『方法序説』/ルネ・デカルト(その1)

方法序説 (岩波文庫)

ひさびさに、『方法序説』を読み返している。たぶん、大学の授業で読んだとき以来だ。じつをいうと、このごろは小説を読むのがなんだかまどろっこしくて仕方ない――あーもう、こんなの読んで何になるっていうんだ?とかって、すぐささくれた気分になってしまう――のだけれど、こういう、論をひとつひとつ積み重ねていくタイプの本をちまちまノートを取りながら読んでいると、なんていうか、ちょっと癒されるような感じがするのだ。そんな、俺を癒してくれている『方法序説』について、何回かに分けて、感想/メモを記しておくことにする。

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はたして、普遍的かつ不可疑な知、というものはありうるのだろうか?つまり、人間には、ほんとうに確実なもの、真実なるものを認識することがはたして可能なのだろうか??というのが、デカルトが本書で取り扱っているもっとも大きなトピックだといえるだろう。デカルトは当時の人文学――語学、歴史、寓話、雄弁術、数学、法学、医学、神学、哲学などなど――について、若かりしころから全方位的に勉強し続けていたけれど、すこしも疑わしくないもの、確実に真実だといえるものにはついに巡り合うことができなかった、のだという。…まったく、これだけいろいろ学んできたのに、これだけは正しいって自信をもっていえることが何もないだなんて!真実なるものがないとすれば、いったいどうして明晰で確実な知識を獲得することができるだろう?いったい何を準拠として人は生き、世界を解明していくことができるだろう?…そんな風にかんがえたデカルトは、人間には真実を認識する能力があるということを示すために、これは確実に真実だといえるものの存在を証明してやらねばならん、と奮起、ついにその証明方法を見出した彼が、そこに至るまでの思考の道筋なんかを万人向けにわかりやすくダイジェスト的に取りまとめたのがこの本、『方法序説』だということになる。

良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、だれも良識なら十分身に備わっていると思っているので、他のことでは何でも気難しい人たちでさえ、良識については、自分がいま持っている以上を望まないのが普通だからだ。この点でみんなが思い違いをしているとは思えない。むしろそれが立証しているのは、正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識とか理性と呼ばれているものだが、そういう能力がすべての人に生まれつき平等に具わっていることだ。(p.8)

これは本書の有名な冒頭部だけれど、良識、理性ってやつは誰もが等しく持っているものなのだから、これを正しく使うことさえできれば、誰でも真実に到達できるに違いない、というのがデカルトのかんがえだといえるだろう。

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