『星の王子さま』/アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(その1)

『星の王子さま』/アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

およそ10年ぶりに再読。世界的大ベストセラーの本作は、形式こそ童話であるけれど、完全に大人に向けて書かれた、大人のための物語だ。子供がこれを読んでも、ほとんどおもしろさを感じることはできないんじゃないか…とすらおもえてしまうくらい、作品の目線は大人の方を向いている。有名な冒頭の献辞で、サン=テグジュペリはこう書いている。

この本を、こうしてひとりのおとなにささげたことを、子どものみなさんは許してほしい。なにしろ大事なわけがある。この人は、この世でいちばんの僕の親友なのだ。もうひとつ。おとなだけれど、なんでもわかる人なのだ。子どものために書かれた本でさえ。(p.5)

それでもみなさんが納得してくれないなら、この本は、昔子どもだったころのその人に、ささげるということにしたい。おとなだって、はじめはみんな子どもだったのだから。(でもそれを忘れずにいる人は、ほとんどいない。)(p.5)

本作は、「子どものために書かれた本」のような体裁をとっているけれど、やっぱり、「子ども」に向けて書かれてはいない。サン=テグジュペリはこれを、あくまでも「かつて子どもだった、大人」に向けて書いているのだ。

…さて、そんな大人向け童話であるところの『星の王子さま』が、きわめて完成度の高い、古典としての風格をじゅうぶんに持った作品だということに異論のある人はそうそういないだろう。なにしろ、作中で提示されるイメージがいちいち非常に鮮明で、そのどれもが読者に忘れがたい印象を残すのだ。「王子さま」の星や、そこに咲くただ一輪のバラ、「僕」が描いた羊や、バオバブの木、砂漠に沈む夕日など、童話というフォーマットを選択することで余計な装飾が省かれているためか、どのひとつをとっても、剥き出しのまま迫ってくるような力強さを持っている。「僕」と「王子さま」の別れのシーンなんかは非常に感動的だし、同じ砂漠の場面を描いた2枚のイラストなんて、うるっとしてしまうほどだ。

ただ、俺としては、今回再読しているあいだじゅう、どうも違和感というか、妙な居心地の悪さのようなものを感じてしまって。この場を使って、ちょっと自分のかんがえを整理してみたいとおもう。

 *

本作で描かれるのは、「王子さま」を代表とする子供の素直さや純粋さの美しさ、そのかけがえのなさだと言っていいだろう。「かつて子どもだった、大人」であるところの読者が心打たれるのは、「王子さま」の心の持ちようがきわめて純粋であるためだ。その純粋さとは、大人が「以前、自分もそのような純粋さを持っていたことがあるような気がする」ような、あるいは、「大人になってしまったいまとなっては、決して取り戻すことが叶わない、と感じられる」ような純粋さだ。ここまではひとまず間違いのないところだろうし、もちろん、俺としても、そんなテーマ、方向性をことさらに非難しようとはおもわない。

ただ、それを描くために、いちいち大人を身勝手なもの、滑稽なもの、醜いものとして「王子さま」に対置させるっていうのは、ちょっといただけないよな、フェアじゃないよなー、と正直おもってしまって。「王子さま」が地球にやって来る前に訪問していた、6つの星の大人たちの描写や、「王子さま」が「おとな」を非難する口調なんかからは、なんていうか、汚れっちまった大人への嫌悪感がひしひしと伝わってくるようで、やりきれない気分になってしまったのだ。

「おとなみたいな言い方だ!」
僕は、少しわれに返って、恥ずかしくなった。でも容赦なく、王子さまは続けた。
「きみはごちゃ混ぜにしてる……大事なこともそうでないことも、いっしょくたにしてる!」
王子さまは、本気で起こっていた。風にむかって、金色に透きとおる髪を揺らしながら。
「ぼく、まっ赤な顔のおじさんがいる星に、行ったことがある。おじさんは、一度も花の香りをかいだことがなかった。星を見たこともなかった。誰も愛したことがなかった。たし算以外は、なにもしたことがなかった。一日じゅう、きみみたいにくり返してた。『大事なことで忙しい!私は有能な人間だから!』そうしてふんぞり返ってた。でもそんなのは人間じゃない、キノコだ!」
「え?」
「キノコだ!」(p.37,38)

子供の素直さや純真さを称揚するのは簡単だし、また、それらを失くしてしまった大人を非難するのも簡単なことだ。でも、大人になってもそれら「大切なこと」を忘れないで、いつまでもおぼえているためには、おもい出すためには、どうすればいいのか?はたして、そのような大人は存在するのか??という疑問には、この物語はまるで答えようとしていないんじゃないか、って俺はおもってしまったのだった。もしそうであれば、『星の王子さま』が描いている美しさというのは、大人が”素直で汚れのない子供時代”という過去の幻影を振り返ってみたときに生じる、ノスタルジアの美しさにしか過ぎないんじゃないか?それはたしかに強く心を揺さぶる力を持っているのだろうけど、でもそういうのってなんていうか、物語の力を十分に活用しているとは言えないんじゃないか??…そんな風におもってしまったのだった。「大切なこと」を忘れてしまった大人に無垢な「王子さま」を対置する、って、構図としてはわかりやすいけれど、ちょっと説教臭くない?独善的な感じがしない?って。

 *

…まあ、だいたいこんな風に俺はかんがえたのだったけれど、どうもこの読みは生ぬるい、というか、この本の芯のところを捉えられていないような気がしてしょうがない。だいたい、子供の純真な心ってステキ、ってだけの本であれば、これほど評価されるはずがないのだ。

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