『ソーラー』/イアン・マキューアン

『ソーラー』/イアン・マキューアン

ちび、でぶ、はげでジャンクフードと女が大好き、ノーベル賞を受賞する知性の持ち主だけれど、人に心を開くことは決してなく、己の欲求にだけはとにかく忠実な50代の男、マイケル・ビアードとソーラー発電を巡る物語。まあ、ブラックコメディ、と言っていいだろう。彼は言ってみれば超俗物でひたすらに卑小、自堕落でせこくて倫理観のない、意地汚いだめだめな男なのだけれど、その俗っぽさ、卑小さ、汚さ、だめさというのは誰しもがそれなりに持ち合わせている――少なくとも俺自身はじゅうぶんに持ち合わせている――だめさをかき集めて大盛りにしてみましたといった感じのもので、俺はビアードのふるまいに「おいおい…」って突っ込みを入れつつも、我が身を振り返っては少なからず苦い気分になったりもしたのだった。

近年のマキューアン作品の例に漏れず、本作もかなりクオリティが高い。鋭い観察眼と精密な文章が生み出すいじわるでブラックな笑いとその痛々しさというやつはもうとにかく洗練されまくっており、どんなにばかばかしいシーンであっても、上手いなーって感心しないではいられないくらいなのだ。たとえば、こんなところ。列車の座席で、ベアードがポテトチップスを食べようというシーン。

体を起こし、前かがみになって肘をテーブルに突くと、両手で顎を支えて、数秒間、英国国旗の下で漫画の動物が跳ねている、銀色と赤と青のけばけばしい袋を見つめた。なんとこどもじみていることか。こののぼせ上がり。あまりにも弱く、あまりにも有害な、過去のあらゆる誤りと狂気の、欲しいものをすぐに手に入れなければ気がすまない、あの性急なやり方の小宇宙。彼は両手で袋を取ると、上部を引き裂いて、揚げ油と酢のじっとりとした匂いを解き放った。実験室で巧妙にコピーされた、街角のフィッシュ・アンド・チップスの店の匂い、懐かしい記憶と欲望と国民性を髣髴させる匂いだった。国旗は熟慮した上で選ばれたにちがいない。彼は親指と人差し指でチップスを一枚だけつまみ出すと、袋をテーブルに戻して、座席の背にもたれかかった。彼は快楽を真剣に味わう男だった。この場合のこつは薄片を舌のまんなかに置くこと、そして、ちょっと味がひろがるのを待ってから、舌でポテトをギュッと口蓋に押し上げて砕くのだ。硬いぎざぎざの表面が柔らかい肉に微細な擦り傷をつけ、そこに塩と化学調味料が染みこんで、あの軽い、一種独特な快感=苦痛が生み出されるというのが彼の理論だった。(p.153,154)

アホらしいったらない描写だが、この後もっとアホらしい展開が、このすばらしく精緻な文体で延々と続けられることになる。

マキューアンは、「おもしろい」より「すごい」、「感動する」より「感嘆する」という感じの作品が多い、言ってみればちょっとスノビッシュな作家だけれど、コメディである本作においても、物語全体を通してひねった問いかけがいくつも仕掛けられており、そのブラックな笑いは登場人物たちだけでなく、読者の側までを容赦なく抉っていくようなところがある。

たとえば、読者は、物語を読み進めながら、ビアードについて、「倫理観がなく、問題から目を背けてばかりいる、自分勝手な男だ」と感じることになるけれど、ふとした瞬間に、「そういう自分は、エネルギー問題や地球温暖化のことを、ビジネスのチャンスだとか金儲けだとか、自己実現のための利用対象としてはかんがえておらず、それらの問題から目を逸らしたことなどまったくない、と言い切ることができるだろうか??」という疑問にぶつかることになる。…もちろん、そんな風に言い切ることのできる人間など、地球上のどこにもいないだろう。なにしろ、作中でベアードが述べている通り、「人類全体では、強欲が美徳に勝って」いるのだから。

欲望を抑えられないでいるのは、そして、向き合うべき問題から目を逸らさずはいられないのは、ひとりベアードだけというわけではなく、人類皆、誰しもがそうなのではないかね、とマキューアンは皮肉っぽく笑っているようだ。

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