火を失うとはこういうこと

きょうは8月から大阪行きが決定した人たちのためのいってらっしゃい会、ってことで、月曜だというのにずいぶんと飲んでしまった。同期のみんなと話していて、やっぱりここに長くいるわけにはいかない、がんばって脱出しようぜ、と決意を新たにしたのだったけど、今回はそれとはあまり関係のないことを書いてみようとおもう。頭はふわふわとしていて、どこかまどろむような心地よさを感じながら俺はキーボードを叩いている。

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日曜の昼、12時過ぎくらいに家を出ると、すっかり夏になった空気があった。じっとりと暑く、強い日差しがアスファルトを白っぽく光らせていた。川沿いの道を歩き、近くのバス停に向かっていく。背中や脇の下から汗が染み出してくるけれど、風がずいぶんと強いからすぐに乾いてしまう。ざわざわと揺れる街路樹の葉の緑色は濃い夏色になっていて、見上げると木漏れ日がきらきらと細やかにゆらめいていた。雲ひとつない空は吸い込まれそうに透明な青さで、あー、もしいまが数か月前だったらな、とおもった。こんな景色が目の前に広がっていたら、おもわず走り出したくなるような、あるいはすうっと深呼吸したくなるような、そんな軽やかな気持ちになっていただろうな、とおもった。

ここのところ、本を読んでも映画を見ても、誰かと話していても音楽に触れていても、心からたのしむ、ってことができないでいる。心が動くことがないわけじゃない。ただ、気持の中心の辺りには常に丸く大きな空白があって、どんなものであってもそこに吸い込まれて消えていってしまうような感じなのだ。心にぽっかり大きな穴が、なんて小学生が作文に使いそうな常套句だけど、あれって本当だったんだな、なんておもったりする。心には本当に穴が空くのだ。そこに何かすごく大切なものがあった、ってことはわかる。でも、いまそこにあるのはひたすらな喪失感だけで、その不在の感覚が他のあらゆるものを圧倒しているってこと、それ以外には何もわからない。いや、わからないのではなくて、穴のなかを覗いたときに自分がそこに落ちて行ってしまいそうで恐い、恐いからその感覚を直視できない、ってことなのかもしれない。なんだかそれはいままで経験したことのないような、ちょっとふしぎな感覚だ。

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4月のある日以来、繰り返し同じ夢を見る。夢のなかで、俺はある友人のアパートの部屋の前にいる。アパートの廊下からは、きれいに晴れた空と、花が散りきってすっかり葉桜になった並木道が見える。チャイムを押す。返事がない。物音もしない。もう一度チャイムを押し、耳をこらして待つ。廊下の手すりの上で何かをついばんでいるすずめのささやかな鳴き声以外には何も聞こえない。ドアノブに手をかける。鍵がかかっていない。ドアを開けて中に入る。靴ひもを解いて靴を脱いで上がり、そこで俺は異変に気づく。いや、異変というより、あれ、何かがおかしいな、っていうくらいのちょっとした違和感だ。その違和感に包まれたまま、俺は動きが止まってしまう。それは一瞬だけのこともあるし、完全に思考が停止して、きいん…と耳鳴りの音が聞こえてくるまでの長い時間、呆けたように静止していることもある。そうしてその違和感の原因を理解する。1Kの部屋のキッチンの先にあるドアのノブに紐のようなものがかかっており、そこに友人がいるのだ。俺は早く助けなきゃ、とおもう。そして早く駆け寄っていけば彼を助けられることをしっている。でも身体は1ミリも動かない。そしてそうおもうのと同時に頭のなかではもうわかっている、いまここで助けられたとしても、最終的に彼を助けることはできないんだ、ってことが。そんなのいまはいいだろとにかく、って頭のなかでのせめぎ合いを無理やり終わらせて足を踏み出すところで、ひざががくっとなる感覚があって目が覚める。汗でシーツがぐっしょりと湿っている。

何度も繰り返し同じ光景を夢のなかで再生しているわけで、もうそこに恐怖を感じることはない。夢のなかでは俺は彼がこの後どうなるのかをしっている。今回は大丈夫だとしっているし、次回も大丈夫だとしっている。だがその次はアウトだということもしっていて、だからこの光景を前にしても恐怖や焦りよりは諦めのような感情が始めに来てしまうような気がする。

その光景があって、俺は見ていないその次があって、さらにその次があってもう先が無くなってしまってから1か月以上が経った。時間はどんな問題でもやがては押し流してくれるだろう、みたいなことを以前日記に書いた気がするしそのときはたしかにそんな風に感じていたのだけど、やっぱりその”やがて”に達するまでの時間はひたすらに長く、重い。しかしそれと同時に、時間はあまりにも平然と流れ続け、季節を変えていく。きょうの日差しも空の青さもまるで現実感がない、いつの間にこんな太陽の高さになっていたんだろう、なんて俺は自分勝手におもったりするし、そんな風に勝手に流れていく時間のことが、はっきり言って憎い。

 ***

ねえ、俺たちがやるべきことって何なのかな?ちゃんと火を運ぶことなんてできるのかな?自分自身を愛するなんてこと、いつかできるようになるのかな?それともお前が判断したみたいに、そんなことを求めたり探したりするのは間違いだってことなのかな?聞きたいことはそれこそいくらでもあるし、言いたいことだってやっぱりたくさんある。それがもう届くことはないっていう事実を、俺は本当のところはまだよくわかっていないような気がする。

本当にかけがえのない大切なものをなくしたとき、人はそれを名前で呼ぶことができない、とジョン・アーヴィングが言っていたのをおもい出す。その通りだとおもう。そんなことは、できることなら実感したくはなかったのだけれど。本当にかけがえのないものを失う話、そんな話をいったい誰にすればいいのだろう。誰が聞きたいとおもうだろう。

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