『方法序説』/ルネ・デカルト(その2)

もちろん、いったいなにが真実であるのか、真実と誤りとを見きわめるためにはどうすればいいのか、ということについては、古くからさまざまな哲学者たちによって議論が交わされてきていた。ただ、彼らの掲げる見解はなにしろ多様であるので、仮にそのうちのどれかに真実が含まれていたとしても、それを見つけだすのはかなりの難題だということになってしまう。さんざん悩んだ挙句、「他の人よりもこの人の意見の方を採るべきだと思われる人」をまちがいなく選別するなんてもう不可能だって!とかんがえるようになったデカルトは、やがて、自分で自分を導いていくことこそが真実に至る最短の道なのだろう、と悟るにまで至ったのだという。

そんな彼が、真実に近づき、真実を見定めるために編み出したのが、論理学、幾何学、代数の3つのかんがえかたからいいとこどりをして作った、以下の規則だ。

第一は、わたしが明証的に真だと認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。

第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。

そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。(p.28,29)

明晰かつ判明な真実をひとつ見つけることができさえすれば、正しい順序を踏んで思考することで、その真実から次の真実をひき出すことができるはず…というわけだ。シンプルで、さらっと読めてしまえるこれらの規則だけれど、ていねいに順を追って思考しさえすれば、あらゆるものに対して理性を適用し、対象についての適切な理解を得ることができるだろう、とデカルトはかんがえていたわけで、このルールの持つ射程というのはものすごく広大なものだといえるだろう。ちなみに、この4つはそれぞれ、「明証」「分析」「総合」「枚挙」の規則なんていう風に呼ばれていたりする。

これら4つの規則は、あらゆる科学分野、あらゆることがらに対して適用することができるはずなのだけれど、さまざまな科学分野で用いられる知識の原理のおおもとは哲学にある。となれば、まずは哲学の原理において、これは真実だと言えるものを確立してやる必要があるだろうね、とデカルトは書いている。

しかし、それらの学問の原理はすべて哲学から借りるものであるはずなのに、私は哲学でまだ何も確実な原理を見いだしていないことに気がつき、何よりもまず、哲学において原理を打ち立てることに努めるべきだと考えた。そしてそれは、この世で何よりも重要なことであり、速断と偏見がもっとも恐れられるべきことであったから、当時二十三歳だったわたしは、もっと成熟した年齢に達するまでは、これをやりとげようと企ててはならないと考えた。わたしの精神から、その時より前に受け入れていた悪しき意見のすべてを根絶するとともに、たくさんの経験を積み重ねて、後にわたしの推論の材料となるようにし、また自分に命じた方法をたえず修練して、ますますそれを強固にし、あらかじめ十分な時間を準備のために費やしたうえでなければならない、と考えたのである。(p.32,33)

哲学の原理を打ち立てるためには、もっと成熟しなくちゃいけないよな俺、ってかんがえていたという23歳のデカルト。しぶい。

方法序説 (岩波文庫)

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