『供述によるとペレイラは……』/ アントニオ・タブッキ

供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

しばらくまえに『インド夜想曲』を読んだときから、タブッキのふわふわと心地よい文体のことが気になっていて、『供述によるとペレイラは……』にも手を出してみた。本作におけるタブッキの文章は、ゆったりとして、装飾や比喩表現も控えめ、ほとんど簡素ともおもえるようなものなのだけれど、品がよくてなめらかで、なんだか読者をうっとりとさせてしまうような力を持っている。そのため、プロット的にはふつうのリアリズムであるにも関わらず、作品全体には、どこか遠くのなつかしい場所の幻影を眺めているかのような、夢見るような感覚が満ち満ちているのだ。詩的ってまさにこういうことね…って唸らされてしまう、すばらしい小説だった。

物語の舞台は1938年の夏、ポルトガルのリスボン。主人公は新聞記者のペレイラ、急な階段を上がっただけで息をきらせてしまうような肥満体のおっさんである。彼は、新聞社の文芸部でフランス小説の翻訳などをちびちびと行い、昼ごはんには香草入りのオムレツを食べ、レモネードを飲み、夜は死んだ奥さんの写真にきょうのできごとを語りかける…という静かな生活を送っていたのだけれど、ふとしたことである青年を原稿書きのバイトとして雇うことになる。若気の至りのかたまりのような青年に対し、そこはかとない親しみをおぼえるペレイラだったが、彼の送ってくる原稿は反ファシズムの強烈な匂いがするものばかりで、とうてい新聞に掲載できるようなしろものではない。そんな青年に若干うんざりしつつも、ペレイラはなし崩し的に政治活動に巻き込まれていくことになるのだが…!

青年はファシズムに対する抵抗運動にのめり込んでいるので、物語は少しずつきな臭さを増していくことになるのだけれど、作品の主軸は政治的な部分にあるわけではない。本作で取り扱われているのは、ペレイラというひとりのおっさんの、たましいの遍歴、再生の物語なのだ。…といっても、とくに劇的な事件が次々に発生するというわけではない。作中で発生するイベントとしては、ペレイラが、何人かの人物と出会い、彼らとどこか瞑想的/哲学的な会話を交わす、というくらいなのだ。

浴槽に水がいっぱいになるのを待って、そのなかに浸った。水に浸っているあいだ、彼はながいこと腹をなでていた。それから、じぶんにむかって、いった。ペレイラよ、以前のおまえは、こんなみじめな暮しをしてはいなかったな。そして体をふくと、パジャマを着た。それから玄関に行って、妻の写真の前に立つと、いった。今夜、モンテイロ・ロッシに会う。どうしてぼくは、あいつをクビにして、そのまま知らんぷりをしないのか、わからない。あいつはじぶんで問題をつくっていおいて、それをぼくのせいにする。そこまではわかったのだが、きみはどう思う?ぼくはどうすればいいのだろう。妻の写真は遠くを見るような表情で、彼にほほえみかけた。(p.67)

とつぜん、彼はアントニオ神父に会って話したくなった。彼になら、じぶんにはなにか悔むべきことがあって、それがなんであるかはわからないながら、じぶんが犯した罪を悔やむことに、郷愁をおぼえているのかもしれない、などと、打ち明けることができそうな気がした。いや、悔恨という考えそのものが、ただ気持よかっただけかもしれなかった。(p.97)

いくつかの出会いと別れのなかで、ペレイラは自分の内にいつしか生まれていた、ある感情に気がつくことになる。彼は長いあいだ、その感情をどう取り扱えばいいのか、その感情とどう向きあえばいいのかがわからないでいるのだけれど、物語の最後、悲劇的なクライマックスの訪れとともに、それを自らのものとすることになる。そんなペレイラのたましいの再生は、派手なアクションや、天才的なひらめきや、高らかに吹き鳴らされるファンファーレなどといったものとはまったく無縁な、ごくささやかな、地味な決断ではあるのだけれど、タブッキの美しい文章で描かれるそれは、作中でたびたび描き出されるリスボンの風景のようにきらきらとした輝きを放っており、読者の胸に忘れがたい印象を残すことになる。

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