「嫁入り支度」/アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

カシタンカ・ねむい 他七篇 (岩波文庫)

どうやら没落貴族であるらしい、とある母娘のもとを訪れた「わたし」。時が止まったかのような小さく暗い家のなか、彼女たちは”嫁入り支度”と称して、ひたすらドレスを縫ったり刺繍をしたりして過ごしていた…!

ちょっとユーモラスな語り口で、ことの顛末が淡々と語られていく、ただそれだけの話なのだけど、ドライとウェットのバランスが絶妙でいい。ラスト1ページなんて、ちょっとホラー的な趣もあったりして、ひねりも効いている。

来る日も来る日も、母娘はせっせと衣装作りに励んでいるわけだけど、その衣装の山を「わたし」に見せようというシーン、その、少し可笑しくも、もの悲しいことといったら!

マーネチカは、一瞬間その内気さを捨てて、パパへの贈物に自分で刺繍していたタバコ袋を見せてくれた。わたしが、彼女の手なみにさも感服したような顔をすると、彼女はまた赤くなって、何やら母親の耳へささやいた。母親もぱっと顔を輝かせて、わたしを納戸へ案内しようと言いだした。納戸へ行って見ると、大きなトランクが五つほどと、それに小さいトランクや箱がどっさりあった。

「これ……嫁入り支度ですの!」と、母親はわたしにささやいた。――みんな、うちで縫いましたのよ。」

その陰気なトランクの山を、ちょっと眺めて、わたしは愛想のいい女主人たちに別れを告げはじめた。またいつか訪ねてくるように、ふたりはわたしに約束させた。(P.13,14)

衣装の山を見せられた途端に帰ろうとするところは、ちょっと笑えるし、”さも感服したような”とか、”陰気なトランクの山”とか、「わたし」が冷静なところはわびしさを誘う。とはいえ、チェーホフは、この母娘のことを笑いものにしているわけでも、また、哀れんでいるわけでもないようだ。ただ、誰も訪れることのない暗い家の窓際に、少しずつ埃が積もっていくような、どうにも避けようのない停滞感と、うっすらとした悲しみだけが作品全体を覆っている。

他にも、珍しい訪問者である「わたし」に母娘がフランス語の会話を”さりげなく”披露しようとするシーンなんかもちょっといい。なんていうかこの母娘、控えめなんだよね、とても。

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