『悲しき熱帯』/クロード・レヴィ=ストロース(その1)

『悲しき熱帯』/クロード・レヴィ=ストロース(その1)

レヴィ=ストロースの思想と方法論とが収められた一冊。1935年から1939年まで、ブラジル奥地のインディオのもとに赴いて行ったフィールドワークの記録と合わせて、彼が「いかにして人類学者になったか」が語られている。

いやー、これは読むのが大変だった。実家の本棚のなかからはじめて取り出したのはたぶん大学生の頃だったけれど、今回、3度目の挑戦にして、ようやく読み通すことができた。本作はある種の「紀行文学」であって、「比較的読みやすい」なんて言われることの多い作品だとおもうけれど、これのいったいどこが読みやすいんだろう??他の本はもっと読みにくいってことなんだろうか…。

読みづらい理由のひとつは、訳者の川田順造による「前書き」の、以下のような記述にもよく表れているようにおもう。

観念の世界を描く著者の筆の、時に重苦しいまでの克明さにくらべて、可視的な世界の記述の、何としばしば具体性を欠いていることか。事物の時間・空間の中での位置や展開、物の作り方についての記述には、どれほど注意深く読んでも、私には結局解らなかったところが何箇所もある。(『悲しき熱帯 Ⅰ』 p.22)

…訳者がわからないまま訳した文章が、読者にわかるわけないじゃん!なんて言いたくなってしまうけれど、まあ、これはつまり、「いちいちわかるように書いてはいない」と解釈すべきなのだろう。レヴィ=ストロースが見た、「可視的な世界」の図像を、読者は直接頭のなかに描き出すことはできない。ただ、その代わりに、彼の思考によって分解され、再構成されたその世界――川田が言うところの、「観念の世界」――を知ることができる。読者はそれによって、著者がかんがえ、イメージするところの、「悲しき熱帯」へと導かれることになる、というわけだ。

そういうわけで、本作の文章が読みにくいのは、これが極めて個人的な色彩の強い、思想についての書物だからだ、と言うことができるのではないかとおもう。レヴィ=ストロースのごく個人的な感受性や彼自身の歴史を通して、人類というものについての――あるいは、旅や都市や日没や文字や権力や近代性といったものについての――精緻で細密な省察がなされているのだ。

そのようにして描き出される世界の姿はたしかになかなか美しいし、文章の背後にある思考――そこには確かに明確な論理による裏づけがあるようだ――を辿っていくことに知的な快感があることもたしかだけれど、それでもやっぱり、それはひたすらに読みにくいのだ。少なくとも俺にとって、この本の前半部を読むのは文字通り苦行だった。

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