『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』/保坂和志

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

この本のなかに、

死者を丁寧に葬り、きちんと喪に服すというのは、人間が人間として存在するための条件なのだ。人間はただ生きているだけではなくて、死んだ後も含めた漠然とした広がりを含めて人間という存在になっている。だから、死にまつわる行事をないがしろにすることは、生きている人間をないがしろにすることと同じ意味になる。(p.128)

同級生が死んだときにそこに立ち止まっていろいろなことを考えるような高校生を社会は求めていず、すぐに“日常”に戻って勉強するような高校生の方が歓迎される、ということをあのニュースは語っている。(p.129)

という文章があって、たしか中学生のころ、岐阜に住んでいた祖父が亡くなったときのことをおもいだした。ちょうど、中間だか期末試験の前日だったんだよな、あれは。うちは横浜にあったから、岐阜まで行って通夜なり葬式なりに参加したら、まあ結構な時間がかかってしまう。それで、親に、テスト休むわけにはいかないでしょ、なんて言われて、結局葬式に行かせてもらえなかったんだった。

まあ、だからどう、って話でもないんだけど、俺の場合、“日常”に戻るどころか、“日常”からの逸脱すらしなかったのなー、あのときは。なんておもった。そのために自分のなかで死んだ祖父の存在がないがしろになっているかとか、ついでに生きている人間もどこかないがしろにしているとか、そんなことはもちろん、よくわからないんだけど。そのときに親に対してどんな感情を持っただとか、親戚みんなが岐阜で祖父の葬式をしているときに、中学生の俺は学校で試験を受けていて、それをどんなふうにおもっていたのかなんて、もうぜんぜんおもいだせないし。たぶん、そこに立ち止まっていろいろなことをかんがえる、なんてことはぜんぜんしなかったんだろうなー、ってなんとなく、ぼんやりとおもうだけだ。あー、俺ってむなしい。そんなことがあったのに、なんにも残っていないのか。からっぽじゃんね。なんていま書いてみても、実感できるのは、どこかぼんやりとした感情でしかなくて。だいたい、そんなこと自体、この本を読んだことで、ずいぶん久しぶりに意識にのぼってきたのだ。

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