『ファミリー・アフェア』/村上春樹

パン屋再襲撃 (文春文庫)

80年代の短編集、『パン屋再襲撃』に収録されている作品。台詞はいちいち気のきいた感じだし、展開もまあ予想から外れることのない、わりとリラックスした雰囲気の短編だ。

主人公の「僕」は27歳。何年ものあいだ妹と2人暮らしをしていたのだけど、妹はいつの間にか結婚をかんがえるようになっていて、この頃2人の間はどうもぎくしゃくとしている。妹の婚約者、渡辺昇はなんだかやぼったい感じのエンジニアで、「僕」は彼のことがどうにも気に入らないのだが、とにかく3人で食事をすることになり…!

作中、妹は、「僕」のことを自分本位で未熟な人間だ、とことあるごとに非難する。でも、「僕」自身もその非難の内容には十分に自覚的だし、妹の言うことはもっともだ、と感じているふしがどこかにあるみたいだ。

「どうして努力しようとしないの?どうしてものごとの良い面を見ようとしないの?どうして少くとも我慢しようとしないの?どうして成長しないの?」

「成長してる」と僕は少し気持ちを傷つけられて言った。

「我慢もしてるし、ものごとの良い面だって見ている。君と同じところを見ていないだけの話だ」

「それが傲慢だって言うのよ。だから二十七にもなってまともな恋人ができないのよ」

「ガール・フレンドはいるよ」

「寝るだけのね」と妹は言った。「そうでしょ?一年ごとに寝る相手をとりかえてて、それで楽しいの?理解とか愛情とか思いやりとかそういうものがなければ、そんなの何の意味もないじゃない。マスターベーションと同じよ」

「一年ごとになんかとりかえていない」と僕は力なく言った。(p.77)

また、

「僕はお前の生活に一切干渉したくない」/「お前の人生なんだから好きに生きればいい」(p.84,85)

なんて言う「僕」は、いかにも初期村上春樹っぽい、個人主義的な気質の持ち主だ。ただ、それは他者と深く関わることに怯えているがゆえの個人主義であるようで、その寛容さや無関心はどちらかというと弱さや臆病さから生まれてきているようにおもえる。でも、まさにそういうところ、態度のどこかぎこちない感じこそが読み手には響く。

そして「僕」を批判する妹もまた、弱さを抱えた存在として描かれている。妹は「僕」に対してすぐ感情的になるし、言いたい放題言うのだけれど、それは自己を相手にぐいぐいと押しつけるようなやり方だ。そこにはつまり、甘えみたいなものがある。それに、妹はいわゆる「社会的にまとも」な人間である渡辺昇と婚約をしてはいるけれど、心情的な立ち位置としてはいまだに「僕」サイドにいる。だからこそ、最終的には「僕」と妹との間に一応の和解がもたらされることになるのだし、それはどこか慣れ合いっぽい、ちょっとぬるい感じがしなくもないような結末、ということになる。もっとも、渡辺昇という他者が「僕」と妹との生活に入り込んできた影響ははっきりと見受けられるし、これから先どうなっていくのかなんてわからない。ただ、今夜はひとまず眠ろう、ということになるわけだ。

「良い面だけを見て、良いことだけを考えるようにするんだ。そうすれば何も怖くない。悪いことが起きたら、その時点で考えるようにすればいいんだ」(p.118)

と、「僕」は妹や渡辺昇に言う。でも、それは自分自身に必死に言い聞かせているようでもある。こういう教訓的なニュアンスを含んだことばもそうだし、小説全体としても、なんていうか、臆病な個人主義者のためのぬるま湯、といったおもむきがあって(や、さすがにそれは言いすぎかもだけど…)、だから俺はこの小説がすきなんだろうな、っておもう。なんだか安易に共感できてしまうような感じがして、それがいいことなのかどうかはよくわからないのだけど…。

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