無気力にとりつかれて

昨日あたりから、すっかり無気力にとりつかれてしまっている。自分の中身がからっぽのような、重力に抵抗する気力も出ないような、どうにも力の入らない感じ。とにかく億劫。おまけに、さっき気がついたんだけど、今日はほとんど人と喋ってもいないのだった。発したことばも、「あ、店内で」と、「アイスコーヒーのS」くらい。ひどい…。テレビと音楽と活字とに現実逃避していただけの一日だった。しかもどれにも集中できていない。

こういう日には、ちょっとしたことばがやたら染みこんできたりもする。以前とてもすきだった文章があって、それをふとおもい出して読み返してみたら、すぐに胸がいっぱいになってしまった。くはー、って息がおもわず漏れたりして、でもそれはため息みたいなもので、結局ますますむなしさがつのるだけだったのだけれど。

ただ、キュアーのアルバムなんかはこういう情けなさの味方だ。とにかく全体的にむなしいきもちでいるときって、身体が受け入れられるものがわりと限定されてくる気がするのだけど、キュアーの途方にくれたような音楽を聴くことは、むなしさばっかりで満たされている自分のなかにさらに空虚を注入するようで、これがちょっと心地よい。なんていうか、身体がとろっと溶けていってしまいそうなきぶんになる。そういえば、中学とか高校のころって、こういう感じをよく味わっていたような気がする。

それにしても、どうにも何にもやる気が出なくてしょうがない。俺は、キュアーの音楽みたいな、いまの自分のきぶんにフィットする文章を探してみることにした。

 *

すぐに見つかった。マーガレット・アトウッドのディストピア小説、『侍女の物語』に、こんな文章があった。

わたしは自分が今いる場所で祈る。窓のそばに座り、人気のない庭をカーテン越しに見渡しながら。目を閉じさえしない。どうせ外の庭もわたしの頭のなかも、同じような暗闇だから。あるいは光だから。

電話のそばに独りぼっちでいる気分です。しかも、その電話をわたしは使えないのです。たとえ使えても、どこにもかける相手がいないのです。

これは、困難な状況からどうあっても抜け出せないでいる主人公のことば。ちょっと大袈裟な気もするけど、あーあー、そうだな、まったく、こういうきぶんがしっくりきてしまう日もある。もちろん俺は進退窮まっているわけでもなんでもないんだけど、こんな風に言ってもしょうがないことをうだうだ言いたくなったりすることもあるわけだ。

そうそう、電話つながりでおもい出した。『のはらうた』で、こおろぎしんさく氏はこんな風にうたっていた。

くろいくろい よるの まんなか / つちの つめたさが / あしに しみとおると / なぜか はねが ふるえます / なぜか でんわを かけたくなります

リリリリ だれか いないかい / リリリリ そばに きておくれ

くうー。やっぱり『のはらうた』は染みいる。ちょっと切なく、そして眩しい。眩しいのは、このひらがなが喚起するノスタルジアのせいだ。音読すればノスタルジアは倍増する。

あー、いや、もうこのくらいにしておこう。俺は電話を使えないかわりに、こうやってはてなに日記を書くことができるわけだし。うだうだしていてもしょうがないから、これで満足することにしておく。とりあえずビール飲んで、眠くなったら寝る!

Disintegration [rakuten:book:11011633:image:small] のはらうた (1)

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