける。

ストーリーの大きな展開などがあるわけではなく、主人公の見る景色の描写や、一緒に歩く人たちとの会話がひたすらに続く。主人公の視線は、たぶん一般に、透明とか純粋とか言われそうな類のものだ。

電車です。

正面に。

僕たちよりも、二、三メートル高いところに。それは京王井の頭線の、高架です。神田川を斜めに横切りながら、この井の頭公園のなかに通されています。

僕は反射的にさようならと思います。

夏の電車、さようなら。

クーラーの水をぽたぽた垂らしながら走行する電車、さようなら。(p.73)

僕たちは二人で橋を渡っています。川の上のひまわりを、二人の足で叩いて、だから四本の足で叩いて、その存在を確かめているみたいに。

左岸から、右岸に。

神田川の<ひまわりばし>を、僕とカネコさんが。(p.176)

正直、こういう主人公の感性とか視線のあり方の感じが鼻につくところもあるのだけれど、この小説のいちばんの魅力っていうのは、ちょっと別のところにあるようにもおもえる。それは、彼と行動を共にする人々の、ごくゆるい繋がりの感覚、とでもいうようなものだ。

主人公と共に神田川を下って歩いていく人々の数は、本当に自由な感じで増えたり減ったりする。彼らは皆、誰に何を強制されるわけでもなく、ただ、自分のきもちの向くままにグループに加わり、歩く。もちろん、グループから離れていくときだって、まったくの自由だ。共通の目的があるとすれば、それは海に向かってみんなで歩く、ということくらい。その目的のなかで、ちょっとした仲間意識というか、ゆるい連帯感、繋がっているという意識が生まれてくる、その感覚が、なんだかたのしい。

そういえば、まさにそんな感覚について書いてある文章を最近読んだのだった。湯山玲子『クラブカルチャー!』から、クラブのあり方について書いてある箇所を引用してみる。

いつの間にか始まって、もちろん踊ってよし、途中で帰っても、出たり入ったりしてもいい。本人の勝手がまかり通り、「気分の時間感覚」を愉しむエンターテインメント。

クラブ体験を重ねていくと、「定刻に始まり起承転結があるエンターテインメント」にどんどん違和感が増していくのである。

考えてみれば、人間死ぬときは皆バラバラだし、朝起きてすぐにおなかが空く人もいれば、そうでない人もいる。みんなが定刻に従わなければならない社会生活の方がよっぽどストレスがかかってくるわけで、クラブ時間への回帰は、人間の快感原則に適っていると言えるのではないか。(p.136)

明確な起承転結のなさ、出たり入ったりも自由、各々が勝手なスタイルでたのしみを見出していくのだけど、でもそのなかで人とのゆるやかな繋がりを感じられる瞬間もあって…、ということで、それって結構、この小説で描かれているノリ、ここちよさと共通する感覚なんじゃないかなーとおもった。

クラブカルチャー!

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