『聖家族』/古川日出男

聖家族

これはすごかった!おもしろいとかおもしろくないとか言うよりも、まず、すげえ!って言いたくなる小説。だいいち、分厚すぎるし(二段組みのくせに700ページオーバー!)、細かい特徴、気になる要素を挙げていったらキリがないけど、読んでいくうちに、最早、古川日出男、っていうひとつのジャンルが確立されているようにすらおもえてくるようだった。半端なく気合いの入ったことばたちが全編通してひたすらに連打されていき、「妄想の東北」の巨大なクロニクルが形成される。

やたらと大きな小説だから、あらすじとか構成みたいなものはそう簡単にはまとめられない。目次からも明らかなように、たしかにシンメトリカルな構造ではあるのだけれど、そのなかで一連の物語がきれいに円環を描き完結する、って感じじゃないし。どこか歪で、スマートじゃない。雑然としている。それに、そういう全体像みたいなものよりはむしろ、いろいろな細部のイメージの鮮やかさ、象徴性みたいなものについてかんがえる方がずっとおもしろいんじゃないか、って気もする(…けど、それを逐一まとめて書くのは相当骨が折れそうだ)。

全体の印象としては、むちゃくちゃ強い意志で書かれてるな、って感じもある。たとえば、作中で何度も繰り返される、中央vs周縁、みたいなシンプルな構図であっても、いままであちこちで繰り返し描かれてきたであろう定番ちっくな物語には絶対にならない。とにかく予定調和にはしない、って心意気が貫かれているよう。

作中の狗塚兄弟は、己の肉体そのものを凶器とするために鍛えまくっているけど、この小説自体も、ガチガチに鍛えられたことばの固まりみたいな感じ。ガチガチだから、単調におもえたり読みにくかったりもするわけだけど、小説全体に漲る強固な意志やテンションにはとにかく圧倒される他なくて、だから、すげえ!って、なってしまう。でも、それでいて、いわゆる“大作”的な重厚さはあんまりなくて、どこか抜け感があるっていうか、がっつり読んだなー、って気分もあんまりないっていうか。まだまだ書きつくされてはいない、みたいにおもえるのかな。

以下、かっこよかったところをちょっと引用。

こんな問いかけを今度してみてもらえませんか。地図という二文字は、もしかしたら何かの略語じゃないかな、と。二つの漢字が、ほら、アルファベットの頭文字の組み合わせのような。だとしたら、何と何かな、と。答えは簡単です。地獄の図書館、ですよ。地獄の地に図書館の図で、ほら。ちゃんど地図になっばい?(p.176)

彼はそれから一人になった。彼は何度か運び込まれる本をひたすら貪りつづけていた。彼は本の内側に孕まれている時間を読んでいた。彼はそれらの時間が有している重さを感じてそれらの時間が流れていることを確かめていた。彼には自分の肉体がその隅ずみまで読む行為で満たされるのがわかった。彼は出土しはじめるものを感じていた。彼は掘り起こされる記録と歴史を体感していた。(p.377)

そのDJは雑ぜろ、と自身に命じた。自身の手に、命じていた。すべての音を雑ぜて、ただ音楽を、と命じていた。自身の耳に命じていた。耳。手。耳。手。そのDJは、世界には無限の、無尽蔵のレコードがあるんだ、と自覚した。それを二つのターンテーブルに載せて。一台のミキサーで攪拌(ミックス)して。そして三つめの、凶器として、出して。出せ、と自身に命じた。ハイブリッドに、出せ。(p.579)

いままで、古川日出男って気になるわりにはあんまり入り込めない作家だったんだけど、この一冊をきっかけに結構すきになれそうな気がしてきた。いや、“すき/きらい”とかっていうより、やっぱり、いま、現在進行形で読むのがおもしろい作家だよなー、と改めておもえた、って感じか。ことば数は多いけれど、読者の方からアグレッシヴに働きかけていかなきゃいけない小説なんだ、ってことをようやくちゃんと実感できたような気もする。

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